2010年6月14日月曜日

「怪物くん」を熱く語ってみました~!



 昨日、「怪物くん」最終回みました~。テレビを持っていないので、youtubeで見たんだけど、みんなも見た?嵐の大野君、良かった~。さすが武蔵野の誇る勇!


 私は、「怪物くん」は第二世代(=カラーアニメ時代)だけど、子供のころ、欠かさず見てました。藤子不二雄に限らず、手塚漫画をはじめとする昔の日本の少年漫画は、世界に誇れる名作揃いですね。「善」か「悪」かのヒロイズム(およびアンチヒロイズム)ではなく、「全体としての友愛」をまっすぐ説いてくるからです。これって、実は、なかなか過激なことだと思うんですよ・・・。実際、この傾向って、世界でも珍しいんじゃないかな・・・って。だって、正論過ぎて「お金によって支配されるまやかしの世界」と、反りが合わない部分があるような・・・。でも「グローバルな友愛」って今後の世界の大きなテーマな気がするんですよね~。しかも世界中の人も、チラッとそこに気付き始めてる気が・・・・。



 さて、今回のドラマですが、怪物ランドの王子である怪物くんは、自分勝手で傍若無人、最悪なドラ息子なんです。それで「根性叩きなしてこい!」ってことで、人間界に堕とされてしまう。そこで、ヒロシに出会って学ぶ訳です、友愛を。他にも、なぜ働くのか、なぜ助けあうのか、死とは何か、なぜ命は尊いのか、いろんなことを知って成長します。そういうの全て、本当は、個々の大人が日々の中で子供らに教えていかねばならないことなんだけどね、なかなか、難しい世の中じゃないですか。


 それにしても、最終回はいつにも増して、深かった。怪物くんは、人間界でむやみやたらと神通力を使えないように、その力を封じられてしまっているんですが、人類危機一髪という状況下で、彼があることを悟った瞬間、その封印が解けるんですよね。



突然、話は逸れますが、以下は、瀬戸内寂聴さんの対談から抜粋。


「結局お坊さんというのは、すべて代受苦を理想としなければならない。代受苦を実践しないとお坊さんとは言えないと思うんですよ。だから人の苦しみを代わって苦しんであげる。自分が倍苦しむことによってだれかが楽をする。その思想がなければ僧侶とはいえないと私は思いますね。」



 再び怪物くんに戻りましょう。怪物くんは、悪魔王子デモキンが人間を滅ぼそうとして暴れるなか、我が身を呈して他を守ろうとする人達を目撃します。そして、不思議に思う訳です。



「なんでこいつら、命がけで人を庇ったりするんだろう。なぜ人の為に、苦しむんだろう。自分が痛い方が嫌じゃねえか?わかんねえよ、なぜなんだ・・・?」



 なにせこの人は、傍若無人の俺様オトコだから、わかんないんですよ、愛とか、そういう繊細なことが。でも友達のヒロシがやられそうになったとき、咄嗟に身代りになって、グサッと刺されちゃう。しかしです・・・彼はその無我の行為によって悟ったんですね、身を捨てて他を救う「忘己利他」の精神・・・代受苦ってやつを。その悟りによって封印が解け、怪物くんは、デモキンと戦う力を取り戻します。



デモキン 「なぜそこまで人間を庇う?人間はみな己の欲の為に生きている。100年にも満たない短い命を生き急いでな!」


怪物くん 「わかってねえな、確かに人間の寿命は短い。でもな、だからこそ短い命を必死に生きてんだ。過ちに気付いたら、何度でもやり直そうと頑張って成長すんだ!」


デモキン「人間など下等で弱い愚か者だ。救う価値などない。」


怪物くん「弱くて何が悪いんだ!弱いからこそ強くなろうって生きてんじゃねえか!弱いからこそ手と手を取り合って生きてんじゃねえか!」


デモキン「それは詭弁だ!」


き、詭弁って、あのー、子供向けドラマじゃなかったのか~???・・・これは、王子の修行と悟りの物語だったんですねぇ。私的にはですねえ、そのあたりを踏まえて、大野君は役にピッタリだった気がします。身にしみて感動したし、勇気を貰えたな。そうそう、怪物王子と悪魔王子は「共存しようよ」って方向性で終わってましたよ。ディス イズ ザ ジャパニーズ カルチャー。誇りだよなぁ。



ちなみにですが、私は、先生にこう教わってます。


「ヨーガで得た力を良い事に使わない限り、ヨーギとは呼べない。その力を正しく使って、人の為に使って、初めてヨーギになるんだよ。」

己を忘れ他を利する、ヨーガの修行とは、忘己利他その為にあるようです。



夢見るピノコより