2020年4月30日木曜日

5月17日(日)10:30AM サットサンガ 歌詞カード


①Jaya Ganesa 
(その時々で多少変わりますが、だいたい以下の中からチョイスします。音訳記号が付けられなかったので、SやNなど複数の音がある場合は、耳で真似して聞いてください。)

Jaya Ganesa Jaya Ganesa Jaya Ganesa Pahi Mam
Sri Ganesa Sri Ganesa Sri Ganesa Raksa Mam

Saravanabhava Saravanabhava Saravanabhava Pahi Mam
Subramanya Subramanya Subramanya Raksa Mam

Jaya Sarasvati Jaya Sarasvati Jaya Sarasvati Pahi Mam
Sri Sarasvati Sri Sarasvati Sri Sarasvati Raksa Mam

Raja Rajesvari Raja Rajesvari Raja Rajesvari Pahi Mam
Triprasundari Tripurasundari Tripurasundari Raksa Mam

Jaya Guru Siva Guru Hari Guru Ram
Jagad Guru Param Guru Sat guru Syam

Om Adi Guru Advaita Guru Ananda Guru Om
Cid Guru Cidghana Guru Cimmaya Guru Om

Hare Rama Hare Rama Rama Rama Hare Hare
Hare Krsna Hare Krsna Krsna Krsna Hare Hare

Sadguru Natha Sri Guru Natha Jaya Guru Natha Sivananda
Sivananda Sivananda Sivananda Sadguru Devo
Visnu-devananda Visnu-devananda Visnu-devananda Sri Guru Natha

Hare Rama… Hare Krsna…
Om Namah Sivaya
Om Namo Narayanaya
Om Namo Bhagavate Vasudevaya
Om Namo Bhagavate Sivanandaya
Om Namo Bhagavate Sadguru Nathaya
Om Namo Bagavate Visnu-devanandaya
Om Namo Bhagavate Sri Guru Nathaya
Om Namo Bhgavate Agastya Munaye
Om Namo Bhagavate Sri Rama Priyaya Namah

Sri Ram Jay Ram Jaya Jaya Ram Om

Anjaneya Anjaneya Anjaneya Pahi Mam
Hanumanta Hanumanta Hanumanta Raksa Mam

Dattatreya Dattatreya Dattatreya Pahi Mam
Dattaguru Dattaguru Dattaguru Raksa Man

Sankaracarya Sankaracarya Sankaracarya Pahi Mam
Advaita Guru Advaita Guru Advaita Guru Raksa Mam

Krsnam Vande Jagat Gurum Sri Krsnam Vande Jagat Gurum

Anando’ham Anando’ham Anandam Brahmanandam

Om Namah Sivaya

②はじめのシュローカ
OM GAJANANAM BHUTAGANADI SEVITAM
KAPITTHA JAMBU PHALA SARA BHAKSAKAM
UMA SUTAM SOKAVINASA KARANAM
NAMAMI VIGHNESVARA PADAPANKAJAM

SADANANAM KUNKUMA RAKTAVARNAM
MAHAMATIM DIVYAMAYURAVAHANAM
RUDRASYA SUNUM SURASAINYANATHAM
GUHAM SADAHAM SARANAM PRAPADYE

YA KUNDENDU TUSARAHARA DHAVALA
YA SUBHRA VASTRAVRTA
YA VINA VARA DANDA MANDITAKARA
YA SVETA PADMASANA
YA BRAHMACYUTA SANKARA PRABHRTIBHIH
DEVAIH SADA PUJITA
SA MAM PATU SARASVATI BHAGAVATI
NISSESAJADYAPAHA

OM NAMAH SIVAYA GURAVE
SAT-CIT-ANANDA MURTAYE
NISPRAPANCAYA SANTAYA
SRI SIVANANDAYA TE NAMAH
SRI VISNUDEVANANDAYA TE NAMAH

