2010年12月8日水曜日

「鉄コン筋クリート」



 今日ふと生徒さんに送ったメールの返事が、自分の胸にもフィードバックしてきて、なんか考えちゃったんですよね~。


 概ね「人にはそれぞれの個性やタイム感というのがあって自分らしく暮らせればそれでいいのよ。こんな風になりたいとか、あんな風になりたいとか言って、皆さん迷走するわけだけど、自分はもう自分なんだから、もうなっちゃってるのもんに、どうやってなるのか、と。なっちゃってること思い出したら、それが安心な人です。安心安心。」・・・というようなメールだったんだけど・・・


 これは先日、鎌倉の後に「由美子さんのクラスに出ると安心するなー、由美子さんは安心してますか?」と言ってくれたので、「そりゃ安心しとる、うはははは!」という会話の後日談なんですが、私、いつから安心な人になったのかなー・・・と。


 私のとこに来る生徒さんは「私はもっともっと勉強しなきゃいけない」とか「グルをみつけなきゃいけない」と半ば興奮気味に、でも何だか苦しそうに言う。「なんで、そうしなきゃいけないの?」と尋ねるんだけど、それに答えてくれた人は一人もいなくって、これも、なんでなんだろうなー・・・と。



 松本大洋の『鉄コン筋クリート』という漫画は映像作品にもなったけど、これはですね近未来のカオスを描いた雰囲気本・・・というよりも、実はもうちょっと深い。価値観の混乱したバイオレントな社会で、「不安」の象徴である兄と、「安心」の象徴の弟のコントラストと、逆に一体感とが、面白い。


 兄弟の名前、クロとシロってのも象徴的。一見頭が足りないよう風に描かれている弟のシロなんだけど、「安心安心」というのは彼の口癖なんですよ。クロとシロは、単なる白黒、善悪の相対比較では無いように思えるのよね。遍・普遍っていうか、部分・全体というか、二次元、三次元で語れないものがあります。「安心」という言葉が一つの真理を投げてる気もしたりね。でもクロとシロは常に一つなのよね。


 で、夜道を延々と、トボトボ歩きながら、私の雑念もさらに進む。ちょっとこれはあり得ないよ!っていう悲惨な逆境の時。あれはあれで、私、結構幸せだったかも知れんな。その時は「死にそうに苦しい不安のどん底」にいるように思えたのに、「ありゃ死ぬほど苦しかったなー!今思い出しても苦しくて面白いぞ、うはははは!」だもん。


 思えば、物心ついてから、どんな危ない時も、ずっと幸せで安心だったような・・・。もしかしたら、そもそも人間は「安心安心」なのかも知れないぞ。全ては消えゆくもの、この世で体験すべく現れている現象、そういうことなのかも知れない。学びもグルもそこらじゅうに転がってるしね。混乱した価値観の中、一つの考えやスタックしちゃうのは、不安の為せる業なのだろうか、やっぱりナンセンスかも知れないな・・・なんて思う斜陽な冬の日なのでした。
ちなみに原作の映画化版はアメリカではR指定。日本の漫画・・・文学というか哲学してますね。