2011年3月20日日曜日

母に願いを。

 昨夜は満月でしたね。なので、私達は母なる女神に捧げる儀式を行いました。仲良しである司祭のサジットはマドライに居たときに最初に出来たお友達ですが、私は彼の儀式が大好きです。どう好きかというと、とてもキレイなの。キレイというか、清い。今までに見てきた数あるプージャの中でも飛びぬけて清浄です。それが彼の儀式の個性でしょう。日頃彼がどれだけ浄化に努めているのか、手に取るように分かる。ありがたいことに、今、彼がここに居てくれて、スワミジの無茶振りによって、毎朝、毎朝、ガネーシャのホーマ(護摩焚き)やってます。ガネーシャは障害を取り除く神様です。ということで、私は今年に入ってから、もう軽く20回くらいプージャをやってることになり、ありがたき異例。スワミジは何も言わないけれど、多分、今回の津波に始まる一連の不安に対しての決断だったんだと思います。





 こないだ、スワミジが言っていたのだけど、火に触って火傷した人が火に向かって怒ることは無い。確かに、私達は誰かにぶたれたら、その人に反発心を抱くし、時には殴り返そうとするけれど、地震を起こした地殻に恨みを抱いて、報復を企てる人がいたら、その人が何らかの不具合を抱いているってこと、みな分かるよね。人は知っているんです。私達が大自然の営みを手中に収めることは出来ないってことを。なぜなら、私達は母なる自然の懐に抱かれている子供だから。


 では、私達になすすべは無いのか?いったい何が出来るのか?祈ることしか出来ない。でも、祈ることが出来る。これは大きなことだと思います。

 お母さん、私達の過ちをどうぞ許してください。
 お母さん、私達を守り、育んでください。
 どうぞ、あなたの子、この「世界」を癒してください。
 

 そういえばいつだって、叱るのも母、慰めるのも母でした。

 私達の祈りが、メッセンジャーであるサジットの儀式に乗せて、世界に届きますように。でも、届くも届かないも、本当は無いんだよね。だって祈りは調和そのものだから。私もあなたも、どこもかしこも、本当は離れてなんか居ないんだから。祈りとはすなわち全体。そして私達は祈り。



 さらに、昨日は私の苦手なホーリーでした。用心してどこにも行かず、じっとしていたのに、灯台下暗し。キッチンブラザーズと子供達にしてやられました。顔はドロドロ真っ赤っか。頭からバケツいっぱいのターメリック水をぶっかけられ。でも、ホーリーって、ただの馬鹿騒ぎと思っていたら、バーラクリシュナの祭事らしいですね。色粉や水をかけあうのにも意味があるのだそうです。そういうことなら、仕方ない。許す。じょうろで洗ったらだいぶキレイになったしね。

 また、人間である以上、いつか必ず、お別れしなくてはいけない私達だから。






 
でも、きょうだい・・・


来年みてろよ!(おとなげ無い?)


またお便りします。


しーた