2020年12月11日金曜日

おろちの道!(後編)

続きです。

前編で、「アイデンティティーを補うために何かをするのは時間がもったいないから、好きなこと、これをやってるとホント喜びがある!ということをした方が良いよ」という話をした。

では「好き」って何だろう、て疑問が出てくるわけです。

それって人それぞれだし、同じ一人の人においても、その時々で違った「好き」があることでしょう。

なんにせよ「好き」の持ち主である本人を、調和と前向きな精神状態へと導いてくれる「好き」こそが、健全な「好き」ってことだと思います。


ちなみに前編で私は「好きなことをしたらいいよ」と言ったけど、それは「楽して生きる」とか「低コストで高い利潤を得る(せこっ!)」ことではなく、「好きなことをする為に努力が出来る」ってことです。それが「好き」かどうかを計る指針の一つだと思うよ。

ここ10年くらい「最小限の努力で、最大限の利益を得ることが人生の成功」的な風潮があるけど、それって極めて消費者的な考えに思える。地球上でで、消費舎に繋がれた消費人が増えたってことなんだろうね。「1貰って100倍返しちゃった損じゃん!損したら人生負け!」なロジック。

わかった。消費者的っていうのは、物質主義的ってことですね。

いやいや~、でも、世界はそんな目に見えて単純なものじゃないから~。

100倍返した人にしか見られない景色がある。

むしろ半沢からがスタート地点?みたいな。


先月から友永乾史先生と二人でひっそりと始めたトークライブ。その第一回目で録画を失敗するという痛恨のミスがありました。で、参加者の皆様へのお詫びと振替案のご呈示をさせていただくやり取りが発生したわけです。すると乾史先生からなんどもお気遣いメールが届くんですね。「余計な仕事を増やしてすみません」と。

それを読んだ私は「あら~優しいわ~」と思いつつ、頭のもう半分で別のことを思い出していました。

2002年から2004年のどこかの金曜日。御母堂の友永先生が、ポロリとこんなお話しをしてれました。

「先日、夜家に帰ったら、洋服が床に落ちていたので、その服を辿っていくとそこはお風呂場でした。でも電灯は付いていなくて、仄かに揺れる光はキャンドル。息子がロウソクの灯お風呂に浸かっているのです。はあ~、こんなリラックスの方法もあるのだな。素敵だな。」

そしてお話のまとめは、こうでした。

「人間、好きなものに囲まれて生きるというのは素晴らしいことですよ。」

あの日から、変態もとい不肖「おろち」の私は、今日までずーっとこのことを考え続けて生きてきた。おろちだから。


好きなものかあ。

でも世の中好きなものばかりじゃないものなあ。

それに犯罪とか好きな人はどうなんだろう・・・ていうか、犯罪好きってそれ本当の「好き」なの?それとも別のなにか?

そもそも好きと打算の違いって意外と見分けがつかないよ?

etc...

で、その時至った結論は、

自分が「本当に」好きなもの、必要としているものを見極められるようになることが大切なんだな。

それから「好き」の対象をより良いものに成熟させていくことも大事だろう。

の二点です。


あれから十余年。

それがここに来て大転回してしまった。


「乾史先生、優しいなあ~。でも、意外とこの余分なやり取りって苦痛じゃないんだよな~。損した気もしないし、貧乏くじ引いてる気にもならんし、なんなら結構満ち足りた感じすらする・・・・え?!もしかして、好きなことに囲まれて生きるって、こういうことなんじゃないか?」

嫌いなものがない。

それが好きなものに囲まれて生きる「究極のかたち」か!


ふ、深い、先生・・・・!


でも、多分、そうなんだと思う。

好きと嫌いの違いが無いってこと。


好きなものだけに囲まれて生きられたら、確かにそこは天国だろ。

これから、まだまだ嫌いなもの減らしていけるのか?

いけたらいいな。


・・・という新たな結論に至ることが出来たので、失敗しても損するってこと一つもないんだな・・・とつくづく思いましたね。


という訳で、最後はまた告知になっちゃうけど、今月も懲りずにトークショーやっちゃいます。今月の私の選曲はSong for salutationsです、しかもノリノリで。録画でもリアルタイムでもご参加お待ちしています。



12月14日(月)20時~21時 ディナーの後にあいましょう!

お申込みはコチラ


おろちは今日も粘り続ける。

ねばねばのネバーギブアップだ!

