2020年5月31日日曜日

オフ会、もとい通常クラス再開

明日から六月かあ。

あじさいとカタツムリの季節だね。

なんだか浦島太郎の気分です。

少しずつだけど、殻の中から出ていこうかな。

竜宮城からシャバに戻るぞ。


ジーンズの裾をズブズブ濡らしながら、ぐいぐい進むんじゃなくてね、浜辺で、波と戯れるように、行ったらいいんです。

引いていく波を追いかけたと思ったら、スカートの裾を摘んで、寄せる波から逃げ走る、うら若き乙女のように。

また追いかけては、また引いて、そんな風にフレキシブルに、あらゆる状況に対応できる心を持って、行きましょう。ヤングフレッシュマインドを忘れないで。

頑固も意固地も捨てて。

でも、思いやりは大事に懐に入れておいて。

ドアを開けて、太陽の下、冒険だから慎重にね。

でも、胸にぷくぷくと湧く、生きる喜びは殺さないこと。

思いやりは懐にいれておいて。





ということで、来たる6月3日から、アーサナのクラスを再開します。

こんな時期だから、誰も来ないかも知れなくて、そうなると結構な赤字になるので、いっそ暫くは予約制にと思ったのですが、私も、外に出ていく練習しないと一生引きこもりそうなので、いつも通り、毎週足を運んで、皆さんをお待ちすることにしました。

ここだけの話、私、自分の部屋をCAVEって呼んでいるんで・・・。ほんと、出ていかないと。

区からは定員を12名とするよう要請されていますが、個人的判断により今月いっぱいは6名前後を目安に開催したいと思います。その場合は先にメールでご連絡下さった方および先着順に優先させていただくようになりますので、ご了承くださいね。よろしくお願いいたします。

今日、インドのパイセンと、スワミGやゴパールジとテレビ電話でお話して、みんな元気そうでよかった。スワミジにも、水曜から再開ですって、報告しときましたよ!


港区サークル:ヨーガヴェーダンタクラブ
【重要】再開にあたって、ご参加当日の①マスクの着用、②参加者名簿(氏名、電話番号)の記入をお願いします。ご体調の優れない方は参加をご遠慮下さい。

※都の要請に、講師の体調などに応じて、クラスのキャンセルになる可能性もあります。ご来場前(当日17時までに決定)に、必ずスケジュールページをご確認ください。

6月3日(水)
6月10日(水)
6月17日(水)
6月24日(水)
7月1日(水)
7月8日(水)
7月15日(水)
7月28日(水)


時間:19:0020:40(18:30開場)
港区芝浦港南区民センター 
ヨガマットの貸し出しはございません。
サークル参加希望の方は直接会場にてお申込み下さい。
(メールでお問い合わせくださっても結構です。)









2020年5月27日水曜日

日本語訳 LOVE - from「BLISS DIVINE」


こんにちは。先日のサットサンガの為に翻訳したSwami Sivananda Gurdevの文章をシェアしますね。※( )内、または文末に訳者による補足。




 愛は、生命を司る法です。愛することは、この法に沿うことです。ここでいう法とは、永遠の平安であり、終わりのない幸せのことです。

 この世界は愛より出でて、愛の中に存在し、最終的には愛へと溶け込んでしまいます。愛は宇宙の顕現力です。愛は建設的で、創造的です。愛は結びつけ、構築します。愛は再生の原理であり、愛は、あなたが確かさを感じながら実際に扱うことの出来る物質でもあります。愛はポジティブで明白なものです。科学的精密さをもって愛の法則を適用する「彼」は、不思議な働きをします。愛の法則は、現代科学よりも遥かに偉大な科学です。愛の法則は、聖者や良き人々の中に満ち満ちています。

 生きるとは、愛することです。愛するとは、生きることです。あなたは「愛の学び」を生きているのです。あなたは「不滅の生命の学び」を愛するのです。愛と信頼、そして信心のない人生は、わびしい徒労です。それは、本当の意味での死です。

 愛よりも気高い徳はありません。愛よりも価値ある財宝などありません。愛以上の叡智はありません。愛に勝る正義はありません。愛を凌ぐ宗教はありません。なぜなら、愛こそが真実、愛こそが神であるからです。神とは愛の体現のこと。神の創造の1インチごとすべてに、あなたは確実にその愛を見ることが出来ます。

 愛は神の王国、すなわち真実に直につながる道です。それは森羅万象の生ける法則です。それは魂の威力です。それは様々な宗教教義の総体です。それは信じる者の手の中にある「世界をまるごと乗り越える為の魔法の杖」です。愛は、ミーラーやラーダー、トゥカーラーム、トゥルシーダス、ガウランガ、イエスキリスト、神に酔いしれるスーフィーの徒、マンスール、シャムス・タブリーズィー(※1)を駆り立てる力です。


Passion and Pure Love
肉体や皮膚(を通した感覚)の“愛”は情愛です。神の愛はプレーマ、献身、純粋な愛です。それは愛の為の愛です。自分本位な利益を求めて愛するのならば、それは利己的な“愛”です。利己的な“愛”は、あなたをこの世俗に縛りつけます。ナーラーヤナバーヴァ(万物に神を見る姿勢)をもって、生きとし生けるものすべてに注がれる愛は、神の現れであり、それは純粋な愛です。それはあなたを開放(モークシャ)へと導きます。

 夫が妻を、妻の為に愛するのでなければ、その愛は彼自身の為の利己的な“愛”です。彼は自分本位です。妻から感覚的な喜びを得ること求めています。もしも、彼女の美が、らい病や天然痘によって奪われたら、彼の妻への“愛”は終わることでしょう。このような“愛”にあるのは、物質的な情愛、深い利己主義です。この“愛”は欲です。