OM SARVA MANGALA MANGALYE SIVE SARVARTHA SADHIKE
SARANYE TRYAMBAKE GAURI NARAYANI NAMOSTUTE

OM SANTIH SANTIH SANTIH

③終わりのシュローカ
OM TRYAMBAKAM YAJAMAHE
SUGANDHIM PUSTIVARDHANAM
URVARUKAMIVA BANDHANAN
MRTYORMUKSIYA MA'MRTAT

OM SARVESAM SVASTIR BHAVATU
SARVESAN SANTIR BHAVATU
SARVESAM PURNAM BHAVATU
SARVESAM MANGALAM BHAVATU

SARVE BHAVANTU SUKHINAH
SARVE SANTU NIRAMAYAH
SARVE BHADRANI PASYANTU
MA KASCID-DUKHABHAG-BHAVET

ASATO MA SAT-GAMAYA
TAMASO MA JYOTIRGAMAYA
MRTYORMA AMRTAM GAMAYA

OM PURNAMADAH PURNAMIDAM
PURNAT PURNAMUDACYATE
PURNASYA PURNAMADAYA
PURNAMEVAVASISYATE

OM SANTIH SANTIH SANTIH

JAYA GANESHA DEVA
JAYA GANESHA JAYA GANESHA JAYA GANESHA DEVA
MATA TUMI PARVATI PITA MAHADEVA
OM NAMAH SHIVAYA


SIVA SIVA SAMBHO
SIVA SIVA SIVA SAMBHO SIVA SIVA SIVA SAMBHO
MAHADEVA SAMBHO MAHADEVA SAMBHO


2020年4月29日水曜日

★シータマとサットサンガ 5月1日(金)★


ずっと寒かった東京も、ようやく暖かくなってきました。
鮮やかな緑の五月が始まります。
ということでオンラインではありますが、みんなで集まりませんか?

「シータマ(ヨーガの先生のときの私のニックネーム)とサットサンガ」とありますが、Swami Sivananda Gurudevの元にみんなで集まってお話を聞きましょう、という集まりです。僭越ながら私、幹事を務めさせていただきます。

オンラインで、果たしてどうなるか心配ではあるのですが、キールタンファンもいらっしゃることでしょうから、少し声に出して歌ったりもしましょうか。聴いてるだけでも勿論大丈夫ですよ。息を合わせたところで、Swami Sivananda 先生の「Bliss Divine」という本の中から一つトピックを選んで、読んでいきましょう。分厚い英語の本ですが、私の方で日本語に翻訳しますのでご心配なく。

Swami Sivananda Sarasvati (1887-1963)は、言語や人種の隔てなく、現代を生きる我々に大切な教えを伝えてくれた近代聖者の一人です。

サットサンガは、Sat (=本質)を知りたい私たちのSanga(集まり)です。その為にそれを知る聖者の教えを求め集います。「Sat」を知るには曇りのない知性が必要で、その曇りの無い知性を得る為には、清らかな心が必要で、心の清浄は身体も、ひいては人との交流含め、行いそのものも綺麗じゃないと叶わない。

宅配ピザとビールとか、パチンコとかも、ストレスの解消にはなるのかも知れないけれど、その効果は限定的で、かつ思考の混乱や重鈍といった副作用付きであることも、一応覚えておいた方が良いと思う。

行いをきれいにする為に、生活の中に、しがらみ抜きの、清々しい交流やアクティビティーをほんの少しでも持つことが出来たら、生活が少しずつ、気持ちの良い、よろこびの場所になって行くんじゃないかな。

サットサンガはその為の、サットヴァな=清々しい集まりです。どなたでもご参加ください。

時間は、朝食後の東南アジア、就寝前の南北中アメリカを考慮して、日本時間の午前10時にしました。話す言語は日本語です。ヨーロッパは深夜になっちゃう。ごめんなさい。

インドの歌とか歌っちゃうけれど、私は決して怪しいものではありません。高額な壺とかお札とか売りつけたりしません。大丈夫です(笑)。

Zoomを使いますが、当日下記のURLより、どなたでも参加できます。

【5月1日(金)シータマとサットサンガ】
Language : Japanese
時間:10:00am-11:30am(15分前から開場しています )
参加費:無料
内容:キールタンとお話。「Bliss Devine」よりSwami Sivananda Gurudevのメッセージを日本語に翻訳して読んでいきましょう。

キールタンはインドの賛美歌です。皆んなで歌いましょう。打楽器の参加はご自由に。バイオリン笛など音階のある楽器は、即興でキーを取れる方はどうぞ。


Zoom Meeting ID : 738-9239-4569
こちらからどうぞ→ https://us04web.zoom.us/j/73892394569










2020年4月28日火曜日

小さな希望

ようやく我が家にインターネットがやってきた。これまでの3日で1GBのやりくりが嘘のようだ。

元来、お一人様好きの天秤座なので、おうち暮らしの日々も楽しく、炊事、洗濯、勉強、裁縫、読書、アーサナ、散歩などのアクティビティーを満喫してきましたが、今日からは、しょうもないことにデータを使い過ぎないように気をつけないと。二ヶ月間のデジタル自粛を無駄にしないように、インターネットとつきあっていきたいものです。