(↑半沢でお願いします。)


おろち倶楽部の構成員は現在4名。

メンバーは私おろち、パイソン、うわばみ、並びにツチノコです。

全員そういう意味では変態です。


キングコブラ会長に激励をうける ”おろち部長”と伝説のスネイクチャーマー













おろちの道!(前編)

 私は昔から、格安物件、格安航空券、格安ホテルなどを見つけるのが得意。これまでに最もお得だった航空券は東京‐NY往復2万円代、2005年のことである。

今住んでるアパートもかなりお気に入りのグッドディール。この不景気で生活を可能にしているのは、やりくり一本と言っても過言ではない。

25年前、「24時間の大半を働きまくって、やることといえば金を使うことだけ。なんと阿保らしいことよ・・・」と私は思った。当たりまえとして受け入れている社会構造だけど、これって人間を消費者という家畜として飼いならすシステムじゃん・・・みたいな。


斯く言う私もその構造の中に住まう人間なんだけどさ、そのシステムを理解して煙に巻かれないように暮らしていきたいな、と思うわけですよ。

ランニングコストを抑えて、好きなことをする時間を手に入れたい。だからこそ、やりくり。

さて、私のアパートは小さな1K。掃除は毎日したいので短時間で終わる狭さが良い。狭いのでベッドは入れず、喫茶店の二人掛けテーブル2000円に「不用品あげますアプリ」で探した椅子は無料。

問題は二つある本棚が小さく、手持ちのCDとか、本や資料が入りきらないことなんだけど、メルカリで茶箱を手に入れて、無印良品のミニ台車の上に載せてテーブルの横に設置。さらにメルカリで手に入れたA4サイズが縦に収まる木箱を乗っけて、すぐに使う本やノート・・・まあ勉強道具ですね・・・を収納したわけです。




この木箱が大活躍。木箱の出現以前は、お茶箱の上に縦積みしていたので、日々の雪崩が大変だった。

夜は部屋が暗いので、リングライトを活用します。



ということで、これが私の勉強環境。

ボールペンの替え芯とノートのストックは必須。

ちなみに授業を聴くときには、裏が白い紙を見つけたら何でもかんでも取っておいて束ねたものを使います。これはここ10年インドで出来た習慣ですね。インドでは弘美さんに「ボンビーマックス!」と呼ばれていた。

(ボンビーマックスとはつまり創意工夫のことだけど、私のボンビーマックスは結構すごい。物のないところから何でも作る。枕、ふんどしパンツ、クリスマスツリーも作った。マギー麺を使った高級中華風汁麺とかも。そしてそれらのどれもが貧乏臭いからボンビーマックス。服は人が捨てていったものを着ていた。どうせ色んな作業で汚れてしまうので。)


で裏紙に取った授業をちゃんとしたノートに纏めていくんだけど、ボールペンを使いたいので修正テープが必須なのよ。ここはケチらずに120m分まとめ買い。今年だけで50mくらい使いました。修正液だと乾くまでの時間が勿体ない。

ノートは何冊にもまたがるので最終的に製本テープを使って一冊にまとめる。


・・・というようなことをやって暮らしています。


インドでスワミジ達に教えて貰ったこと。講義を聴いて終わりな訳はないんですよ。教わったことを理解するまで、残りの人生の寝ている時以外、ずっと考え続けてろ!ということなんですわ。で、たまたま私は、これを「好き」だったから出来てる(もちろんまだまだではあるけれど・・・)。


だからみんなも、心から好きだと思えることをしたらいいんだと思うんだよね。「手持ちのアイテムを増やす」ことが目的だと勉強は楽しくない。心から打ち込めること思う存分やっているうちに、好きの対象が勉強に移る日も来るかも知れない。

逆に、多少覚えが悪くとも、好きならば学び続けて欲しい。こういうのは他人と比べてどうこうって話ではない。


これは勉強だけに限った話ではないんだけど

「私には何か足りないから補わなければ」

という考えはこの際捨ててしまったらどうだろう。


・・・って「習いに来てください」って言ってる立ち場でこんなこと言うのもなんだけどね。


「そんな悠長なことは言ってる暇はない。それなら勉強を好きになりたいんだ」という人。寝ても覚めてもその対象の事ばかり考え続けていれば、多分好きになるよ。言い方悪いけどストーカーになれ、って話です。


学びの成就の極意をお伝えしておきますよ。


「教えられたら学び返す・・・・100倍返しだ!」


それ以外にはないね。うん。

もはや変態の道ですよ。


筋トレと同じではないでしょうか?自分で実践した分しか身にはならない。


ちなみにこの半沢的な執念を私と弘美さんは「おろち」と呼んでいる。

おろち部、部員募集中です。



















2020年12月3日木曜日

ちゃんとオジサンになるという素敵。

師走ですか・・・。早いものだ。

家にばかりいたし経済的には低迷期だと思うんだけど、精神的にはとても充足感のある一年だった。もう一年くらい、なんなら二、三年これをやってもいいような気もしている。

直近の十年間が「外でアクティブに経験の嵐!」って感じだったんだけど、それを腑に落としこむ時代が自分の中で始まったんだと思う。十年の濃さに対して、たった一年のステイホームでは足りない。