この“愛”において、愛する者と愛される者の二人の間に、真の幸せは存在することが出来ません。夫が瀕死の状態になったら、妻は預金通帳を持って、黙って実家に帰ってしまいます。夫がしばらくの間、職を失ったとしたら、妻はしかめ面で乱暴な口をきき、彼の面倒を見なくなるでしょう。これは利己的な“愛”です。心の芯から滲み出る愛情が、そこにはありません。そこに献身の要素は一つもありません。家の中には喧嘩や諍いが絶えません。そこに夫妻の連帯はなく、常に戦の火種があります。彼らは憂鬱で覇気のない暮らしを、どうにかこうにか引きずっているだけです。

 かの悪名高い我らの姉妹達(※2)も、お客からお金を引き出せる限りは、甘い笑顔とたっぷりのお愛想、優しい言葉をかけてくれます。この愛を、あなたは本当の幸せと呼べますか?率直に答えて下さって構いませんよ。そこにあるのは、ずる賢さと駆け引きと、インチキと偽善です。すべての世俗的な“愛”には、虚しさと不協和音、隠れた疑念とひび割れがあるのです。しかし、真実の純粋な愛は、豊かで奥深く、満ちたりており、傷のひとつたりともありません。愛は献身です。愛することは、分かち合うこと、与えることなのです。


Service Is Love in Expression
 愛は、奉仕や慈善、寛容、善行という姿の中に鳴り響いています。ダヤー(慈しむこと)とは自発的な善行です。それは積極的な愛の表現、アヒムサー(殺生しないこと)とは、消極的な愛の表現です。受け身の善行だけでは十分ではありません。能動的、積極的な善行は、個人の霊性の向上のために極めて不可欠な要素です。道を求めるならば、行動を起こすべきです。

 奉仕の真髄は、あなたの中に深く根差していなければなりません。それは、あなたに根強く備わっていなければなりません。単なる見せかけであってはなりません。そこに愛や誠意や、真の姿勢がないのならば、あらゆる奉仕は空っぽです。あなたが愛の姿勢で奉仕する時、あなたの後ろに神がいるのです。

 シャンカラやジーザス、ブッダ、モハンマドは奉仕者でしたよ。ジャーナカや、サマルタ・ラームダース(※3)も奉仕者です。これらの指針を実践する者は、天上の光(叡智)によって悟りを得て、困難な時と苦しい日々を乗り切ることができます。

 あなたが、自身を幸せにすべく奮闘するのと同じように、他者を本当の意味で幸せにしなさい。人の助けになる言葉を発しなさい。人を元気にする笑顔でいなさい。親切な行いをしなさい。誰かの行く道が荒れた場所なら、その道を滑らかに均しなさい。あなたは至上の喜びを感じることでしょう。


Cosmic Love or Visva-prema
貧しき人、虐げられた人、不当な迫害を受ける人を崇めなさい。彼らはあなたの神ですよ。あなたの、最初の神様です。

愛は、すべてです。あなたは、100万回のヤーッニャ(願望成就を願っての供養、儀式)や、(願掛けの)禁欲よりも、ずっと大きな恩恵を受け取ります。隣人の幸せを、あなた自身の幸せと同じように尊重し、隣人の痛みを、あなた自身の痛みとして受け止めなさい。人類は一つです。神は一つです。愛は一つです。法は一つです。悟りは一つです。私たちは皆、一本の木になっている果実です。一つの枝に生えている葉っぱです。この世界に、よそ者なんていないのです。みんな、進化の過程の中にある神なのです。

 あなた自身が、生きとし生けるすべての生命であると認識しなさい。友人と敵とともに、平和に暮らしなさい。全ての人間は、たった一つの体の、手足のようなものですよ。森羅万象のすべては、みんな、神の家族です。すべての神の創造物を愛しなさい。葉っぱだって、動物だって、鳥だって、草木だって、みんな全部、愛しなさい。これが、それらすべての物の根底に横たわる、言葉には表せない真の知識への道ですよ。
 
私は愛という宗教に帰依しているのです。

「私は本物のクリスチャンです」「私は本物のイスラム教徒です」「真のヒンドゥー教徒です」「真の仏教徒です」「真のスィク教徒です」「真の拝火教徒です」。

 真に、宗教とは、巡礼とか洗礼といった儀式的観点にその本質を置きません。その本質は万物を愛する、そのことにあるのです。宇宙の愛は、すべてを含有し、すべてを抱擁します。純粋な愛において、その温かな抱擁から締め出される者など、誰一人たりともありません。宇宙の愛は、私たちの中の最も貧しい者、ちっぽけなものから強い象まで、死刑囚から強国の支配者まで、悪人から名高い聖者まで、この地上のすべてのものを、充分に包み込める程に大きいのですよ。憎しみは、人と人、国と国を分かつものです。虚栄心と利己主義は、人を人から隔てます。憎しみと虚栄心、自分本位な利己主義は、頭の中で作られたものであり、単なる無知の産物に過ぎないのです。それらは純粋な愛の前に存在することは出来ません。


The Need of the Hour
憎しみは憎しみを生み出し、愛は愛を生み出し、恐れは恐れを生み出します。これは心理学の普遍的な法則です。すべての悪と憎しみの力に打ち克つことが出来るのは、この地球に遍く満ちる神の力、すなわち愛の正義です。

 すべての生き物の救済は、愛にあります。愛は、この暗く孤独な世界の希望です。この世界は共感と協調、愛と献身、慈しみと寛容に満ちた指導者を必要としています。この宇宙の愛における収穫物は、各個人の霊性の向上と、地域社会の福利と、そして世界の平和です。さあ、仕事に着手しなさい。世界中に、この宇宙の愛の福音を広げるのです。

 あらゆるMohalla(地域)を、家々を訪ね、キールタンをし、みんなで祈りなさい。愛の、調和の、良き行いの、奉仕の、献身の、協調の、共感のメッセージを、ばら撒くのです。すべては一つであるという、聖なるメッセージに、融合への聖なる呼び声に、友愛に、平和的協調に、火を灯して、すべての人の心に届けなさい。人類の懐のなかに、愛と友情を呼び起こすのです。全世界が愛の心で回っていくように。


