2020年3月27日金曜日

意見めいたこと。

毎日天気予報をチェックしている私。
気温の動きを見ている。
それなりの準備が必要なのである。

・・・で、来たる日曜日の予報が8℃/4℃。

がーん・・・・。

セーターが無いし、布団が(人が横たわった状態で)厚さ2㎝くらいなので、寝るときに寒い。

うーむ。コロナよりも、うーむ。困るわー。


・・・なんていうのは冗談で、コロナウィルスの状況は結構シビアだと思っています。


今日は、すこし、意見めいたことを書いてしまうんだけど、お許しください。


あのね、状況をありのままに見据えることって、大切だと思うんですよね。

でもこれって私達人間に複雑に備わっている要素によって、実に難しいことなんです。

個々人の思っているリアルが、アクチュアルとイコールかというと必ずしもそうではない。

犬と聞いて思い浮かべる姿形は、10人いたら10通りあるということです。あれ?なんかヴェーダーンタで聞いたことあるかも?

そうです、そうです。

私たちの思考野で繰り広げられるリアリティー(と思っているもの)はみんなバラバラなんです。そもそも、そういうものだからです。

このパンデミックの状況も、捉えられ方が違って当然なわけですね。でも各々が「リアル(と思っているもの)」に沿って各々行動したらいいじゃん!ということになると、世界人類の集合という「一つの生命」は危機に瀕するでしょう。

過大に受け止めてはいけないのと同様に、過小に受け止めてもいけないということです。


「私の心象世界にはコロナありませーん」と無視するのもナシ。ちなみにこれは現実逃避。

「全ては生まれ落ちたときから破滅に向かっているんだ!デストローイ!」みたいなデカダンスもダメ。これは文学の中の話じゃなくて、アクチュアルだから。

アクチュアルにおける共有認識の軸を、今は世界中が ーたとえそれが完全なものでは無いとしても ―「現代科学を土台とする常識」に据えて様々な努力をしているところです。

自己の願望や使命感の達成のために、自分以外の誰かを危険に晒すことも、結果の付きまとう「行為」であることを忘れないで欲しい。

「私は恐れない!勇敢に立ち向かう!人との交流の中にすべきことがある。人に出会い、人を励ますことをやめません!」

という人は、それなりの持論があるのだと思うのですが、その思いの辿り着く先を想像してみて欲しい。


「愛する人に幸せになって欲しい」という皆さんの優しさを、自分自身から、身近な人、身近な人に繋がる知らない人、どこか遠くの見たこともない人へと、広げてみてはいただけないでしょうか?

寒い夜に、定食屋でテレビを見上げながら、仕事の後のビールの旨さにしみじみと癒されているくたびれたオジサンとか、泣いているところママに慰められて安心し、もっと涙がでちゃった喘息持ちの小さな女の子とか、そういう知らない人のところまで、私たちの「行為」は響いていく。

あの独り身のオジサンが、この夏も元気で鯖の味噌煮でほっこり幸せだったらいいな。あの病弱な女の子が大きくなって、小学生になったと思ったら、いつしかキレイなお嬢さんになって初恋して、失恋して、青春を謳歌したらいいな。

・・・・と、思えたら、いいな、と。


(ヨーギーの皆さん、私は敢えて、ビールを飲んで魚を食べるオジサンを出しましたよ。思うところをわかっていただけるといいのだけど・・・。)

私たちの行為も、知らない間に誰かを救い、誰かを殺してる( ― だからこそ謙虚さと感謝をもって生きることが大事なんです)。それを知ったうえで、私たちが今すべきことをし、すべきでないことをしない。目に見えないものをコントロールする力を私は持たないからこそ、心して決断をしていくわけです。

それと、買い占めとか流行っていますけれど、人類は互いに守り合わないと絶滅してしまう、生態系の中でもっとも弱いグループの生き物ですから、そこ、冷静に考えないと。

「恐怖」は、私たちの授かった優秀なプログラムなんですよ。それは私たちの生命を、安全を、守るためにある機能です。

しかし、蒙昧な無知によってそれを暴走させれば、それが私達を滅ぼす刃にもなるということを覚えておいて下さい。


最前線で任務につく医療従事者の皆さん、お店で物を売ってくれたり、野菜を作ったり、流通してくれたり、役所や会社に出勤して社会を回してくれてる人達の、尊い自己犠牲に感謝して、最小限の混乱で切り抜けられるようco-operateしていきましょう。

ということで皆さん、

今はカーマよりアルタ。
そしてその土台にダルマ!

