2009年12月29日火曜日

劇的?ビフォー&アフター

 私の生きる信条は、まあ数々あるんですけど、その一つに「面白いもん勝ち」っていうんでしょうかね、仮に失敗と云われるようなことでも、それを面白いと思えれば返って儲けもん、という考えがなぜだかありまして、全ての失敗は「オイシイボケ」になりますから、あとは自分でツッコミ放題。実にオイシイ。想像してみて下さい。あなたの世界が「笑い」に充ちる日のことを。

 さて、あんまり堅苦しい事ばっかり書いていても、エエカッコしいには成りきれないし、勝手に新シリーズ、シータのビフォー&アフター写真館でございます。




『PLAY中』
after
before


『PLAY後』
after before

『伴奏隊』
after

before

劇的どころか、ほとんど変化が無い・・・ような気も・・・。

ま、いっか・・・。(続く)

2009年12月25日金曜日

みんなのQ&しーたのA 追記

 そうですよねぇ。「ふむふむ」なんていって本を読んでいて、突然プルシャ・プラクリティだのマハッドだの云われても、そりゃわかりませんよね。わかります、わかります、その気持ち。・・・で補足です。

Q.プルシャとプラクリティ。すみません、 まだよくわかりません。 この二つは、エネルギー、つまりプラーナであって、われわれの体の中にあるもの?生まれるもの? なのでしょうか? あれあれ?? 今日は、スワミ・シバナンダ氏著「Mind (its mystery and control)」を読んでおります。具体的にヨガの実践に役立つ部分、たとえば、食事のこと、瞑想の方法、などはわかるんですが、哲学となると、何度も行ったり来たり してます。


A.プルシャとプラクリティは、個としての人間の中身の話では無くて、全体、いわば宇宙レベルの科学説なんですよ。無という状態からどのように世界が生まれたかを分析、説明しているのです。あるいは宇宙という全体から、どの用に「個」という「性質」が発生したかという・・・。個々の性質をもつ物体や、自然、土や水や、色や音や、それから心などが発生したか・・・。だから、われらの生活レベルではまったく認識できないし、そもそも認識する必要も無いんですけどね。(・・・ってことなので、そもそも分かりにくい話ですよね~。だから分からなくっても全然、問題なしですよ。)

じゃあなぜ、スワミジがその話をわざわざするのかっていうと、心だって、たんなる自然界の科学現象物質なんだから、その正体を知っていれば、時に亡霊となって我々自身を悩ます「心」に惑わされることは無くなるよって、そういうことを証明する為だと思います。

その本は「ヨーガとこころの科学」という題で日本語訳が出ていますから、探してみてください。いい本です。

Sita

2009年12月24日木曜日

みんなのQ&しーたのA


Q. プラクリティとプルシャ、この違いはなんですか?読んでも読んでもわからないんです。

A. まず、インド科学のベースに6つのヴィジョンてのがあるんです。今日の奈良のリトリートでも少し、お話したんですが、大昔の賢者たちは、顕微鏡もレントゲンも無いのにヴィジョンとして直接そのリアリティーを悟っていたんですね。

詳しい記述は端折りますけど、1と2は原子について述べています。フィジカルな宇宙のリアリティーを説いてるんです。5と6はスピリチュアルなリアリティーを説いており、ここいらが(特に6が)インド思想の目指すところなんですが、粗大から微細へテーマが移行しているわけです。

で、問題は中間の3と4。これらは言ってみれば、アストラルな領域についてのリアリティーを科学したものなんですが、私たちの目線から言うと、つまり心というものをどの様に制御するかという話題です。4は御存じのYOGAですね。そして3がSANKYHAといって、プルシャとプラクリティの二元論が主に述べられているのはここです。

YOGAを含むこのインド思想の流れの行きつきたい処、結論は最終的に6の一元論なのですが、「全ては一つ」であるということを伝えるために、まず方便として二元論があるわけです。

以上小難しくて分かりにくいと思いますが、背景としてお伝えしただけですので、軽く流しといてくださいね。


で、プルシャ、プラクリティです。

簡単にいうと語弊があるかもしれないけど、このサンキャっていうのは、フィジカル~アストラルな宇宙がどの様に発生したかを定義しています。それによれば(私なりの言葉を使うと)、初めにプルシャ(静的エネルギー)とプラクリティ(動的エネルギー)の二極があって、これらが互いに作用しあうことによって、本来、完全であり安定した世界に揺れ(?)が生じ、様々な属性、性質が発生していく、という定義になります。

プルシャ(見る者)プラクリティ―(見られるもの)とか言いますけど、静観するエネルギー&創造するエネルギーとでも言いましょうか。それぞれは、単体では何も起こしません。

