2011年7月27日水曜日

雨ニモ負ケズ


有名な賢治の遺作メモを、なんとなく散文調に直してみました。

・・・というのも、前に岩手県に足を踏み入れたのは、花巻市の宮沢賢治記念館を訪れた時だった・・・と思い出したから。18歳でした。



『雨にも負けず、風にも負けず、雪にも夏の暑さにも負けぬ、丈夫な体を持ち、慾は無く、決して瞋らず、いつも静かに笑っている。

 一日に玄米四合と、味噌と少しの野菜を食べ、あらゆる事を、自分を勘定に入れずに、よく見聞きし解かり、そして忘れず、野原の松の林の蔭の、小さな萱葺の小屋に居て、東に病気の子供あれば、行って看病してやり、西に疲れた母あれば、行ってその稲の束を負い、南に死にそうな人あれば、行って怖がらなくてもいいと言い、北に喧嘩や訴訟があれば、つまらないからやめろと言い、日照りの時は涙を流し、寒さの時はおろおろ歩き、皆に木偶の坊と呼ばれ、褒められもせず、苦にもされず・・・

そういう者に私はなりたい。』


ソウイウモノニ、ワタシモナリタイ。


「Ame nimo makezu~not losing to the rain」

not losing to the rain
not losing to the wind
not losing to the snow nor to summer's heat
with a strong body
unfettered by desire
never losing temper
cultivating a quiet joy
every day four bowls of brown rice
miso and some vegetables to eat
in everything
count yourself last and put others before you
watching and listening, and understanding
and never forgetting
in the shade of the woods of the pines of the fields
being in a little thatched hut
if there is a sick child to the east
going and nursing over them
if there is a tired mother to the west
going and shouldering her sheaf of rice
if there is someone near death to the south
going and saying there's no need to be afraid
if there is a quarrel or a lawsuit to the north
telling them to leave off with such waste
when there's drought, shedding tears of sympathy
when the summer's cold, wandering upset
called a nobody by everyone
without being praised
without being blamed
such a person
I want to become

~From Kenji Miyazawa(=Japanese poet)'s death note~

岩手復興支援行 7

 


 7月24日(日)午後11時。運転手さん、飛ばしてくださったのでしょう。まさかの予定通り東京着。

 本当に行って良かった。人生の中で、最も重要な出来事の一つだったのではないか、と思いました。ここに参加させて貰えたご縁を本当にありがたく思います。

 被災地方という「一部」に赴いて、私は「全体」を見せていただいた気がした。そして自分の役目をしっかり踏んでいこうと、決意を新たにしました。人間だから、時に弱気になるけど、心を鬼にして、ずるく無い生き方をしよう、と思いました。

 気づいた点。ボランティアというと解体等の特別な技能を持っていないと駄目なのかな、と思ってたけど、それこそ「人間だったら出来る普通のこと」が山程あるって事。今日のドブ浚い等いい例ですよね。普段は自分でやる暮らし周りの掃除が、そこらじゅうで100年分溜まってしまった!というような状態。人が足りないんです。文字通り、沢山の人が、消えてしまったから・・・・


 多くの人が命を落とした瓦礫の町で、何かしらネガティブなものを捉える人もいる事でしょう。でも私に見えた全てのものは「良いもの」でした。被災された方々の中にある良い思い、そして支援に入っている方の良い思い、そこには良い思いしかなかった。普通、社会は、ポジとネガが入り混じった思いの世界なんですね。どんな町に暮らしてもそう。なのに、ここはそういう意味で特殊でした。良い思いの世界で浄められた思いでした。


 それから、この10年ではじめて男の人をカッコいいと思ったかな。本当にカッコ良かった。文句も言わず黙々と、しかし機嫌よく働く。口ばかりではなく、実行力のある男達を見たのは本当に久しぶりな気がする。惚れますよ。お世話になってる韓国人のマッサージおばちゃんも「最近、いい男いないよ!」が口癖だけど、やっと見れた。おばちゃんにも見せてあげたかったな。正直、アシュラムやセンターでも口だけ男が山程だもの。


 最後の写真に載っている男性は、作業中「あのやたら親切で爽やかな男の人は何者だ?」と話題になっており、「気が利くからメイクさんに違いない!」と勝手に結論付けられてた方なのですが、本当は都内の大学で福祉に関する教鞭をとられてるのだそうです。最後に少しお話しする機会があったので「福祉とは一体何ですか?」と変な質問をしてしまったのですが、「コミュニケーションですよ」と朗らかに答えて下さいました。一日の最後に、その言葉を聞いて、全てが腑に落ちた気がした。そして、初めてのカプセルホテルで、私は泥のように、長い眠りに落ちました。


 コミュニケーション。

 私の仕事は、多分、そうなんですよ。いや、次元は色々あれど、全ては、そういうことになると思います。


 今回ご縁させていただいた全ての方へ。この経験を無駄にしないように生きます。私が変わることで、日本で、またインドで、生徒たちに伝えていけるように。ありがとうございました。


 今が明るければ全てが輝く。がんばろう!
 