Love – The Goal of Life
 世界の聖者や、見者、預言者と呼ばれる者たちは、人生の目的として愛を語ってきました。クリシュナのラーサリーラー(※4)はプレーム(純粋な愛)と聖なるミステリーに満ちています。ゴーピーが着物を脱ぎ棄てる場面は、利己主義の放棄を意味しています。クリシュナは笛の音を通して愛について説いているのです。ブッダは愛の海そのものでしたね。彼は虎の子供の空腹を満たすために、その体を差し出しました。シビ王(※5)は鷹に追われていた鳩を助けるために、鳩と同じ重さの分の肉を、自分の体から切り取って鷹に差し出しました。なんて気高い魂なのでしょう。ラーマは愛の人生を生き、その行いのすべてに愛を示しました。親愛なる愛の子供達よ、彼らの教えから気づきを得なさい。神と親しみ、愛の道を辿りなさい。そして、永遠の住処に辿り着くのです。これが、あなたのすべき最も崇高な務めです。あなたは、人生のたった一つのゴールである愛に到達するために、その体を手に入れたのですよ。

 愛の中に生きなさい。愛の中で呼吸しなさい。愛の中で歌いなさい。愛の中で食べなさい。愛の中で飲みなさい。愛の中で語りなさい。愛の中で祈りなさい。愛の中で考えなさい。愛の中で動きなさい。愛の中で死になさい。愛の火の中で、考えを、言葉を、行いを清めなさい。聖なる愛の海に、飛び込み、浸かりなさい。愛の蜜を味わって、愛そのものになりなさい。

 あなたのその肉体が、神を宿すお寺であることを感じなさい。すべての生きとし生けるものが、神の姿であることを感じなさい。この世界が、神の住まいであることを感じなさい。たった一つの神の力が、すべての人の中に働いていることを、すべての目を通して見ていることを、すべての耳を通して聴いていることを、感じて下さい。そうすれば、あなたは変わります。あなたは、最高の平安と喜びを過ごせることでしょう。

- Swami Sivananda

※1
ミーラ―:(16世紀、現ラージャスターン)クリシュナの帰依者
トゥカーラーム:(16世紀、現マハーラシュトラ)聖者・詩人
トゥルシーダス:(15世紀、ウッタルプラデーシュ)聖者・詩人
ガウランガ:(15-16世紀、現ウェストベンガル) Shri Krishna Chaitanya Mahaprabhu・聖者・クリシュナの帰依者
イエス:(紀元前4世紀、ローマ帝国)
スーフィーの徒:(イスラム神秘主義者)
マンスール:(8世紀、現ヨルダン)イスラーム帝国の統治者
タブリーズィー:(1213世紀、現イラン) 詩人

※2
悪名高き姉妹:不明。当時の時事ネタか? 

※3
ジャーナカ:インドに語り継がれる、ヴィデーハ王国の偉大なる良き王。シーターの父。
サマルタ・ラームダース:(17世紀、現マハーラシュトラ)聖者、ラーマとハヌマーンの帰依者


※4
ラーサリーラ:Bhagavatamで語られる、クリシュナの笛の音に、ゴーピー達が踊り酔いしれた宴。このストーリーは表面的な誤った理解をされているケースも多い。

※5
シビ王:インドに語り継がれる、偉大なる良き王。ブッダの生まれ変わりを説く「ジャータカ」にも説話が所収。鳩はアグニ神、鷹はインドラ神の化身とされる。




2020年5月26日火曜日

ネットのこと(追記)

皆さん、こんにちは。

つい先日、前編後編にわけて「ネット」について思うことを書きました。

インターネットをはじめ、あらゆるメディア(媒体)が情報を発信するところには、必ず受け取り手の存在があります。

受け手があってこその発信という「行為」が成立するわけで、つまり発信側には「このように見せたい」というヴィジョンが最初にあるわけです。

私は先日の記事の中で「瞑想をしている写真のあるところに瞑想はない」って書いたんですけど、「瞑想コース、教えます」の文言に、教える人が瞑想している写真が添えられているパターン、ありますよね。探してごらんなさい、沢山見つかるから。

それを見て「すごい、瞑想してる姿がかっこいい、申し込もう!」と思う受け取り手がいるわけです。

その写真は「瞑想している姿」ではなくて。

「こう見せたいというヴィジョンに添ってレンズに写る努力をしている姿」

なんですよ。

カメラ、SNSといった中間媒体の介在を想定する時点で、瞑想はなくなってしまってる。つまりリアルはないんです。

ハタヨーガも含む瞑想関連の行法ってのは、そもそも、思考という内部メディアの構造を暴くためのセオリーなので、外部メディアが噛んだ時点で、本末転倒する・・・という最も分かりやすい例ですね。


メディア発信は「行い」で、行いの具現化される背景には必ず「欲求」がある。

欲求があるのが悪いってことじゃないんですよ。

欲求のパワーはとは素晴らしい力で、それがこの世界を顕現せしめているわけなんだけど、メディアを介して手に入る情報には、「見せたい(または見せたくない)ヴィジョン」、つまり発信側の意図が、必ず先行していて、この二重構造に気づけないと色々たいへんなこともあるよ、ってことです。


私が「残念なのは受け手側の脆弱性」と書いたのは、そういうこと。

ちょっと前に、「リア充(充実したリアルライフ)」という言葉が流行ったけど、SNS上で見られるのは本当のリアルじゃなくて、「こう見せたい」という「欲求」。

なのにみんなで「この世界では、それがリアルね」ってことにしてしまった。


それが「マス」の力なんですよ。マスの無知の力は大きくて、侮れない。


「瞑想しているように写るように努力している姿」が「瞑想している姿」になってしまうんですね。リアリティーの変換が起こる。


メディア上のリアル(真実)は、アクチュアル(実際)なリアルとは違うよ、ということ。これを理解しておくことは、この時代、必要なことだと思う。

「人を幸せにしたい」思いで、エンジニアたちが進化させてきたテクノロジーを、不幸になるために使ってどうする?って話。便利な車だって、そのメカニズムと扱い方を知らずに乗ったら危険物でしょ?


