こないだ、スワミジが言っていたのだけど、火に触って火傷した人が火に向かって怒ることは無い。確かに、私達は誰かにぶたれたら、その人に反発心を抱くし、時には殴り返そうとするけれど、地震を起こした地殻に恨みを抱いて、報復を企てる人がいたら、その人が何らかの不具合を抱いているってこと、みな分かるよね。人は知っているんです。私達が大自然の営みを手中に収めることは出来ないってことを。なぜなら、私達は母なる自然の懐に抱かれている子供だから。
では、私達になすすべは無いのか?いったい何が出来るのか?祈ることしか出来ない。でも、祈ることが出来る。これは大きなことだと思います。
お母さん、私達の過ちをどうぞ許してください。
お母さん、私達を守り、育んでください。
どうぞ、あなたの子、この「世界」を癒してください。
そういえばいつだって、叱るのも母、慰めるのも母でした。
私達の祈りが、メッセンジャーであるサジットの儀式に乗せて、世界に届きますように。でも、届くも届かないも、本当は無いんだよね。だって祈りは調和そのものだから。私もあなたも、どこもかしこも、本当は離れてなんか居ないんだから。祈りとはすなわち全体。そして私達は祈り。
さらに、昨日は私の苦手なホーリーでした。用心してどこにも行かず、じっとしていたのに、灯台下暗し。キッチンブラザーズと子供達にしてやられました。顔はドロドロ真っ赤っか。頭からバケツいっぱいのターメリック水をぶっかけられ。でも、ホーリーって、ただの馬鹿騒ぎと思っていたら、バーラクリシュナの祭事らしいですね。色粉や水をかけあうのにも意味があるのだそうです。そういうことなら、仕方ない。許す。じょうろで洗ったらだいぶキレイになったしね。
また、人間である以上、いつか必ず、お別れしなくてはいけない私達だから。
でも、きょうだい・・・
来年みてろよ!(おとなげ無い?)
またお便りします。
しーた