そして、この機会に、真のリアルと、そうでないものを見極められる力を鍛えましょう。

まんまのまんまを映すキレイさを。


よろしくね!

写真は私の大好きな俳優さんSuriya。コロナ感染拡大阻止のための自粛によって仕事を失うコリウッド(タミル映画)のワーカー達の生活費を寄付しました。どこまでも男前。私の名前間違ってるけど心のイケメンだから許しちゃう!








2020年3月23日月曜日

徒然雑記帳


みなさん、お元気にしてますか?

私の知人で、アフリカやイギリスでコロナウィルスに感染した人が出はじめて、こういうのはやっぱり他人事ではなくて、わが身のこととして謙虚に向き合うべきことなんだな、と思います。そして皆で助け合わなくては。

個人的に友達に会ったりすることは時々あるけど、私がイベントを以て人を招集することは、まだ今のところは控えています。

なんでかと言うと、たいして人が来ない行事だとしても、多少なりとも人の手本になってしまう可能性のある仕事?立場?にあるので、「シータマやってるから私もそれに続こう!」という判断の基準になってしまうといけないからです。状況が状況ですから、出来るだけ感染しないし、させないということ。

ということで、いま、フーテンです(笑)。

この機会にあえてがっつり内向しようということで、人にも極力繋がらず、ネットにも極力繋がらず、孤高の独り身暮らしを満喫しています。私も社会の一部として生きている以上、また社会がもとに戻ったら、こういうチャンスって、無いと思うので。インフラが整っていないせいもあるけど、敢えて今は、オンラインのクラスなどもせず、SNSにも極力触れてません。


ということで、元気に生きてることのご報告の記事です。


今回のコロナの日々は、かなりいろいろなことを教えてくれて、毎日毎日、じつに感慨深い。これからブログで時々追々呟いていくと思いますが、とりあえず一つ気づいたことは、ネットがしょぼくても、声が聴けなくても、顔が見えなくても、繋がるべきところにはちゃんと繋がれているということ。

テレパシーじゃないけど、寡黙のなかに、思いを一つにしている人達の存在とか、どんな思いを共有しているか、などがハッキリわかってなんだか、ものすごい安心感を再認識しています。

ノイズが減った分、画面がクリアに見えたテレビ、みたいな感覚。


それはさておき、どんな暮らしをしているかというと、まず、部屋を借りました。

往復3キロの道のりを徒歩で引っ越し(マジか!)していたのだけど、救世主が現れて車を出して下さったので、作業の日程が劇的に短縮されました。Mさん、Kさん、本当にありがとうございました!

ちなみにこの引っ越し作業は、まだ継続中です。実家でテレビショッピングを見て即買いした「アップカート」というやつを転がして運びます。高かったけど、これは本当に買ってよかった。

10年前にすべてを物置にぶち込んでインドに奉公に出てしまったので、10年前の玉手箱から必要なものを分別する作業。アホらしいものを溜め込んでいたりして、ゲンナリする時もあるけど、本当に少しずつ、苦しみも楽しみながらやってます。

一番つらいのは、寒さです。

昔、江の島で「お前がこの浜に居ること自体犯罪!」と言われるほど、青白ヒョロヒョロ夏嫌いだった筈が、長年のインド生活により一転。桜咲けども身は凍え、煎餅布団がいけないんだろうけど、そこはもう我慢することにする。白髪を(ヘナで)染めたいけど寒いのでなかなか出来ません。まあ、誰にも会わないし、いいかな。

久しぶりに睡眠をきちんと取っています。

食事も取っています。

今日のお昼は、パンと珈琲とブロッコリー。ディナーは湯豆腐(もめん半丁、ブロッコリー、人参スライス入り)と納豆ご飯。おやつにみたらし団子食べました。米は一日半合です。昼はパンかパスタ。朝は無し。珈琲は一日一杯。寒いのでやたらと茶を沸かして飲んでいます。

部屋は狭いけど、ミニマムな生活には持ってこいで、毎日の掃除も楽。美食に走らぬよう、調理器具と冷蔵庫も超ミニマムにしました。

窓は二面だけど北向きなので、晴れた日は、直射日光を求めて歩きに出ます。蓄熱、蓄熱。真夏の長時間の日光浴はダメージだけど、赤外線だけじゃなくて紫外線も体が求めている気がするので。

