師走ですか・・・。早いものだ。
家にばかりいたし経済的には低迷期だと思うんだけど、精神的にはとても充足感のある一年だった。もう一年くらい、なんなら二、三年これをやってもいいような気もしている。
直近の十年間が「外でアクティブに経験の嵐!」って感じだったんだけど、それを腑に落としこむ時代が自分の中で始まったんだと思う。十年の濃さに対して、たった一年のステイホームでは足りない。
私がインドで何をやっていたか。以外と知らない人もいるので、掻い摘んで書いておくことにする。
10年前、スワミGが大きな組織から独立されたので、
「一人では大変に違いない!下働きでもお役に立てれば!」と思った私。
(長い名前のスワミジがたくさん登場するので、頭文字・・・)
スワミT「もしもし、スワミジー、一人で大変だけど、手伝いの人はいるの?」
G「シーターというのが日本から来ると言っているが。」
T「おおー!シーター来るんなら大丈夫!」
というやり取りがスワミ間あったそうで、どういう基準の太鼓判なのかは分からないけど、とにかく渡印した2010年の12月。ここからインドでのあれやこれやが始まったわけです。
最初の一年目は、言葉に尽くせないくらい濃厚な時間でした。スワミGとゴパールジ(というオジサン)と私の三人態勢で大人のためのグルクラムをやっていた、というようような状況。
なんといってもゼロからだから、とにかく大変だった。
でも、とてもとても特別な時間だった。これまでの人生でもっとも特別な輝きを放つ時間。多分スワミGも同じように感じているのでは、と私は勝手に思っているのだけど・・・。
この頃のことは、じっくりと噛み締めて、いずれ言葉として残したいな、と思っています。
以後、年を追うごとに関わる人が少しずつ増えて来て、今では、あの頃の感じとはまた違うアーシュラムだけど、二年目、三年目はまだまだ黎明期。これまで何百人の生徒さんを送り出してきたけど、当時のコースの生徒さん達のことは特に良く覚えています。
彼らと寝食を共にして、教え学んだ時間は、子育てをしたことのない私が、疑似的ではあるものの「親」であることを学んだ時期だったような気がする。これについては出家のスワミGも同様の感覚があったのではなかろうか。
私は、さながらアーシュラムの小うるさいオバちゃん、お母さんみたいな役どころ。
私はここで初めてオバサンにして貰ったんだと思う。
もう私は時代の主役ではなくて、これからの若者を守り育む側になった。世代交代を引き受けたというか、一般的に人間にはその年齢に応じての役割ってのがあるんだなあと、実生活のなかで知ったわけです。
既に知り合いだったアヌープが学びに来ていたのは、8年前のちょうど今頃。彼を含めて20代半ばのインド人が4人、他に西洋人の人。私が居るということで、日本人の方も来てくれていました。
(ちなみに日本からの生徒さんには、いつも本当に心を癒されてました~。感覚的に共有できる何かがあるんでしょうね。それにお煎餅とか醤油とか甘酒とか持ってきてくれたり。ほんとにありがとう!)
さて、この四人組が、他の同世代と比べると、純粋というか子供っぽいというか、なんだかとても可愛くてね。とても良い子達だった。(悪ガキもいっぱいいるのよ、これが。笑)
基本的に彼らは仲良しで、いつも一緒に行動していたけど、毎日のように「シ~タ~マ~!」と誰かが私のドアがノックする。「やれ喧嘩だ、やれホームシックだ、やれ誰々が泣いた、誰々が怒った」と、まあ忙しかったわけですよ。
今日たまたまFacebookを開いたら、アヌープのルームメイトの「もう一人のアヌープ」がコースを終えて帰る瞬間の写真が出て来て、とても懐かしかった。
あの時のことも、よく覚えているよ。
「ヒマラヤに帰って頑張れよ!君は良い先生になる!大丈夫だ!心配ない!」的なことを言った気がするな。
うっすら涙目で別れを告げる彼の姿が若い。子供だなあ。
まあ、この日に限らず、四人が四人とも本当に無邪気によく泣いていた。
そんな彼が今、ちゃんと立派なオジサンになっていることは想像に難くない。
男の子ってほんと不思議な生き物で、いつの間にか大人の男になっている。
女の子達もきっと可愛い奥さんになっていることでしょうね。
もう一方のアヌープもはというと、こちらもちゃんと立派なオジサンになっている。インドで三十半ばは立派なオジサンだ。でも、ちゃんとオジサンになれるって素敵なことなんだよ。近ごろ日本じゃ、大人になるって、なかなか難しいんだ、。
アヌープが17歳の時に開設した学校の存続のために、今、クラウドファンドが立ち上がっているので、良かったらそっちも覗いてみて下さい。
https://readyfor.jp/projects/premametta2020
新着記事の更新がいつも楽しみです!
がんばれ!