私がインドで何をやっていたか。以外と知らない人もいるので、掻い摘んで書いておくことにする。


10年前、スワミGが大きな組織から独立されたので、

「一人では大変に違いない!下働きでもお役に立てれば!」と思った私。

(長い名前のスワミジがたくさん登場するので、頭文字・・・)


スワミT「もしもし、スワミジー、一人で大変だけど、手伝いの人はいるの?」

G「シーターというのが日本から来ると言っているが。」

T「おおー!シーター来るんなら大丈夫!」


というやり取りがスワミ間あったそうで、どういう基準の太鼓判なのかは分からないけど、とにかく渡印した2010年の12月。ここからインドでのあれやこれやが始まったわけです。

最初の一年目は、言葉に尽くせないくらい濃厚な時間でした。スワミGとゴパールジ(というオジサン)と私の三人態勢で大人のためのグルクラムをやっていた、というようような状況。


なんといってもゼロからだから、とにかく大変だった。

でも、とてもとても特別な時間だった。これまでの人生でもっとも特別な輝きを放つ時間。多分スワミGも同じように感じているのでは、と私は勝手に思っているのだけど・・・。

この頃のことは、じっくりと噛み締めて、いずれ言葉として残したいな、と思っています。


以後、年を追うごとに関わる人が少しずつ増えて来て、今では、あの頃の感じとはまた違うアーシュラムだけど、二年目、三年目はまだまだ黎明期。これまで何百人の生徒さんを送り出してきたけど、当時のコースの生徒さん達のことは特に良く覚えています。

彼らと寝食を共にして、教え学んだ時間は、子育てをしたことのない私が、疑似的ではあるものの「親」であることを学んだ時期だったような気がする。これについては出家のスワミGも同様の感覚があったのではなかろうか。

私は、さながらアーシュラムの小うるさいオバちゃん、お母さんみたいな役どころ。

私はここで初めてオバサンにして貰ったんだと思う。

もう私は時代の主役ではなくて、これからの若者を守り育む側になった。世代交代を引き受けたというか、一般的に人間にはその年齢に応じての役割ってのがあるんだなあと、実生活のなかで知ったわけです。


既に知り合いだったアヌープが学びに来ていたのは、8年前のちょうど今頃。彼を含めて20代半ばのインド人が4人、他に西洋人の人。私が居るということで、日本人の方も来てくれていました。

インド人の小顔ときたら・・・!


(ちなみに日本からの生徒さんには、いつも本当に心を癒されてました~。感覚的に共有できる何かがあるんでしょうね。それにお煎餅とか醤油とか甘酒とか持ってきてくれたり。ほんとにありがとう!)

さて、この四人組が、他の同世代と比べると、純粋というか子供っぽいというか、なんだかとても可愛くてね。とても良い子達だった。(悪ガキもいっぱいいるのよ、これが。笑)

基本的に彼らは仲良しで、いつも一緒に行動していたけど、毎日のように「シ~タ~マ~!」と誰かが私のドアがノックする。「やれ喧嘩だ、やれホームシックだ、やれ誰々が泣いた、誰々が怒った」と、まあ忙しかったわけですよ。

今日たまたまFacebookを開いたら、アヌープのルームメイトの「もう一人のアヌープ」がコースを終えて帰る瞬間の写真が出て来て、とても懐かしかった。

後ろには本物の子供のロシンとハリダの姿も!


あの時のことも、よく覚えているよ。

「ヒマラヤに帰って頑張れよ!君は良い先生になる!大丈夫だ!心配ない!」的なことを言った気がするな。

うっすら涙目で別れを告げる彼の姿が若い。子供だなあ。

まあ、この日に限らず、四人が四人とも本当に無邪気によく泣いていた。


そんな彼が今、ちゃんと立派なオジサンになっていることは想像に難くない。

男の子ってほんと不思議な生き物で、いつの間にか大人の男になっている。

女の子達もきっと可愛い奥さんになっていることでしょうね。


もう一方のアヌープもはというと、こちらもちゃんと立派なオジサンになっている。インドで三十半ばは立派なオジサンだ。でも、ちゃんとオジサンになれるって素敵なことなんだよ。近ごろ日本じゃ、大人になるって、なかなか難しいんだ、。

アヌープが17歳の時に開設した学校の存続のために、今、クラウドファンドが立ち上がっているので、良かったらそっちも覗いてみて下さい。

https://readyfor.jp/projects/premametta2020

新着記事の更新がいつも楽しみです!

がんばれ!