日本の震災と津波に際し、被害に遭われた皆様のご無事と平穏を強く願うと共に、お亡くなりになられた方のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
東北、北関東沿岸部の生徒の皆さんはどうされているでしょうか?私の実家は茨城なのですが、この大事なときに、インドの携帯電話とインターネットのコネクションの不具合があり(インドではよくあることなのですが、自分勝手なことに)大変やきもきしてしまいました。
地震発生から一日半たった昨夕、ようやく、別の回線を得て、家族と話すことが出来ました。わざわざAmboliまで電話をくれたMahalakshmi、スワミジ宛に電話をくれた別のMahalakshmiはじめ、心配してくださった方々に、両親の無事をご報告させてください。そして住所不定の私の安否を気遣ってくれた友人達にも、私が元気であることを。
ドバイにいらっしゃるスワミジのお兄さんが、いち早く電話で知らせてくれたので、昨日から、スワミジと共に痛ましいニュースを注視していました。いつかは起こる事とわかっていたし、起こってしまった事実を変えることは出来ないって事も、重々理解していつつもりでしたが、胸の痛みを抑えることは出来ませんでした。(私も、当事者の方にしてみれば家族の無事を確認できた吞気な他人の一人なのかも知れないけど)、為すすべもなく亡くなられた方の無念、ご家族や家を失われた方の悲しみは、やはり私自身の痛みにも違いないからです。この痛みと悲しみが、なかなか拭えずにいます。
家族も家もいつかは無くなるもの、普遍のものではないとわかっていても、痛みは痛みとしてそこにある。これもまたリアリティーです。原発の爆発したこともまたリアリティー。
天災を前にして、やるせなさ故に、何かを.....吞気な他人や、政府や.....を責めたくなるけれども、本当に大事なことは、この痛みと現実に、果敢に向き合うことなのかも知れません。そして全体を見ること。どんな苦境にあっても精神的近眼になってしまっては、そこに解決策は無いような気がしています。また私達のような職業の者にとっては、他の痛みに共鳴できるということは、大事なことであるのかも知れません。
ここ数日、Amboliではウッダヴァギーターの講義が進行中です。ブラフマが息子の質問に答えられず困った場面を、先生がこのように解説していました。「為すすべのない、ヘルプレスの時に出来る唯一のことは祈りだ」と。ブラフマの胸の内の祈りはクリシュナに届いて、クリシュナは白鳥に姿を変えて彼を助けに行きます。ちなみに助けに行くということは、教えに行くってことなんですね。痛みや悲しみの向こうにある普遍の真実を見せる為に。
日々お寺に赴き日本の為に祈って下さる、Vedanta Camp の先生、生徒の皆さん、私の友人である司祭、Yogi、Yoginiに、この場を借りて、心からありがとうございます。
一日も早い復興と、私のふるさと日本の精神的成熟を祈りつつ
Om shanti shanti shantih
Sita