2010年4月7日水曜日

インドの与太郎


 私、落語といえば、与太郎ものが、けっこう好きなんですね~。

 そしたら、なんと、インドにも与太郎がいることが判明。彼の名はMulla Nasreddin。Mullaはタミルっぽいけど、Nasreddhinは中東っぽい響きなので、インド中近東一帯の与太郎なのかも知れない。そんなMulla話の一つを、月曜日のサットサンガでマニ先生がお話してくれましたよ。


 ある日のこと、Mullaは大勢の友達とお喋りをしています。
 話題は「ケチ」について。

「ケチっていえば、Mulla、おめえのことだよ。」

「なんだと~?誰がケチだってんだい!俺は断じてケチなんかじゃ無いぞ!」

「いや、 お前さんはケチだよ。だいだい、俺らの中の誰一人だって、お前さん家に招待されたことがない。そういうのをケチってんだよ。」

「言いやがったな、おぃ!だったら俺がケチじゃないってことを証明してやろうじゃねえか。おめえら全員、今すぐうちに招待するぞ!」

「よっ、いいぞ!そうこなくっちゃ、行こう、行こう。みんな揃って行こうじゃねぇか。」

 Mulla、友人をそぞろ引き連れて家に向かいましたが、扉の前でつと立ち止まる。

(あ~、まずいことになったよ~、こんなに大勢連れて来て、かあちゃんが怒るよ。うちのかあちゃんが怒ったら、鬼が太鼓持って暴れてるのとおんなじだ。怖いの怖くないのって・・・。)

 Mullaは実は恐妻家だったのですな。

「おう、みんな、ちょいと表で待っててくれぃ。準備が出来たら呼びにくるよっと~。」

 そう言って、Mullaは家の中に入って行きました。


「あら、あんた、おかえり。なんだか様子が変だね?なんかあったかい?」

「いや、なんにもねえ。断じてなんにもねえよ。それよりおめえ、誰か客が来ても、俺は居ねえって言っとくれ。」

「変な人だね~。わかったよ。居ないって言えばいいんだね。」

「おう、そうだよ。」

 と中にも外にもシラを切ることにした。
 
 その頃外では・・・・

「変だな。Mullaの野郎、家に入ったっきり出てきやしない。誰か、ちょっと行って、ノックしてきな。」

「ほいきた。トン、トン、トン。おーい、Mulla、どうした?まだか?」

 すると、おかみさんがドアから顔を出します。

「Mullaなら、居ないよ。」

「何をいうんだい、おかみさん。おいら、あいつが家に入るのをこの目で見たよ。第一あいつが、ここで待ってろって言ったんだもの。」

「居ないもんは、居ないんだよ。」

「いやぁ、そんな筈はねえ。ヤツを出しとくれ。」

 玄関での押し問答が続くなか、隠れているMullaはビクビクして、どうにもこうにもない。もともと気の短いMulla、ついに居てもたってもいられなくなりまして、窓から顔を出すってえと

「Mullaならここにはいねえよ、裏から出て行った。」

 ・・・・本人が顔出したらバレバレなんすけど~!ってのが落ちなんだけど、この話の教訓は「真実は必ず露見する」ってことだそうですよ。


 もっと、わかりやすい文章を引いてみると・・・昔ジャックスというバンドにいた、早川義夫さんの言葉で

「伝えられることは、本当のことしかなくて、伝わってくるのも、本当のことしかない。」

「もしも嘘をつけば その嘘は伝わらずに 汚れた息づかいが 伝わってしまうだけ」

「何も伝わってこなければ、何も伝えるものがないのであって、かっこだけが伝わってくるのは、かっこつけてるよということを伝えたいのだろう」

「音が出る一歩手前の沈黙。音を出す一歩手前の息づかい。それが美しいかどうかですべてが決まる。音楽は音でもない、言葉でもない。沈黙なのだ。」

 早川義夫を引用するヨガの先生というのも、本邦初なのでは・・・という気がしますが、本当は、本当のことしか伝わらないし、つまり人は、伝わっている姿そのものでしかないってことですな。・・・ま、お後がよろしいようで。