リアリティーショーに出演していた女の子が、若い命を断ってしまった。
とても悲しいニュースに胸が痛む。

彼女をターゲットにして、誹謗中傷をしていた人たちがいると聞くが、その人たちに

「リアリティー番組は本当のリアルじゃないよ。情報って、見せたいヴィジョンを見せるために放たれるんだよ。」

って、言ったらどういう返事が返ってくるのだろう。

「自分たちが書いた中傷だって、ネット上にあるからにはリアルじゃないだろ!それなら傷つく方が悪い!」って反論されるかも知れない。

そこは、合わせ鏡のような、出口のない、危険な場所。
ちゃんと地図を頭に入れておかなきゃダメ。



この悲しいニュースを聞いて、私は、芥川龍之介の小説「地獄変」を思い出した。





あらすじを、ものすごく端折って説明すると・・・

主人公の絵師が、クライアントに「地獄を描いた屏風」を発注される。絵師は、リアルな地獄絵図を書く為にいろいろ頑張ったが、イマイチ納得がいかず苦しんでいた。しかし、最終的に、自分の娘を乗せた車が火の中で燃え落ちていく姿をモデルにして、鬼気迫る傑作を完成させた。

・・・という話なんだけど、文芸界隈の学校では、「芸術至上主義」について議論する際に出てくる鉄板ネタです。芥川本人の、芸術の為にいかなる犠牲も厭わない主義を投影する作品(ほんまかいな?)みたいな議論がなされてるわけです。

しかし、学者の議論なんて、議論のための議論みたいなもので、それこそ机上の空論。当の芥川の表現したかったヴィジョンは、本人にしかわからないんですよ。

さて、地獄変は、芸術を突き詰めたい欲求のために、人としての道理を犠牲にしてまで「表現」した男の話だったけど、現代におけるマスなメディアの表現の動機=ドライビングフォースは何か。

多分それは「金」でしょうね。炎上商法というのもあるくらいだから。マーケティング至上主義とでもいうのか・・・。でもお金を追求すること自体はなにも悪くない。問題なのは、ダルマ、人としての道理を犠牲にすること。


メディアという迷宮のような世界で、いつだって、発信側も、受信側も、「メディア」の性質を理解しておく必要があると思います。


ちなみに、この物語の中で主人公は、自分の娘を見殺しにして最高傑作を仕上げた後、自死してしまいます。

十代の頃は、その理由を「自責の念にかられて」だと理解していましたが、今はちょっと違う気がしている。

芸術というフィールドで、真実を追求していた絵師が、全てを賭けて突っ走り、その結果ものすごく虚しくなってしまったのではないか・・・・。


エネルギー使い果たしたところで、ようやく気が付いた。
このリアルは本当のリアルではない・・・と。

探す場所も、探し方も、間違えた。

それは、一体どこにあるんだろう。

しかし、もう一度、いちから探し始める力は、彼にはもう残っていなかったんだろうな・・・って。

まあ、書いた本人はもう居ないし、すべてはそれこそ「藪の中」なんだけどね。そもそも文章芸術というのは、読み手があって初めてそこに「存在」できる世界だから、読み手の数だけの「リアリティー」があるということでしょう。

「地獄変」は、小説というメディアだからこそ出来る、「本当」についての問題提起であり、しかし、作家自身も、合わせ鏡のメディアの迷宮で、迷子になり始めていたのかも知れない。


ちょっともう一回読んで見ます。





2020年5月22日金曜日

5月24(日)10:30 ★シータマとサットサンガ


緊急事態宣言が続々と解除されてきましたね。

でも、慌てず焦らず、ゆっくりゆっくり、ね。

稀有な時代、稀有な体験を皆さんと共有したわけですもんね。なんかちょっとだけ寂しいんだか何なんだか、不思議な気持ちです。コロちゃんもやってくれるわ。

お外活動の自粛のお供に、と初めたオンラインのサットサンガですが、この週末もやります。もしかしたらこれがラストになるのかな?次の週はまだ未定ではありますが、今後、少なくとも月に一回くらいは継続していけたらいいなって思っています。

今回のテーマは「LOVE」。

初回でご紹介した「BLISS DIVINE」に再び戻ります。
まだ作業前だけど、明日頑張って翻訳しますね。
これが結構しんどい一日仕事なんですけど、その時間は私に素晴らしい何か与えてくれていて、しかもそれに耳を傾けてくださるみんなの存在がとてもありがたいです。




【5月24日(日)シータマとサットサンガ】
Language : Japanese
時間:10:30am-12:00am
参加費:無料
内容:キールタンとお話。
こちらのリンクから参加→ https://us02web.zoom.us/j/82454650915

キールタンはインドの賛美歌です。皆んなで歌いましょう。
歌詞カードはコチラ→https://yumikosita.blogspot.com/2020/04/51_30.html

ネットのこと(後編)

前編では、インターネットは便利だけど、そこは「操作されまくり世界」だから、そこに本当に知るべきことは見つからない、というお話をしたんだけど、自分で書いた記事が検索に引っ掛かるかどうかの実験でもあったんだよね。案の定、引っ掛からなかったし(笑)。みんなも、私の名前と、その会社の名前で試しに検索してみるといいよ。

件の会社を非難する意図は全然なくて、その会社のサービスは色々と便利に利用させて貰っていて、いつも感謝してるんです。ただ、ネットの世界の常識はこういうんだよ、ていうのを、読者のみんなに見せたかったの。それだけ。

○天さんを、引き合いに出しちゃって申し訳なかったんだけど・・・すみません、てへっ。

でもさ、この時代の商売ってそんなもんでしょ?大きな会社はみんなしている当たり前のこと。

残念なのは、むしろ受け手側の意識なんですよね。ネット上で知れることがリアルって思い込むように思考がリプログラミングされているってこと。いやー、どんだけイイ人なんだ。でも、受け手側の思考が脆弱であるのは事実。