さて、自粛生活はけっこう音楽に彩られています。

部屋ではCD。散歩の時にもMP3プレイヤーを携行してみたり。このMP3は、引っ越しで出てきた10年以上前のもので、何が入っているかも完全に忘れているし、老眼で曲のタイトルも見えないという代物。

マーラーから、ヴェーダのマントラ、キングクリムゾン、ゆらゆら帝国、英語教材、裸のラリーズ、スピッツ、スティング、ジェイムスギャング、早川義夫、ビョーク・・・と次から次へと節操が無い。ゲイリー・ピーコックの演奏は、めっちゃ唸ってる人がいるからキース・ジャレットのトリオに違いない・・・なんて考えながら歩く。ビックリ箱のようで楽しい。

ちなみに、リアルタイムのBGMはスーザなどの行進曲のCDで、これはかなり斬新です。行進したり指揮棒を振り回したくなって大変楽しく、掃除もはかどる。

ますますアタマのおかしい家になっていますが、音楽は、素晴らしいものですよ。もやーっとする時は、踊れる曲をかけてとりあえず踊ってみるといい。音はエネルギーだということがわかる。


ネット環境の改善によって、星野源さんの「うちで踊ろう」も初めて観ることが出来ました。イイ曲ですね。YouTubeには数々のコラボレーションが上がっていて、明るい気持ちが自動的に連鎖していく、この理屈抜きの作用に、音楽の力を見ることが出来ます。

音楽だけではなく、文学、舞踊、美術、他の芸術表現の大切さを、国の偉い人が見直してくれたらいいのにな。

たしかに、音楽聞いても、絵画を観ても、空腹は満たされないし、貯金も増えない。

だけど、ここまで乾いた今だからこそ、くっきりとわかることがある。

「それ」は砂漠のオアシスのように、心に染み込む。


昔、参加していた幾つかのグループのうちの一つに、(私にとっては珍しく)若干シャレオツでアンビエント感もあるポップというのか、なんでしょう?まあそいういうのがあったんですよ。

「大切なのは、ほんの小さな希望です。」

ヴォーカルがMCの冒頭で自分たちを紹介する前に、必ず言っていたセリフ。


音楽は、私という存在全体を救済することは、出来ない。

だけど、道にへたり込んだ人間の、胸のうちに忘れられていた希望を、そっと照らすことがある。芸術は、小さなともしび。

打ちひしがれた人間を、立ち上がらせ、導き、救うことになるかもしれない「小さな希望」は、本当は私たちの中にある。今は小さく “ちょい見せ” かも知れないけれど、それは本当は無限の輝き。

大切なのは、一生暮らせる大金とか、終身雇用とか、一生涯入院保険とか、そういうものじゃなくていい。ていうか、そもそも、そんな保証の類は、この世界に存在すらしていないってことに、気づかなくてはいけない。


もう15年以上も前のことなので、名前も思い出せないけれど、テレビ東京の日曜日の午前中にやっていた番組があったんですよ。道で拾ってきたミュージシャンを対決させ、勝ち抜いたグループは渋谷AXでライブという、「なぜ朝に?」的な内容であったが、視聴したことのある早起きさんは激レア。最後にAXで演ったうちの一組でアップライトのベースを弾いていた女が私です。バンドの名前は「a little hope」といいました。

写真は、当時、自主制作のCDジャケットに私が描いたもの。引っ越しで出てきた。


たいせつなのは、ほんの、小さな、希望です。




2020年4月17日金曜日

何者?

皆さんいかがお過ごしですか?