 ちょっとヘドロが好きになった岩手行きでした。

 

岩手復興支援行 6

 さて、ここからが本題といって過言ではありません。翌24日の8:30、我らがロケバス2台は大船渡役場に設置されたボランティアセンター、通称ボラセンに到着。

 隊長がこちらの人数を申し出て、然るべき場所へ送ってもらえる様に申請。



 その間に私たちはボランティア保険なるものに入ります。保険料はどこが負担してくれているのだろう。私達からは徴収されませんでした。


 女性用は少ないけれど長靴や耐油性の手袋などを貸して貰えます。私はMさんに聞いていたので長靴は持っていたのだけど、折角なのでゴム手袋借りてみました。


 何ゆえにこのタイミング?とも思うのですが、南部せんべいを下さった。作業中にお腹がすいた時の為か?ちなみに食事は、あらかじめコンビニで各自用意しています。私はおにぎり一個。炎天下の中で食べ過ぎるのは芳しくないと思った為。だから朝カレー2杯も食べてきたのよ!


 ちょっと渋っていた子も覚悟を決めて、女子瓦礫隊の出陣だー!私はカラスマスクに長靴、麦藁帽と、インドでバイクに乗るとき用のスカーフ。パンクと農家のテイストを併せ持った新手のキャディースタイルで。ふぁ~っ!



 早速ロケバス諸とも現場へ向かうと、All HandsというアメリカのNPOが場を仕切ってくれています。リーダーの何とかさんの作業説明を、マイクさんの通訳で受ける私たち。午前9時。



 そう、本日の我々の仕事は、県道の側溝のヘドロ掻き。津波によって運ばれた砂がヘドロとなって、下水のとおりを完全に妨げてる。女子の中には、瓦礫ではなく別の作業を希望して、そちらに出向いた方もいたので、瓦礫はちょっとという方でも仕事は沢山あります。



 近頃、日本でドブって見なくなりました。昔はよく落っこちたものだ。見ないから無いのかと思ってたらちゃんと有るんですよ。そして、数メートルごとに格子状の蓋がある。つまり開くのはここだけなの。コンクリの下は長い棒を使って引っ掻き出す・・・がそう簡単に話は進まないのでした。



 キャディ型テロリストスタイルの私も掘ってます。隊長が「先生よく働きますねー」と言ってくれましたが、実は昔、展示場などを作ったりぶっ壊したりする、肉体労働をしてたんですね~、あたしゃ。働きっぷりを買われて指名が入ることもありました。ち、血が騒ぐのじゃ!



 休憩中のひととき。All Handsの人もびっくりする位、物凄い働き手たちです。スタイリストの女の子もすごく頑張ってた。製作業界ってのは体動かしてナンボの世界だってわかった。



 午後2時。作業を終えて、我らヨガチームも爽やか。終電に間に合うように東京に戻らなくてはなりません。



 ボラセンに戻ってきました。借りたもの含め、自分の長靴もクレゾールで消毒。うがいと手洗いも義務付けられています。私自身、目の裏に普段より多くの菌を感じたし、大事なことだと思います。あとは汗と泥のこの体を洗いに行きますか。メンバーの方が地元の出身だそうで、入浴施設を案内してくれました。お風呂へGO!

もういっちょつづく・・・

岩手復興支援行 5

 かくして、無事、初日の炊き出し企画は終了しました。車いっぱいに積んできた食料は、車いっぱいの生ごみに姿を変えて再び積み込まれます。今夜は大船渡のキャンプ場に宿泊です。キャンプ場のシャワーは終了している時間とのことで、大石地区の復興の湯(無料)に寄っていきました。灯油で沸かした小さなお風呂。死んだ婆ちゃんちの風呂と一緒だ。どうりで懐かしい匂いがすると思いました。雅子さんと、アジアだねー、と郷愁に浸ってしまった。



 風呂の前には、トタンで出来た蝿取り紙がぶら下がったバラックがあり、なんとカフェコーナーなの。おじちゃんのドリップしてくれた風呂上りの旨い珈琲、煙草メンズと供に御相伴にあずかりました。おじちゃんは、歌舞伎町で仕事してて、今日は夜行バスで帰ってブログ書かなきゃって言ってた。「大石、七夕、山車で検索すると出てくる」とのことなので検索してみたんだけど、こちらじゃないかなあ・・・。おじちゃんの活動に、どうぞご支援お願いします。大石の七夕、若い人が沢山亡くなって、山車の引き手が足りないんだそうです。作業もいいけど、観光にいって、地元を盛上げるという支援もありだよね。



 泊まった絶景のキャンプ場。女子はバンガローでした。前の晩遅くに隊長が黙々と仕込んでくれたらしいカレーを山盛り二杯も食べて元気。本当に美味しかった。隊長、ありがとう。そのカロリーのお陰で、この後の作業バリバリ頑張れました。私、すぐ燃料切れるからさ・・・。体が資本!