公園に行くと、右のベンチにネパール人家族、ひとつ飛ばして左側のベンチにインド人の若者3名がいて、ボーダーレスな感じ。なんだか安心する。

左に聞き耳を立て、どこの人か判別しようとするも、ちょっと遠くて判らない。辛抱強く聞いていたらマラヤ―ラムだった。ケーララ確定(笑)。

まあ、当面は引っ越し作業を頑張らないといけない。室内の生活環境を整えたら、追ってネット環境が整って、多分、この麗しき孤独の日々は終わるのだろう。ウィルス活動の終息を見込んで、夏のイベントの告知なんかもせねばなるまい。

でも、今の、この感じ、ずっと忘れたくないな。思考が外に外に向いていかない感じ。私と私の逢瀬。今だけは、神様がくれたこの心静かな時間を、じっくり楽しみたいと思う。

そうだ、明日は武田百合子の「富士日記」でも読もうか。きっと明日にピッタリの本だと思う。

写真は10年前の部屋。かわゆい鳩二匹。












2020年3月9日月曜日

【重要】コロナウィルスに関して


みなさま、こんにちは。
お元気ですか?

私は元気、そして上機嫌をこころがけています。
以下の記事を発信して間もないのに残念なお知らせですが、
港区からの要請によって、私が担当する三月のサークルの全てクラスを自粛させていただくことになりました。

楽しみにしていらしたかたにはご迷惑をおかけしますが、ご理解のほど、よろしくお願いいたします。
こんな時だからこそ、出来ること、沢山あると思います。この時間を大切に使ってご自身を幸せにして下さい。

それでは、みんな元気に再会出来る日を楽しみにしています!!





みなさま、ご無沙汰しています。お元気ですか?


はるか先生からのバトンタッチで、3月4日より港区サークルのレッスンを行わせていただきます。

しかしながら、コロナウィルス感染拡大の問題を受けて、サークルのクラス開催の可否について、実に悩ましいところです。お亡くなりになった方々のご冥福をお祈りするとともに、ウィルスによって体調を崩された皆さまの回復を心よりお祈りしています。

根本的な対策のひとつとして、各自の免疫力増進の重要性が挙げられることから、ヨーガの様々な技法が有用であることを踏まえ、現時点(2月28日)では、以下の点に留意しながら3月4日(水)の開催を予定していますが、くれぐれも参加については各自のご判断でお願いしたいと思います。(※ヨーガの技法を行えば感染を防げるということではありません。)


・入室前に、各自うがい、手洗いを必ずお済ませいただき、施設に常備されている消毒液も併せてご利用ください。


・部屋を密閉しないため、暖房を使用しながら、ドアを開放してレッスンを行います。寒さの気になる方はショールのご持参など防寒対策をお願いします。


・マスクのご着用をお願いします。


・万一、参加者が殺到した場合、部屋の広さに準じて先着順で入場を制限させていただく場合があるかも知れません。


・状況に応じて、直前に休講になる場合があります。このブログのスケジュール欄に記載いたしますので、お越しの前にご確認下さい。(施設自体が休館になることも考えられます。その場合も逐次スケジュール欄でお知らせします。)


・感染の不安材料があったり、体調不良を感じる場合は参加をご遠慮ください。


・お互いに気持ちよく安心して健康増進に励めるよう、ご理解お願いいたします。



だあれも来なくても、私は一人のびのび練習を楽しむだけなので、皆さんどうぞ私に気を使わずに。まずは我が身を守る対策をして下さいね。

タイ経由で帰って来たのですが、タイでは、町も空港も機内も、わりと事態が深刻に受け止められているようでした。私自身も、いちおう感染者の出ている国からの帰国なので、2週間ほど可能な限り家族以外との接触を断っていたため、ご連絡が遅くなりすみません。

実のところ、日本に戻ってみて「あれ?ゆるいなあ。危機感が薄いのかな?」と思ったのも事実なんですよ。でも過去のことをアレコレ言っても仕方がない。


私達に出来ることは、状況をベターにするために、今、今、今の一瞬一瞬にベストを尽くすこと。

笑って、笑って、明るい顔で、呼吸を深く、自分の体としっかり対話して、ともに乗り切りましょう!

マイナスイオンたっぷりっぽい写真を貼り付けてみましたよ。

体内環境、身の回りの環境、そして心の環境もしっかり整えていきましょうね!

以上、お知らせでした!