「我ながら志村ロスに陥るなんて脆弱な!」・・・と一瞬思ったけれど、ビートたけしの「訃報のショックでしばらく鬱っぽくなった」発言を目にして、感受性なるものの存在をしかと受け止めたシータマンです。

私はというと、これがなかなかどうして、幸せな毎日を送っています。まるで、思いがけず、お金では買えない貴重なプレゼントを貰ったような・・・。

この思いがけない感を説明するならば、入院保険に入っていて、10年ごとに保険金支払いが発生しなかった場合に貰える「健康お祝い金」にみたいなのを、今まさに受け取っている・・・・みたいな感じですかね。

突然のライフスタイルの変化に際し、脳の中で組み替えられたシステムが、安定して駆動し始めた。もしも不安があるとしたら、再び古いシステムに戻ることに対しての不安・・・かな。

日本のほとんどの地域において、人の生活のメインは「消費」の一言に尽きる。はっきりいって消費以外にやることがない。

いやいや、私は一生懸命働いて蓄えをクリエイトしている!世の中に価値あるものを提供している!という声もあるけど、それはやっぱり巨大な「消費」の構図に組み込まれたアクションに過ぎない場合がほとんど。

私たちは、さながら「消費」を捧げる家畜のようだ。

じゃあ牧場主は誰だ?という疑問があるけど、それについての議論は他にお任せするとして、行いの結果として手に入るものは、私たちを決して満たしはしないという点が重要。

そういうものを目の前にチラつかせれば、欲求の無限ループを目に見えない柵として、人を放牧できる。

牧場主、なかなか頭がいいじゃないの。


目に見えぬ柵は、恒常的に手に入れられると思っていたものが、手に入らなくなる不安、すなわち失うことへの不安でしょう。


失いたくないもの人気ナンバーワンはお金だけど、地位とか役割とか、そういうのも含む。それはだけど仕方がないのかも知れない。すべての生命体は「死にたくない」という願望を生まれつきプログラムされているからね。死の恐怖がお金にすり替わっているだけのこと。


むかし見た刑事ドラマで、薬物依存症にされた刑事が自らを監禁状態にして、薬が抜けるまで壮絶な禁断症状と戦う、みたいなシーンがあったんだけど、多かれ少なかれ、現代人は「刺激」というドラッグに漬けられている。

(自粛生活で多くの人が感じるイライラも、毒を抜く過程で現れる禁断症状みたいなものなのでしょう。)

刺激を煽るエージェントの大手はインターネットをはじめとするメディアなので、本当に気をつけて付き合わないといけない。

そうはいっても相手はプロですから、巧みですよ。まったく洗脳されないというのは、本当に難しいことだと思う。

今回、神様がくれた「独り静かに過ごしていい時間」に、「デジタルデトックスのチャンス(というとカッコイが、単に自分の不手際が招いたインターネットがあまり使えない環境)」がうまく掛け合わさったのがラッキーだなあ、と思うのはそういう点においてですね。

自らをソフトに監禁して、毒を抜く。


高城剛氏の著作に言い得て妙な文章があったので、引用します。


 あらゆる科学的データから検証しても、ブッダが言うところの「幸せは外的要因に左右されない」のは正しい。言い換えれば、外的要因に左右される幸せは錯覚に過ぎず、セロトニンは出ないのだ。

 収入の多寡や物質的なものでは、人々は幸せを感じないのは科学的に証明されている。一瞬、消費によって幸せを感じたように思っても、セロトニン量を計測すれば、ただの興奮に過ぎず、

(~中略~)


よくスピリチュアルや自己啓発のメソッドでドキドキワクワクに従うようなことを本気で話しているのを目撃するが、それはドーパミンとノルアドレナリンによって、ごまかしているにすぎず、いわゆる幸せとは離れていくことを意味している。 ー「多動日記」より抜粋


お金の不安だけじゃない。何もしない人であることの不安。「役の価値=私の価値」という役への依存は「持っている資産の価値=私の価値」という勘違いと同じくらい多い。

人に求められる人材、社会の役に立つ人材、価値ある人材、愛される人材。

もちろん人を助けたり助けられたりすることはとても大切なことだけど、それ自体が人の存在の価値とは直接関係がないことを忘れてはいけない。


冒頭で、幸せな毎日を過ごしていると言いましたが、それは「何ものでもない私」を享受できることが、静かに幸せなんだよね。


ずいぶんと前は、毎日、そんな時間を生きていた、そんな記憶がある。

何ものでもない。
何にもならなくていい。
わたしだけがそこに在る。
とても静か。

そんな時間を、いつの間にか忘れてしまっているということすら、いつの間にか忘れてしまっていました。

コロナよ、ありがとう。




かつてないくらい睡眠をしっかり取れてるのも、ご飯を毎食家で作れるのも幸せ。写真はある日の晩ご飯。やたら緑色なのと、納豆がパックのままなのはご愛嬌。胡瓜のピリ辛炒めと、ピーマンと油揚げを煮たやつです。人生始まって以来のレベルで家賃の元を取りまくっていることも密かに嬉しいシータマンでした。

またね。

2020年4月4日土曜日

「あたしゃ神様だよ!」



みなさん、いかがお過ごしですか?