この問題は、箱根のからくり箱(すごい伝統工芸でちょっと欲しい)みたいに多層的なので、悩ましいんですよ。

私の職業は、フリーランスのハタヨーガの先生です。自粛期間にオンラインでそれを教えなかったのは、そこに煩悶があったからでした。


コーチが陸上競技の100メートル選手にオンラインでトレーニング

外科医がオンラインで冠動脈のバイパス法を指導

師範がオンラインでフルコンタクト空手の稽古


・・・無いわー。

(参考図書みたいに使うメディアとしては有りだけど、リアルタイムではやっぱ無いと思う。)

ハタヨーガというのはエネルギーワークで、実は以外と危険で、ゆえにかつては秘められしものでした。だから私達は、簡単に「クンダリニーが〜」とか「チャクラが〜」とか「エナジーが〜」みたいな言葉は口にしない。口にしない=否定しているという訳ではない。

21世紀になって、ヨーガが商人に目を付けられ、祭り上げられた。しかし、そんな自主的な修行みたいなこと教えてお金が儲かるわけ無い。ティーチャートレーニングコースをやって纏まったお金を作らない限りスタジオの存続に関わるってことで、夏の雑草のようにヨーガインストラクターなるものが増殖。オンラインで資格取得とかもバンバン出てきた。

(でもねえ、この道で私たちが進むべき道は、有資格者になるとか、インストラクターになるとか、そういう事じゃ無いんですよね〜。「達人」になっていく、そして先輩は後輩を助ける。それが、どこでこんなんなっちゃったか・・・。)


インスタント過ぎる量産方式の結果、肝心のクオリティーは爆発的に下がり、需要を供給が上回ったので、単価が下がった。自分の足を食うタコのようなビジネス。人類は、本当に学ばない。仕掛けた商人達は、美味しいところ食い尽くしたら、次のターゲット見つけてドロン。

そして、その下がったクオリティーが、今のスタンダードとなった。

今回のオンラインブームで、スタンダードのダンピングは更に加速していくだろう。

私が懸念しているのは、このスタンダードの劣化である。私がどうこういって止められることでは無い。それは明日にもネットの世界で、「普通」の「本当」に捏造されていくのだろう。


煩!悶!

私が教え始めたのは表参道のヨガジャヤってとこで、ラスチカスというカフェが入ってた古い建物の中にあった。

初めての自分のクラスに来てくれた男の子が「ちょっと首痛いんすよ、アシュタンガヨガで痛めて」と言う。

アシュタンガって先生見てくれてるじゃん。どこの先生?「ジョン・スコット」

ええーっ!「・・・のビデオ見て毎日やってるっす!画面見ながらジャンプバックだと首が・・・」

あ、ねえ〜、うーん、それは〜、仕方ないね〜。


・・・という会話が記憶にこびり着いているのも、踏み切れない理由の一つだな。あの時の男の子元気かなあ・・・。



ジョンスコット、かっこよかったよね。


クラスに来て下さったことのある方は、私が一切「実演してる私を見ながら一緒にやってね」というスタンスを取っていないことに、お気づきだと思います。師匠にもそのように強く言われている。ハタヨーガは、意識を「外側の対象」ではなく内的なところに留める練習なので。皆さんとお会いする時はいつも、それを極力阻害しないように、頑張ってます。オンラインクラスには、出来ないたった一つの弱点はコレなんですよ。それこそが一番の目的なのに、ジレンマ。その上エレクトロマグネティックウェーブを発するマシーンに集中!みたいな・・・。

とはいえ、私は、オンラインのクラスに反対派という訳ではないんですよね。

煩!悶!

私だって、お家で悶々と過ごしているみんなに、健康生活を啓蒙したいし、明るい気持ちになって欲しいなって、すっごく思うもん。


しかし、表面的なところをもって「ヨーガ」とする新スタンダード作りに、私が加担しては、どうにもいけないような気がしてならない。それが自分が務めなきゃいけない役どころではないかと。

それに、私は「そのお姿を拝見するだけで恩寵」な先生方とは違くて、ただの普通の人なので、画面の向こうの皆さんに伝えるための道具は言葉だけだから・・・。

というわけで、オンライン方面は他の先生たちにお願いするとして、今後なにかオンラインでハタヨーガを発信する機会があったとしたら、それは、イベント的に「たまには一緒に!ヨーガ実践者の為のガイド(音声)」とかになると思います。

それと「毎日の健康ストレッチ」みたいな名目で、一般の方、今までお会いしたことの無い方達に向けた発信は、これは是非やっていきたいと思ってます。

どっちがオンで、どっちがオフなんだかわからないけど、オンとオフで会おうね!

追記:
この問題は、音楽なんかも同様だと思う。オンラインライブとかに慣れすぎて、そういうもんだって言う風に、聴き手の耳のスタンダードが劣化してしまうと、音質の悪いYoutubeのアップロードでいいやーみたいなことになってくるのでしょう。コンサートのチケットが売れにくくなっていく。本当のライブサウンドとは、全くの別物です。

あと、本物のメディテーターが瞑想している写真なんてのはネット上にない。ダライ・ラマ猊下が岩場に座って瞑想してる写真とか、見た事ないっしょ。瞑想してる写真のあるところに瞑想は存在しない。そのへんのシンプルなパラドックスを理解して頂きたい。

2020年5月21日木曜日

ネットのこと(前編)

どっこらしょっと。

重い腰を、いや指を(?)あげて、久しぶりに書くか。

3〜4月、私はネット難民だったので、その習慣が意外と身についてしまった。
気持ちの上では若干ネット離れなんですよ。

液晶画面のブルーライトが人間の皮膚に与えるダメージ。これがなかなかのもんらしいよ。まあ紫外線と波長が近いだろうから、当然だけどさ。

まあ、そんなことは、あとで考えることにして、ネットとの付き合い方について、まだ考えている。

コロナのことが無かったにしても、今はなんでもかんでもオンラインの時代なので、ネットについて考えるべきことは「広範囲」になるし、テクノロジーも日々進化しちゃうので、キリがない。