またもや乱暴な例え話をしますが、足が不自由で歩けないけど目が見える人と、歩けるけれど盲目の人がいますね。それぞれ、銀座に行きたいけど、二人とも個人では行けない。一方は、歩けないから進めないし、一方は、見えないから道を行けない。何も起こりません。


でも二人が出会って、盲目の人が足の不自由な人をおぶったらどうでしょう。目の見える方が、方向を指示し、歩ける方が、銀座に向かって歩けば、ことが起こるわけですよね。

こういう風にして、ことが起こって、初めて世界に色や匂いがついて、あるいは音が発生して、形が現れて、性質が出来てくるよ、ってことです。プルシャとプラクリティっていうのは、相対的に見たら、そういうことかな。でも二つは一つなんですよ。おんぶの二人みたいに。簡単に言うとこんなとこかな。

いつかどこかでお会いできたら、じっくりサシで説明したいです~。うずうず。

良いクリスマスをお過ごしくださいね。


Sita

Merry Christmas !

BVD12月24日(土) 17:50‐19:20 YOGAJAYA (代官山) 

Sivananda 2 (4名)

【予定】

・シャヴァーサナ

・カパラバティ、アヌロマヴィローマ(relax)

・スーリャナマスカール(relax)

・Leg Raises(relax)

・頭立(relax)

・肩立‐ろうそく‐鋤‐ブリッジ(relax)

・魚

・前屈‐インクライン(relax)

・ローカスト※効能フォーカス=体を温める

・シャヴァーサナ

※話すこと 5つの基本ポイント&左右のナディ



【反省・感想】

初めてのクラス。所々しどろもどろだし、英語と日本語が混じる。太陽礼拝では左右を間違える。が、生徒さんが温かく見守ってくれてありがたかった。やはり時間が足りなくなり、ローカストのカウンターを逃したのと、歩き廻ってコレクトするのが難しくて上手に出来なかった点は反省。次回からは無理のないプランをキッチリ立てること。PrayerやRelaxへの誘導はまあまあだった。(2005年12月24日)



 これは4年前の私のノート。人生で初めてのクラスの記録です。オシャレな都会にあるyogajayaで教えることになってしまった私は、みすぼらしい自分が本当に居た堪れなくて、飛行機に乗ってアシュラムに逃げ帰ってしまいました。そんな私にスワミジは「あ、シ~タ~、来たの?」と実にニコニコのんびりしている。あの~、そんなニコニコしちゃって・・・こっちは一大事なんですけど・・・。気を取り直して「初めてのクラスをしなきゃいけなくなってしまった。怖いです、やばいんです。」と泣きついてみたら「君なら出来る。You should be a good teacher. さあさ、行きなさい!」とのこと。「もっと甘えていたかったけど、巣立たなきゃいけないんだな」と理解して東京に戻り、「これから(辛いかもしれないけど)三年間、逃げず、甘えず、東京で恩に報いよう」と決意したのでした。



 クリスマスイブ。もしも、奇蹟が叶うなら、掌の中の小鳥みたいな気持でいた、あの日の自分に会って、教えてあげたかったです。「ねえ、1460日後、あなたは・・・というか私は、沢山の生徒さんに囲まれて、奈良のお山にいるよ、とっても幸せだよー!」と。



 玉蔵院での合宿が終了し、また浦島太郎のように、いつのまにか東京に帰ってきました。今回、本当に素晴らしい時間をつくって頂き、感謝しています。皆さんに会えて本当に嬉しかったから、ちょっと寂しいくらい。またきっとどこかで会いましょうね。本当に本当にありがとうございました。



 あ・・・、あの4年前のイブの夜、クラスに来てくれた4人は、私に訪れた最初の天使だったんですね・・・。


天使達へ
愛と感謝を

Sita

2009年12月18日金曜日

みんなのQ&しーたのA

クリスマスですね。クリスマスメールが続々と届きます。写真は阿波踊りが大好き、カルカッタ出身のシャンカラさんから、プレゼント写メールです。キレイですね、ありがとう。さて今回はプライベートなシーンでの質疑応答なので、かなり個人的で率直なアンサーですが、インタビュー記事と思って軽く流してください。

Q. 以前シータさんが「ATTCに行くなら、TTCから三年後に行ってごらん」と言っていましたが、どのような意味あってのことでしょうか?また、ATTCによる自身へのメリットとは何だと思われましたか?



A. TTCで教わるのは教え方というよりも実は「今後しばらくの練習の仕方」なんですよ。その心構えで3年練習したらその頃には次の課題に耐え得る心身の準備が出来てるってことです。3年てのは単なる経験則で、人間の場合、物事が身につくのに3年かかるな~って気が、私はしてるんですね。地球上で我々には、時間や肉体などの物理制限がかかってるし、或いは植え付けた酒種が醸されるまでの3年間・・・。
 実際に私の友人のMは(すでに良い先生だったはずですが)TTCの翌年に行って「しまった~」と思ったそうです。理解の為の土壌がまだだった!って。正直者ですね・・・、要は良く自分を理解されてるんですよね、彼女は・・・。逆に私にとっては「教え続けた3年の経験が全て繋がった」実にオイシイATTCでした。