じわじわと来てるでしょ、ストレス。

気丈に過ごしているように見えて、実は来てるんじゃないか、と私は思う。
みなさんはどうお感じですか?

これでストレス感じない方がおかしいんだから、いいんですよ。
いいじゃないですか、ストレス。

どんな感情でも、あなたの思考のキャンバスに現れたものを、サプレス=抑圧してはならないよ、とインドで様々な先生達から教わりました。

未曾有の事態の今、当たり前に緊張しますよ。

その心の緊張をちゃんと明らかにして、それに対して「客観的」姿勢をきちんと取れるということ。大切だと思います。

無頼を気取って宴会に繰り出したり、ひたすら楽しい様子だけを発信して周囲の危機感を削ぐでもなく、ブレない冷静さを持ち続けていたいものです。

だから不安を不安と認めることは良いことだと思う。
でも「不安」と「私」を混同視しないこと。
このプロセス、「私」と「私ではないもの」をちゃんと分けるところまで、やりきりましょう。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「はぁ〜。カツ丼食いてえなぁ〜。」


20092月、インドの田舎。あるコースのアシスタントをしていた時、私の耳に日本語が飛び込んできた。

キョロキョロと周囲を見回すも、日本人は見当たらない。

さらに

「はぁ〜。うなぎも食いてえ・・・。」

と続く。

声の主はどうやら、左前方に座っている私と同世代の英国人男性のようだ。

え、なんで?日本語喋れるの?どーゆーこと!

「あ、俺、子供んとき日本だったから。」

聞けば英国人のお父さんとフィリピン人のお母さんが、国連かなにかにお勤めで、当時の勤務地が日本だったとのこと。


「俺、全員集合で育ったからね。ドリフの大爆笑見てえなぁ〜・・・。」


先のカツ丼のつぶやきは、習慣の違うインドで、慣れない菜食料理を食べつつハードスケジュールをこなすなかで、深い溜息と共に漏れた心の声だったみたい。

「もしものコーナーの神様コントが一番好き。」

え、どんなんだった?

「忘れたの?いかりやが神社に行くと志村が『あたしゃ神様だよ』って出て来るやつ!」

そうだった、そうだった!

今となっては彼の名前を思い出せないけれど、海の向こうで我らが「志村」の訃報に肩を落としていると思う。

  
三月末に志村けんさんが亡くなって、このニュースの意味を二、三日のみ込めずにいたんだけど、急に受け止めて、実は私は泣いた。けっこうしっかり泣いちゃった。

心の中のとても身近な場所に居た人だったんだなって、初めて知った。私の夢に出てきた芸能人て、唯一、志村けんだけだし。側にいたら思わず惚れてしまうであろう、かっこいい男性像でもあった。

知る人ぞ知るヴァルカラ新喜劇で、私はすべての演目の脚本を作っていたけど、弘美さんにあてがった役の演出は、常に志村けんを意識していた。

泣いたらさ、がっくり来て、二、三日体調を崩した。
胃腸の調子が悪い程度だけど、まあ体が休めと言ってきたわけです。

それで、アッパラパーな私でさえもこの事態にストレス感じてたんだなぁって気づいたんだよね。

それから笑いの力についてもね。

私もインドでめっぽうシンドイ時には、全員集合のオープニングのコントをYoutubeでこっそり見ていた。



いま、この状況の中で、毎日一人で、道端に笑いを探してるのね。

一人でいても笑えることは結構たくさんあるんですよ。

でも、やっぱりプロには敵わない。


笑いはガソリン。

涙はガス抜き。

泣いて、泣き止んで、笑って、思う。



私の表面は、悲しみや喜び、怒りや愛着、いろんなものを映すなあ。

私は何にでもなる。

なんか、自由だなあ。

湖面が、空をゆくツバメや、空の青、空気の揺らぎなんかを映すように。



「美」とは自由であることなのかも知れない。


思い出した。彼の名前はティム。元気にしてるかな?
遠く日本から、あなたの安全を祈ってます。


(写真→マックス団の仕事として、雪の日にスマイリーを描きまくったぜ!の図)