2020年3月2日月曜日

大切なお知らせ



こんにちは。

今日は改まって、お知らせしておきたいことがあります。

早々に私に問い合わせ下さった人もいたので、知っている方もいらっしゃると思うのですが、何事もなかったように皆さんの前に顔を出すことは出来ぬ性分のため、お付き合い下さい。

2019年12月の5日過ぎだったでしょうか。だあれも居ないトリシュールのグルクラムにひっそり暮らしている時でした。

あるニュースが飛び込んできました。

私の先生の先生であるSwami Vishnudevananda先生にセクハラ、モラハラを受けたという元スワミ二(女性)による、インターナショナル・シヴァーナンダ・ヨーガ・ヴェーダーンタ・センター(以下ISYVC)に対する申し立てがSNSで拡散された、というニュースです。

今の言葉でいうと炎上というのでしょうか、世界中のアーシュラムやセンターでは、大変な騒ぎになり、私のもとにも女性たちからの怒りを共有するメッセージが多々届きました。

30年も前の事案であり、加害者とされるスワミヴィシュヌは既に亡くなっていますから、確かめようがないので、これに関して何も言えません。

ことにセクハラについては、具体的な内容については語られておらず、あったかも知れないし、なかったかも知れない。

だから今回の件を断罪する類の発言は、私には出来ません。

とはいえ聞かなかったことにすることも、私には出来ない、と思いこれを書いています。胡麻化しても、いずれどこかで皆さんのお耳に入るわけですから。

このようなニュースを耳にすることは非常に悲しいことです。
いかなる時代の、いかなる場所でも、あってはいけないことです。

また追随するように別の先生のセクハラ関連訴訟の件もオープンになりました。

この騒動で、各国のセンターとアーシュラムは、対応に追われていることと思います。詳しくは組織のウェブサイトのトップページから、リポートを読むことが出来ます。


ここからは私自身の思ったことを書きますね。

一般論として、女性は、このような事案には、反射的に生理的嫌悪を覚えることが多いのではないでしょうか。

殆どの女性は、多かれ少なかれ、性的に怖い目、危ない目にあったことがあるからです。私自身も、大変に嫌な目にあったことがあります。最悪です。怒っています。人の尊厳を根っこから傷つける行為です。

(反対に、女性が当たり前のように男性を傷つけていることだって、きっとあるはずです。)

ですが、私は今回のニュースを感情的には捉えませんでした。

もともと、そこに妄信がなかったというのも一因ですが、先達のスワミジたちの生き様を前にして、私自身がどう生きるかということの方が、私にとっては急務だからです。

(余談ですが、この盲目的な依存傾向は、ヨーガの人の中にもとても多い気がします。対象を多面的に見ることが出来ないというか・・・。)

私は、以前ブログでも触れましたが、ISYVCの組織とはもう10年くらい離れているため、スワミジの名前や写真を排除するしないの議論の外にいますが、私個人にとっても若干悩ましいことではあります。

ちなみに離れている理由は「みんなで渡れば怖くない」よりも「一人で渡れば危なくない」という個人的主観によるものです。



組織には組織のメリットがありますよね。組織だからこそ為し得ることは沢山ある。

しかし、組織というのは同時に難しいもので、権力争いも、強者による弱者からの搾取も、それを見て見ぬふりしなくてはいけない忖度の構図も、どうしてもあるんですよ。会社だって、どんなアーシュラムにだってある。それらは、「みんなで渡れば怖くない」と思えてしまう、私にとっての「危ない」橋なわけです。


今回のニュースで「信じてたのに!裏切られた!」って思った人が沢山いたはずで、「寄らば大樹の陰」的な生き方を選んでる場合、「大樹と信じて寄り掛かったのに倒れたでは、どうしてくれるの!?」って話ですよね。


人間は弱いもの。

己の弱さと闘いながら負けてしまうこともある。

逆に、闘いを放棄して他者に人生丸投げ依存したくなることもある。

でも、

真の意味で己に出来るのは、己を生きることだけ

ではないでしょうか。


以上、今年の初クラスの前に、お知らせしておきたかったことです。


お祈りの時に、スワミジの名前を言うかも知れないし、言わないかも知れない。

その時になってみないとわかりませんし、迷うかも知れない。

そんな私の決断や迷いを、不快に思う人もいるかも知れない。


でも、そこも含めて構わないので、私の生き様を見て下さい、としか言えません。


今年ますます、身を引き締めて生きよと、喝を入れられた気がしています。


うまくまとまらないので、また追って書くことがあるかも知れません。


Om Tat Sat

Sita