 資格なんて行けば誰でも取れるんです。だからディプロマは先生の実力を示す物ではない。なので資格がATTCのメリットとは言えません。信念を持って耐え忍ぶ3年間の繰り返しこそが、実は先生達のエクスカリバーだと思う。

 まあ3年とも限らないんでしょうけど、仮に3年同じモチベーションを持ち続けれたらすごいぞ…って基準とも言えます。3年その思いを持ち続けてベタに頑張り続けられるのかと。実際はTTC行って気持ちが盛り上がっている内にATTC行って、肩書き貰ってハイ消えたの世界ですからね。しかし石の上にも三年なんて、日本人はよく言ったものです。


 結局ATTCは次の練習課題の授与であると同時に、TTC後にどう信念を持って、どんな心の経験を経て生きたかを確認する場だとも言える気がします。 冷めない鉄であればATTCなんていつでもいい気がするし、逆に冷める鉄だったら急いでATTC行っても意味ないとも思えるんですよね。これが正直な私の意見ですかね。何かをtakeしにいこうすると、何もtakeできない、そういう場所なような気がしています。結局、何を手放していけるか、ってことなのかな・・・。なんか舌切雀のお話みたいですね。

2009年12月16日水曜日

photo

インドのキャンディーズ(古い・・・)もとい、ヨーギーズで~す。
左からかKanimooli、Sita、Raji。 若干一名、とうが立ったのが居ます・・・すみません。夕暮れ時、スクーターに三人乗りしてお寺詣りにいったりしましたね、例によってノーヘルで、ドレスの裾をバタバタさせて・・・。Rajiはこないだお嫁に行きました。Santoshを完全に得ている人たちで、彼女達から学ぶことは本当に大きかった。やばい、やばい、またもホームシック?

2009年12月15日火曜日

湘南からの手紙

「 『ついこないだお正月だったのに、ほんっとに、あっという間よね~!』って、毎年同じこと言ってるよねぇ~!」と言う時期が、今年も巡ってきました。光陰矢のごとしですね。

 でも、振り返ってみると、私の2009年は、とっても長い一年だったような気がします。数年分が詰まっていた感じ。おかげですっかり白髪も増え、浦島太郎気分ですが、そんな私の2009年は、助手として参加したTTCから始まりました。そこに生徒としていらしてた久保さんとの最近のメールのやりとりの中で、もう、ジーンときてしまいまして、少し引用させていただきますね。 代弁者だなって、思いました。

「悩みを抱える生徒さんの為に、俺に何ができるか悩んでいたけど、シータさんのメールでやさしさもらって、そしたらクラスのとき、一生懸命やってる生徒さん見てたら涙出てきて、先生が泣いてしまって、泣きながらあやまって、生徒さんも笑いながら泣きだして、ぐしゃぐしゃになって、泣きながら、俺たちは愛、思いやり、慈しみ、やさしさが本質であること、それがちょっと疲れたり忙しかったりしているだけだということ、ひとりひとりがよくなれば、きっとみんながよくなるということ、俺たちはそういうことを伝えたいためにやっているんだと話しました。ホントのことだから。」

 久保さんは帰国後、湘南は茅ヶ崎でヨガ教室(http://pro.sivanandashonan.org/ )を始められました。他の皆も、それぞれの地域で、ご活躍のことと思います。東京のセンターで無償でクラスを受け持ってくれている方も居ます。私も、ちゃんと素敵になって、皆さんに会いに行きたいです。来年は、茅ヶ崎をはじめ、札幌、旭川あたりに足を延ばせたらと思っています・・・。

 そんな訳で、2010年も長い一年になりそうな予感です。また10月にはSYVC Japan 主導のTTCをタイで行う予定。今度は助手でなく、何かの教科でメイン講師を努めることになっています。わんこ蕎麦みたいに、ハードルが次から次へとやってくるので、飛び続ける為に、鍛え続けなくてはいけない。本当に、教えることは学ぶことなり、ハードルをぶんぶん投げてくれる存在に感謝です。

2009年1月ジャパン組、元気ですか?愛してますよー。

2009年12月11日金曜日

「if 」

 成田エクスプレスの中で繰り広げられた、熱~いミーティングの最中。スワミ・マハデヴァナンダジがこう仰った。「んも~!キプリングの有名な詩でイフってのがあるから読みなさいっ!」

 「ジャングルブック」のラドヤード・キプリングのことです。ネット上ではあまり良い翻訳が見つからなかったので自分で訳してみました・・・ら、あ、これはヴェーダンタですね。・・・ということなので、みんなで読みましょう。


