2012年7月5日木曜日

The Moneyless Man

今日は久しぶりに一日家にいたので頑張ってみましたー。ようやく英語版のウェブサイトをほぼ完成させてみました。まあ無理矢理終わらせたので、英語が間違っていることは確実なんですけどね・・・・。まあ、いいっしょ。早速ゴパールジに見せます。



また本の話ですけど、アイリッシュの若者の書いたThe Moneyless Man (邦題「ぼくはお金を使わずに生きることにした」)は面白いですよ。

持続可能な社会を目指しての実験として一年間のカネなし生活に挑む、ワイルドなくせに知的な若者マーク・ボイル。軽妙な日本語訳も最高でした。現代の「経済」と「流通」がいかに無理・無駄・ムラからなのかが、数字としてもよーくわかる。資本を売って収益というなかれってこと。資本ていうのは地球そのもののことですよ。



ほとんどの人は、生まれたときから「おまえに安心をもたらすのは(地域社会ではなく)何と言ってもお金だよ」と教えられて育つ。なるほど、すでに持っている物を守ろうとするのは人間の習い性である。そうでもしなければ、万一のときに何を頼りにしたらいいのか。ぼくがカネなし生活からまっさきに学んだ最大の教訓は、人生を信じることであった。自ら与える精神を持って日々を生きれば、必要なものは必要なときにきっと与えられる。ぼくはそう確信している。これを理性で説明しようという努力は、とっくの昔に放棄した。感性と経験から導かれた確信である。(中略)ぼくの経験では、何の見返りも期待せずに惜しみなく与えていれば、かならず人からも惜しみなく与えられる。与えては受け、受けては与える、有機的な流れだ。この魔法のダンスに、地球全体の生態系は基づいている。けれども、その流れに乗るには、ひたすら信じる必要がある。必要な物は自然が与えてくれると信じることだ。これをキリスト教徒は「自分のまいた種を刈りとる」と表現し、仏教徒は「因果応報」と呼ぶ。無神論者に言わせれば「常識」だ。


「人生を信じる」というところで完全に共感しましたね。私は何も持たないしょうもない人間ですけど、「人生を信じ」てる。それが私の全てです。


あと、夏のキャンプ生活の箇所は胸躍ったな。



冬から春にかけてはカネなしの壁を思い知らされる瞬間がどうしたってある。でも夏がやってきた今は、自分がカネなしで生きていることも忘れてしまう。ぼくはただ生きていた。


ただ生きていた」感覚って、私にとって小学校の夏休みに駆けずり回って遊んだ時とか、インドの大自然の中をバイクで駆け巡ったときとかのことだよね〜。ああ、いいなあ。全ての瞬間をこの感覚で満たしたい。

そういう風に生きたいのです。シンプルに。

政治の腐敗、エネルギーの問題。現代の混乱は人の仮面をかぶった餓鬼のカネ・カネ・カネと踊る故でしょう?「ただ生きる」喜びに「生きる」ことを忘れた亡者たちの・・・。一読の価値ありだと思います。おすすめ。

ではまたね。