「お久しぶりです。お元気ですか?すっかりご無沙汰してすみません。 自分の世界に没頭していましたー。」
・・・とのメッセージを友人に送ったら
「わー、それはどんな世界でしょう?」
とレスポンス。
・・・・というようなやりとりがあって考えた。
確かに、どんな世界?
うーん、一つ言えるとしたら、それは、めくるめく自己中世界ですよ。
社会の一員たるもの、人間は多少なりとも自分の外からの視点を想定して、様々な行いをするわけですけど、その視点の想定を、可能な限り削ぎ落として過ごしたい気分・・・そんな世界。
「全体の中におけるバランス」は無視して、自分のすべきこと、したいことだけど、ひたすらやるって感じ。
・・・と、まあ、SNSやブログの更新の無いことへの、かっこいいタイプの言い訳だったり(笑)。
この没頭のなかでですね、色々なことを考えて、それを醸して、過ごしていました。
そうそう、醸してた!そういう世界だわ。
このところ月イチで、ご近所仲間の友永乾史さんとオンラインのトークライブをやっていて、チケット購入時に、私の個人的な興味から小さな質問をさせてもらってる。
「冬のお楽しみは何ですか?」
とか、そいういう簡単な質問。
回答は任意だけど、皆さん、いろいろとお答えくださって、それを集計したものを、トークの中で発表させて貰うんです。
で、先月のライブを聞いてくれていた方と、後日公園で待ち合わせした時のこと。
「2021年の豊富のアンケート、皆さんの回答聞いてて号泣しちゃった。」
え?
「”日々丁寧に笑顔で過ごすこと”とか、”小さなことからコツコツと”とか、”体に優しいお料理やお菓子を少しは作る”とか、”とびきり美味しい飲み物をいつも作れる人でいる”とか、聞いて涙腺崩壊。」
ええっ!そこ?どっちかっていうとほっこり系の答えだけど?
聞けば、遠く離れて暮らすお母さんを思ってのことだそうです。
合理主義的な都会のリズムに馴染んでしまい、あるいは時間に追われて、あるいはコロナのせいにして、大切な人との繋がりや、生活のなかの小さな一瞬のすべてから、丁寧さを省いてしまっていることに気が付いた。お母さんにも寂しい思いをさせてしまい、自分は何をやっているんだ、と泣けてきた。自分に対しても、人に対しても、丁寧に生きようと決意した。
・・・とのこと。
このお話を聞いたら私も泣けてきて、親にはなるべく密に連絡をしよう、優しくしようって思ったわけです。
ところが。言ってるそばから父の誕生日を失念。一瞬「気まずいから、ラインでメッセージだけして誤魔化すか」とも思ったんだけど、「それではいかん!丁寧、丁寧!」と翌日電話で父と話しました。
「プレゼントあげてもどうせ使わないんだよなあ〜、無駄になっちゃうから省くか?」と、また一瞬思ったけど、郵便でプレゼントを送った。感情の表現が控えめな父だけど、それは外見だけで、内心は絶対に嬉しいに決まってるんだから。
家では父以上に寡黙な娘の私だが、最近コーヒーをおぼえた父に、コーヒーを淹れてあげるようになった。不肖の娘。ドラスティックな恩返しは、多分、出来ない。だけど、小さなことからコツコツ。
たいした宣伝もせず、地味にやっているトークライブで、日本のどこの誰とも知らぬ人の言葉が、別の地域の誰かに届いて、その心を動かして、さらには巡り巡って、私の心を揺さぶっている。
人間の思いって、目に見えないんだけど、すごく柔らかく影響しあって、繋がりあっていて、とても有機的だなって、思えた出来事でした。
それと、私は常々、人と人の間の媒体(人と人を繋げるもの)でありたいと願っているので、今回のこのお話は、ちょっと嬉しいエピソードでもあったのです。
言葉にするのは難しいのだけど、「丁寧」というのは、「繋がりに気づく」ということなのかもしれない、って思ったのでした。そして「愛」という言葉の意味するものは、それ、なんじゃないかな・・・。
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めくるめく自己中の世界から、一瞬、外に出る日。
多分、春はもうすぐ。