「もし」

:

もし、迷える人に謗られても、冷静を保つことが出来るなら

もし、人に疑われても、己を信じ、彼らを許せるのなら

もし、待つことが出来、しかも飽かずに待てるなら

あるいは 人に騙されたとて、自ら人を騙さずに

あるいは 誰かに憎まれたとて、人を憎み返さずに

しかも気取らず、賢者のふりをせぬのなら

:

もし、夢を見ることが出来つつも、夢に支配されぬなら

もし、考えることが出来つつも、それを目的とせぬのなら

もし、勝利も災難も、虚像と等しく扱えるなら

あるいは 悪意の者が、真実を捻じ曲げ

あるいは 人生を賭けた何かが、目の前で崩壊しても

身をかがめ 古い道具で 作り直すことが出来るなら

:

もし、過去の勝利の結晶を、賭けてコインを投げれるのなら

もし、負けて不平の一つも無しに、一からやり直せるのなら

もし、その心臓も、神経も、その腱さえも衰えて

あるいは 意志の力しか

あるいは 残っていないとしても

わずかな気力を振りしぼり 頑張ることが出来るなら

:

もし、その美徳を損なわず、群衆の中で語れるのなら

もし、民の心を失わず 王者と共にも歩めるのなら

もし、友であろうと無かろうと、誰によっても傷つけられず

もし、万人の中に価値を見出し、さりとて崇め過ぎもせず

もし、緊張に満ちた一分間を

あるいは 六十秒の長距離走のごとく

あるいは 捉えることが出来るなら

すべてを包括する世界は 君のものとなる

我が子よ そのとき 君は大人なのだ

:

:

If

If you can keep your head when all about you

Are losing theirs and blaming it on you;

If you can trust yourself when all men doubt you,

But make allowance for their doubting too;

If you can wait and not be tired by waiting,

Or being lied about, don't deal in lies,

Or being hated, don't give way to hating,

And yet don't look too good, nor talk too wise;

:

If you can dream -- and not make dreams your master;

If you can think -- and not make thoughts your aim;

If you can meet with Triumph and Disaster

And treat those two imposters just the same;

If you can bear to hear the truth you've spoken

Twisted by knaves to make a trap for fools,

Or watch the things you gave your life to, broken,

And stoop and build 'em up with worn-out tools;

:

If you can make one heap of all your winnings

And risk it on one turn of pitch-and-toss,

And lose, and start again at your beginnings

And never breathe a word about your loss;

If you can force your heart and nerve and sinew

To serve your turn long after they are gone,

And so hold on when there is nothing in you

Except the Will which says to them: "Hold on!"

:

If you can talk with crowds and keep your virtue,

Or walk with kings -- nor lose the common touch,

If neither foes nor loving friends can hurt you,

If all men count with you, but none too much;

If you can fill the unforgiving minute

With sixty seconds' worth of distance run --

Yours is the Earth and everything that's in it,

And -- which is more -- you'll be a Man, my son!

            ‐Joseph Rudyard Kipling


大人のハードルってなかなか高いんですよね。

大人に、なれてるかな?

2009年12月7日月曜日

photo Homesick


どうしたことか、ホームシックです。インドの同僚たちが恋しい・・・。まあ年に一度くらいはセンチメンタルも良いかと・・・。久々の越冬 in Japanなので、単に寒いからという話もちらほら。一緒に働いていたイシュワリと、アヌ&サンディープ兄弟・・・あれ、左の男の子の名前は忘れてしまった・・・。ぐすん。


こんな気分の時はマニ・スマイルで元気をだそう・・・というよりもむしろ、後ろの神様に注目。・・・誰?

「獲ったどーっ!」 もとい

「ニーヨークに行きたいかーっ!?」

あ、元気でました。

福留さんでした。

2009年12月6日日曜日

photo 小学校!

はいっ次っ、チャクラーサナ!というとバシッと。楽しいね~。
教室でーす。ブジャンガーサナ。
見学しててラッキー!写真大好き。みんなはウシュトラーサナ。
「こらーっ、静かにしなさい。」といいつつ私も「イェーイ!」
ちなみに・・・2009年のマニです。大きくなったね。
ちゃんとお話も出来るようになりました。








photo Kids Yoga 2008

マニの前屈。私はこのマニ君のとりこです。可愛い!3~4歳くらいだと思う。
ダヌラーサナでーす。


こうなっちゃうとポーズの名前わかりません!
ベーカーサナでバックべンドして膝をつかむ。

パドマーサナでハンドスタンドして反る。




先生の指示で呼ばれたお兄さんお姉さんがヴリスチカーサナ
・・・をしてたら、「僕だって~」とマニがトコトコ出現。
彼のおはこ、ブジャンガーサナ。僕だって~。
んも~、アイ ラブ ユー ベイビーです!