この人生に残された時間は有限なので、適当なところで自分の中で折り合いを付けて、っていうのを定期的に繰り返してくしかないのだろう。

まとまらないし、話せば長くなる。

これまで利用してきたシェアハウスでは、Wi-Fiは標準装備だったんです。ただ、今年はなんか閃いてしまって、通常のアパートを借りたので、インターネットを自分で契約しなければいけなかったんですね。

ポケットWi-Fiの2年縛りの売り方が嫌いなので、何か良い策はないかと思っているところに楽天アンリミットというサービスが始まることを知ったので、早速申し込んで、四月のサービス開始日を、難民しながら待って待って待ちまくってたの。

しかし、4月になっても、申し込みのプロセスが進行せず、向こうから何も言ってくるでもなく、問い合わせしても梨の礫で、ただ辛抱して待ってたんだよね。

こんな時、皆さんどうします?

「ググる。」

・・・ですよねえ。

(ここからしばらくは、私の鬱憤が続くので、読み飛ばして下さって構いません!)

愚痴
 ↓

他にも同じ目にあっている人が、どのくらいいるのか、どうやって解決したか、なにかヒントを貰いたい。ブログやツイッターで愚痴る人がいる筈だからググってみよう!

ということで「楽天アンリミット」「届かない」とか、入力して検索してみました。

ところが一切検索に引っかからないんだ、これが。

ったく箸にも棒にもってのはこのことだ!(違うと思う・・・byシータ万蔵こころの声)

もう少し待ったら、みんなネットにあげるかな?なんて思って毎日携帯で検索し続けたけど、いつまでたっても出てこない。楽天アンリミットのオフィシャルサイトと、ニュースリリースのみがズラ〜ッと上がってくるだけ。

もしやこれが噂の「Google八分」って奴か!?(ていうかもう確信・・・byシータ万蔵)

ちなみにコールセンターは、1時間たっても繋がらないし、その間の電話料金はちゃっかり取られているし、問い合わせチャットも返事に一週間かかる。都合の悪そうな問いは完全に無視される。

なんじゃこりゃ!

これまでの体験を経て、数少ない情報を組み合わせて思うに、最初の申込みのシステムデザインが大失敗だったように見える。事前申込を受け付けている時点ではこのスキームが運用されていた。実際あまりにも解りにくいサイトだったし。(そのサイトを作ってる本人も解ってないってことでしょ?・・・byシータ万蔵)

しかし、販売を開始してみて初めてミスに気づいた売り手が、しれっとバレないように仕様変更して、ついでに事前申込みの仕様で手続きした人は無かったことにしちゃってるようだ。Google八分するにしても、あからさま過ぎるでしょうに。恥の文化はどこへ行った。

君子危うきに近寄らず。どうせ無かったことになってるならこれ幸いってことで、既存の申込を正式にキャンセルさせて、新たにSIM契約を結び、フリマアプリで端末をとっとと手に入れた。

「おたく流石に詐欺過ぎますよ!キャンセルすら出来ないっていうなら消費者センター行きます」って添えたら、すぐキャンセルしてくれた。

 ↑
愚痴おわり


思い起こせば「4月2日」「コロナ」「政府」「ロックダウン」みたいな語句で検索かけると、検索結果0件になる、というのが報道されていたが、あれは「Google八分」で下手打ったケースでしょう。検索エンジン側は「システムエラー」と釈明していたが「情報をブロックする操作」がなされた、そこでのエラーだろう。そして、その操作を発注したのは・・・

怖っ・・・!


別件で、「すぐ消されるから早く見た方がいいよ」というアドバイスとともに、Jusy Mikovitsという博士のインタビュー映像のリンクを貰ったんですが、見ながら寝落ちして、翌朝にはもう削除。がーん。(でも、日本語訳付けて半分づつにバラしてアップしてる人がいた模様で、そちらで視聴できました。)


本当のことは、多分ネットでも、テレビでも、新聞でも、手に入らないんだってことを、自分の携帯電話の乗り換えで思い知った、そんなうららかな春でございました。


さらに某国の何某さんなどの巧みなプロパガンダと見られる動画が、SNS上の心良き人々の間で出回っているのを目にしたりするたびに、何とも言えぬ気持ちになるんだな。

情報操作、印象操作、なんでもかんでも、ほんとプロデュースお疲れさまですって感じ。

本当の話題を語りながら、そこにほんのちょっとのサブリミナルで宣伝効果を狙った言葉を入れる。回数は多過ぎてはいけない。

もちろんそれが恣意的なものだと証明する術はない。ここでモノをいうのが直観で、私の直観的に、あれはプロパガンダだと思う。きっと心が綺麗じゃない私だから、わかるんじゃないの? 心綺麗な人の、綺麗な心を、そうやって弄ばないで欲しいよ。いやな世の中だ。

ネットで簡単に手に入るものに、本当の本当はないということ。そこは摩耶化しの世界。それをちゃんと解ったうえで、お付き合いしないといけない。

ネットの世界はコミュ障の逃げ場だなんてとんでもない!情報の受け手として、実は、高度なコミュニケーションスキルが必要な場なんだと思います。そうじゃないと摩耶に食われる。

楽天アンリミットですが、事務のシステムは最悪だらけだったけど、それも私の問題ではなくて、彼らの問題なので、結果として乗り換えて良かった。どの道、どこかのキャリアを使わないといけないことには違いないので。おかげでオンラインのレクチャーも出来てるし、別途ポケットWi-Fiを契約せずに済むので節約できるので。

今日はとっても寒いので、海が恋しいシータマンでした。舟の名は・・・。


2020年5月17日日曜日

幸福な日曜のアロマ

たまには、力の抜けたほっこりネタを書きたい。

今年、帰国前にタイのチェンマイに立ち寄りました。ブラブラと休暇を楽しんでいるとき、日本から来た可愛いガールにお目にかかるチャンスがあって、先ほど、その彼女にお願いしていた荷物を郵便局に取りに行ってきました。




じゃーん。珈琲です。

タイ北部は実は、優良なコーヒー豆の産地だって知ってました?

