私、落語といえば、与太郎ものが、けっこう好きなんですね~。
そしたら、なんと、インドにも与太郎がいることが判明。彼の名はMulla Nasreddin。Mullaはタミルっぽいけど、Nasreddhinは中東っぽい響きなので、インド中近東一帯の与太郎なのかも知れない。そんなMulla話の一つを、月曜日のサットサンガでマニ先生がお話してくれましたよ。
ある日のこと、Mullaは大勢の友達とお喋りをしています。
話題は「ケチ」について。
「ケチっていえば、Mulla、おめえのことだよ。」
「なんだと~?誰がケチだってんだい!俺は断じてケチなんかじゃ無いぞ!」
「いや、 お前さんはケチだよ。だいだい、俺らの中の誰一人だって、お前さん家に招待されたことがない。そういうのをケチってんだよ。」
「言いやがったな、おぃ!だったら俺がケチじゃないってことを証明してやろうじゃねえか。おめえら全員、今すぐうちに招待するぞ!」
「よっ、いいぞ!そうこなくっちゃ、行こう、行こう。みんな揃って行こうじゃねぇか。」
Mulla、友人をそぞろ引き連れて家に向かいましたが、扉の前でつと立ち止まる。
(あ~、まずいことになったよ~、こんなに大勢連れて来て、かあちゃんが怒るよ。うちのかあちゃんが怒ったら、鬼が太鼓持って暴れてるのとおんなじだ。怖いの怖くないのって・・・。)
Mullaは実は恐妻家だったのですな。
「おう、みんな、ちょいと表で待っててくれぃ。準備が出来たら呼びにくるよっと~。」
そう言って、Mullaは家の中に入って行きました。
「あら、あんた、おかえり。なんだか様子が変だね?なんかあったかい?」
「いや、なんにもねえ。断じてなんにもねえよ。それよりおめえ、誰か客が来ても、俺は居ねえって言っとくれ。」
「変な人だね~。わかったよ。居ないって言えばいいんだね。」
「おう、そうだよ。」
と中にも外にもシラを切ることにした。
その頃外では・・・・
「変だな。Mullaの野郎、家に入ったっきり出てきやしない。誰か、ちょっと行って、ノックしてきな。」
「ほいきた。トン、トン、トン。おーい、Mulla、どうした?まだか?」
すると、おかみさんがドアから顔を出します。
「Mullaなら、居ないよ。」
「何をいうんだい、おかみさん。おいら、あいつが家に入るのをこの目で見たよ。第一あいつが、ここで待ってろって言ったんだもの。」
「居ないもんは、居ないんだよ。」
「いやぁ、そんな筈はねえ。ヤツを出しとくれ。」
玄関での押し問答が続くなか、隠れているMullaはビクビクして、どうにもこうにもない。もともと気の短いMulla、ついに居てもたってもいられなくなりまして、窓から顔を出すってえと
「Mullaならここにはいねえよ、裏から出て行った。」
・・・・本人が顔出したらバレバレなんすけど~!ってのが落ちなんだけど、この話の教訓は「真実は必ず露見する」ってことだそうですよ。
もっと、わかりやすい文章を引いてみると・・・昔ジャックスというバンドにいた、早川義夫さんの言葉で
「伝えられることは、本当のことしかなくて、伝わってくるのも、本当のことしかない。」
「もしも嘘をつけば その嘘は伝わらずに 汚れた息づかいが 伝わってしまうだけ」
「何も伝わってこなければ、何も伝えるものがないのであって、かっこだけが伝わってくるのは、かっこつけてるよということを伝えたいのだろう」
「音が出る一歩手前の沈黙。音を出す一歩手前の息づかい。それが美しいかどうかですべてが決まる。音楽は音でもない、言葉でもない。沈黙なのだ。」
早川義夫を引用するヨガの先生というのも、本邦初なのでは・・・という気がしますが、本当は、本当のことしか伝わらないし、つまり人は、伝わっている姿そのものでしかないってことですな。・・・ま、お後がよろしいようで。