可愛いガールのお父様が、この北タイのコーヒーを日本で焙煎しているのですよ。それでお願いして送っていただいたのです。

う、うまい・・・。

チェンマイに居るときは、毎日一杯、地場のコーヒーを飲んでいるのですが、それと共通する北タイの味?香り?がありつつ、それよりも微妙に味が繊細・・・・。

むむ~・・・

・・・これは、やはり繊細な日本人の技のせいなのだろうか・・・・。現地で飲むより微妙に美味しいんですけど・・・。

でもちゃんと後ろで「これぞ北タイの豆」みたいな懐かしい味が「ヤッホー」とこだましている。

お、お父さん、出来るな・・・!

娘さんによれば、お父さんはかなりの追求型らしいので、いろいろと極まってるんだろうなあ。

総じていえば、「頑固おやじ」とか「俺系」とか「男のこだわり」みたいな自己主張系と反対の、なんだか優しい系のバランスです。愛情深さっていうか、そういう味。


                                                                                

しかも、2020年、今年のホヤホヤ新豆でラッキー!コーヒーへの表敬としてチーズケーキを捧げましたよ。たまにはいいよね。
       

ケーキは「ターコイズ」というお店の。これも美味。

実は、コロナに纏わるロックダウンの影響で、毎年の恒例行事、9月のタイでのリトリートの分の宿泊予約が白紙になっており、今なお先が見通せません。見通せないとなると、瑞々しい北タイの原生林が途端に恋しくなる無いものねだり。

そして、私は知っている。私の周りには、結構な数のチェンマイファンが居ることを。北タイの森の土の香りが恋しくなったとき、是非、利用してみて欲しいコーヒーです。


でね、目を閉じて飲むんですよ。


(※↑のリンクのインタビューはすごく良いのでぜひ読んで下さい。「ゆれないこころ」はバーンロムサイの活動を紹介する動画に使われている曲。原田郁子さんはご存じクラムボンの原田さん。タム君ことポンニミットさんは、ビッグイシュー日本版で連載している漫画家さんです。)


これで、チェンマイ感、出せます。・・・たぶん。


ということで、チェンマイファンのお仲間に、チェンマイ感を出すための情報をお届けしました。


ヒミツ感が漂うコーヒー屋さんの名は、「フェリーチャ」さん。北タイの豆専門のお店です。たぶん注文を受けてから焙煎して下さっているんだと思われます。しかもえらくリーズナブルです。 個人的には過去の記事が読んでいて楽しい。

サットサンガ終えてから、今日はコーヒー飲んでブログ書いただけのゆるい一日だった。
たまには、いいよね。

ゆるす!

フェリーチャとは「幸福な」という意味だそうです。





2020年5月15日金曜日

5月17(日)10:30 ★シータマとサットサンガ



今回は30分ほど時間が後にずれます・・・が、三回目ですね。オンラインでサットサンガ。

この本「Yoga Quesutions and Answers」 から。何十年も前のインドで、私達みたいな普通の人達が、どんな質問をして、スワミジがどんな風に答えられたのか、見てみましょう、という計画です。

コロナ自粛でなんでもかんでもオンライン・・・というご時世。

私なりに、インターネットとの使い方というのをすごく考えたわけです。そして、未だに考え中。これについては、別途ブログで書こうかな、って思っているのですが、そんな中で、現時点での思いは、いろいろな側面から見て総合的に、結局このサットサンガが、私にできるオンラインのベストな使い方だろうな、ということかなぁ・・・。

毎回、40人以上の人が参加して下さって、密かに熱い集まりの後、遠くに住むYちゃんがメッセージを送ってきてくれた。

「シータマの声を聞くだけで癒されている人が、たくさん居ます。私も勿論その一人です。」

私は逆に思った。

「Yちゃんに癒されている人が、沢山たくさーん居て、私もその一人です。」

Yちゃんに限ったことではなくて、サットサンガに顔を出して下さるみんなとか、とにかく、みんなに対して同じことが言える。

そして、この重大な事実を、みんなに知って貰いたいと、強く思う。

一人一人の皆さんの存在に、癒されている人が、それぞれ沢山いるってこと。

そのことを伝えたいから、やってるんだと思います、はい。

病の友に会いに行くために夜行バスに飛び乗ったり、自分以外に誰かに手を差し伸べたり、感謝を伝えたり、涙の後に深呼吸して前を向こうとしたり、そんなあなた達を、私はとても好きだと思う。

ちょっとだけ時間が変更になっていますが、日曜日、オンラインで会いましょう!




【5月17日(日)シータマとサットサンガ】
Language : Japanese
時間:10:30am-12:00am
参加費:無料
内容:キールタンとお話。
こちらのリンクから参加→ https://us02web.zoom.us/j/82454650915

キールタンはインドの賛美歌です。皆んなで歌いましょう。
歌詞カードはコチラ→https://yumikosita.blogspot.com/2020/04/51_30.html




2020年5月10日日曜日

どうでもいいような日常の話

私好みな昭和なアパートに、三月のはじめに入居して、あっという間に二ヶ月が経ってしまった。家賃のモトを取りまくっている。

それにしても、3月、4月の寒さはこたえた。雪なんか降っちゃって。布団はせんべいだし。

鼻水が止まらまくて埃アレルギーだとばかり思っていたが、珍しく気温の上がった日に、鼻水が出ないことに気が付く。

アレ?治ったかな?

しかし翌日寒さが戻ってくると、また洪水。

ここで初めて、埃アレルギーって勘違いでは?と思い始めたわけです。

で自分でいろいろと調べたら、寒暖差アレルギーと称される症状らしい。

「寒暖差アレルギーは、温度差が大きいときに引き起こされる症状で、実際にはアレルギー反応ではなく、自律神経の乱れに伴う反応です。正式病名としては血管運動性鼻炎になります。

自律神経は、周りの環境に対して体を自動調整します。通常、寒い場所では、血管が収縮します。暖かい場所では、血管が拡張します。しかし、寒暖差が激しいと、血管の収縮が環境に追いつけなくなり、自律神経が誤作動を起こしてしまうのです。

自律神経が、適切な対応が出来るのは大体7℃以内と言われています。7℃以上の気温差で鼻粘膜の血管が拡張して鼻粘膜が浮腫して、アレルギー様の症状が出ます。


な、7度〜っ⁉︎

たったの・・・!人体そんなに軟弱なの〜っ!

30度の気温差の場所から帰って来たのでは、体もそりゃびっくりするわな。ことに私は過去10回分、日本の冬をサボっており、鼻の粘膜も、摂氏10度以下という存在を忘れていたに違いない。どうりで毎年、帰国すると鼻水が出ると思った。日本の家は埃っぽいと、勝手に思っていたが、違う!寒いのだ。

そうなると、手持ちの服も問題だ。持っているのは夏服ばかり。そりゃそうだ。春夏しかいないんだから。長袖だと思っていた服の大半は、首回りスッキリの七分袖で、風がよく通る。これがいけなかったらしい。

「くび」と名のつく部位には、皮膚の直下に大きな血管が通っていて、外気温に敏感なのだそうだ。この部分が冷たいと、体は「冷えてるよ、危険!」と恒常性を過剰に発揮してしまう。

脇が甘かった・・・・。首と手首はノーガードだった。

・・・10年前に気づくべきだった!


インドのクルタや、中東のカフタンのデザインは、日本でも流行っていて素敵なんだけど、たとえ袖が長かったとしても、風がよく通り、「くび」の部分が涼しく感じられるように出来ているから要注意だ。

衣服って地域に根ざした知恵が詰まってるんだね〜、感心、感心。(by シータ心の声)

唯一持っていたセーターは道端で買った古着で、若い子向けのブランドのLサイズが、XS位まで目いっぱい縮んだもの。これがフェルト化して逆に可愛くて、ウール100%の目が詰まって温かく、しかも百円!と気に入っていたのだけれど、つんつるてん故に、確かに首も手首も剥き出し。

気に入っていたので悩んだけれど、背に腹は変えられない。リフォームしてみた。


袖と脇の下、身ごろを使って靴下。


身ごろの裾を使って、手首ウォーマーと、頸動脈ウォーマーだ!

足首の90度カーブは、脇の下と袖の角度を利用。


















セーター消滅‼️もはや原型なし。

どうですか、この逆転の発想リフォーム。
今までセーターで温まらなかった部分を積極的に温めるぜ!


すっかり暖かくなった今でも、10度前後に気温が下がる日は、やはり鼻から水が出る。
そんな時は、「くび」を温めてしのぎます。

ちなみに「くび」ってのは何かと何かを繋ぐ部分を表す言葉で、貨車を連結する「くびき」なんてのも語源を同じくします。大事な部分。

YOGAという言葉の源である Yujという音も同じ、繋ぐを意味しているよね。

みなさんも「くび」あったかくしてね。


2020年5月8日金曜日

5月10日(日)10:00 ★シータマとサットサンガ

みなさん、いかがお過ごしですか?
おうちにお籠り中の方、美しい春の日差しを、休日だけじゃなく、しかもこんなに長時間、目に映せる毎日は、子供の時以来では?


次回のサットサンガでは、Swami Sivananda Gurudevのお弟子さんの一人である、Swami Chidananda 先生の小冊子「Success in Life」を開いて見ましょう。




若者に向けて書かれたメッセージなのですが、中年の私にとっても胸に響く本で、なんと、友永淳子先生の美しい日本語訳がついた本が出版されています。




本を開くと、左頁に日本語、右に英語原文という装丁なのですが、シンプルな言葉で、伝わり易く、読書が苦手な人にもオススメ。

私は昔、オーストラリア人の同僚 Ken(アシュターンガヨーガの先生)と、ランゲージエクスチェンジをしていたんですね。というのも、お互い、クラスを教えるときに第二言語を使わねばならない環境にいて、教える時のニュアンスってのは語学の教科書に載っていないから、互いに協力して頑張ろう!ってことになったのです。毎週水曜日に、恵比寿のスタジオの近くでランチをしながら、あーだ、こーだやってました。

彼が国に戻る時にプレゼントしたのがこの本です。原文も書いてあるし、日本語の読み書きを忘れないために良いなと思ったのと、内容そのものに、何物にも代えがたい価値があると思ったからです。

いやー、もうほんとお薦めなので、買ってください。

青年向けでありながら、中高年の我々に響く内容です。私たち大人が、大人を自称するには子供っぽ過ぎる世の中になったのかな・・・。でも、結局は、若かろうが、年を取っていようが、人生において大切なことは普遍的だということなのでしょう。

ということで今回のサットサンガは、友永先生の名訳に私の解説を添えて、読んでいきます。

アプリが無くても、ブラウザから参加出来ますし、リモートワークでお仕事中の方も、スマホでラジオ代りに聞き流していて下さって構いませんので、是非是非ご参加くださいね。



【5月10日(日)シータマとサットサンガ】
Language : Japanese
時間:10:00am-11:30am
参加費:無料
内容:キールタンとお話。

キールタンはインドの賛美歌です。皆んなで歌いましょう。打楽器の参加はご自由に。バイオリン笛など音階のある楽器は、即興でキーを取れる方はどうぞ。
歌詞カードはコチラ→https://yumikosita.blogspot.com/2020/04/51_30.html

ZoomミーティングID: 824 5465 0915
こちらからどうぞ→ https://us02web.zoom.us/j/82454650915