 これから瓦礫班、その他の作業班、取材班と分かれるので、その前に全員で記念写真。子供たちに喜ばれたパフォーマーのピーロさんは、残念ながら、ステージの為に一足先に帰京されました。


更につづく

岩手復興支援行 4

 本会場から離れているし、誰も来ないんじゃないかね~と思われていたリラクゼーション会場に、老若女女、詰め掛ける大盛況。フェイスマッサージを受けて、ネイルを手入れして貰って・・・私も女だから、これだけのことで、どれ程癒されるか痛いほどわかります。

 私もハンドマッサージでお手伝いさせて貰いましたが、驚いたのは、腕のリンパが詰まっている人が物凄く多かったこと。静脈瘤といっても過言では無いくらい。これまで、いろんな人の手を触ってきたけれど、このような経験はあまり無かった。肩、首ですよね、これは・・・いかほどのストレス・・・。まだ行方のわからない旦那様を待ち続ける女性もいらっしゃいました。


 多くの女性が、マッサージを受けて、企業さんに提供してもらった化粧品を貰って、そそくさ帰ってしまう中、果たしてヨガなど出来るのか・・・と思っていたのですが、で、出来ました・・・・。そして、それが自分自身を震わすくらい貴重な経験となりました。鬼と呼ばれるかもしれないけれど、高齢者だから、という理由で椅子を使う選択はしませんでした。しかもほぼ60分。みんな凄いよ!










 これまでに、何千回もクラスを教えてきたけれど、自分自身からはみ出すような素晴らしいクラスになった!と思えることはそうそう無く、年に数回。それは紛れも無くblessingです。でも、更に身の毛もよだつクラス、というのが実は一度だけある。2008年3月、インドはリシケシのラクシュマンジュラのたもとで教えていた夕暮れです。ある瞬間に「え?ヨガの神様降りた!」と思った。ぞっとしました。

 そして、今回ふたたび・・・。

 なんなんだ、これ・・・?なんと言えばいいのか・・・広いんですよ、広大無辺で優しくて安心。全身が総毛立ち、涙が噴き出しそう。支援に来てる私が泣いてたら変だし、知らん顔してましたけど、多分お婆ちゃん達も、同じ気配を感じてくれてたんじゃないかな・・・と思う。


 屍のポーズ(と状況的に言えなかったけど)を終えた後、彼女達の魂が、歓喜に溢れる姿を目の当たりにし、私は、何故か走って逃げ去りたくなってしまった。



「先月捻挫して以来無理だったのに初めてお座りが出来たよ!」



「あー、気持ちよかったー、不思議だねー、なんだろねー!」



「いつも(立ち前屈で掌が床に)着かないのにピタッと着いたよぉ~!」


「仏壇のおじいさんもビックリしちまうよ~!」


などと口々に言いながら皆さんが拍手をしてくれました。岩手で拍手。エアロビ教室みたい。でも嬉しかった。



ヨガの神様へ。
私はあなたの道具です。

岩手復興支援行 3

 午前10時、横田地区仮設住宅での炊き出し準備開始。

 作業員の方に、こちらの仮設は何世帯なのか尋ねてみると、90だったか、60だったかかなり多い印象。だけど、今のところ入居はその半分なんだそうです。もうお昼だというのに、あたりはしん、と静まり返っている。「本当に住んでるのかな」と不思議に思いながら準備する私達。

 しかし、段々と、私なりに理解したことには、住んでいらっしゃるけれど、なんとなく、塞ぎ込み、閉じ篭っている、そんな閉塞感がここにはある。多大な喪失感を持ちながら、見知らぬ者同士が集まる仮設住宅で、地元の人にもなんとなく遠慮がちに、息を潜めて暮らしてる気配。その複雑な痛みを思うと居た堪れない。孤独死・・・などという言葉が頭に浮かぶ。

 イベントが始まると、ポツリ、ポツリと人が出始め、子供達に釣られてか、控えめに、でも確実に賑やかになっていく会場。設置したパイプ椅子でビールを飲み、新しいご近所同士が顔を合わせ、同じ食事をつつく光景。こういった炊き出しなどのイベントの意味は、そこにあったのか、と遅まきながら思うに至ったのでした。



レンタルの竹で、流しそうめんの設備を建設中のメンズ。


私たちレディースは野菜洗い。


料理男子。かっこいいよね!


 最初のお客さん。実は末の娘さんは、リラックス会場の隣の保育所から、何度も元気に声かけてくれてたのよね。覚えてたから「あ!来たのー?」と言ったら、「また会ったね!」とのこと。素敵なファミリーだね。


末娘、トマト流してエキサイト。


流しそうめんはちびっ子に大人気。


 そして、バーベキューはお父さん達に。ビールに合うでしょ!


ヨーヨー釣りも楽しかったね。


そして、陰ながら壮絶に盛況だったのは美容部です。

岩手復興支援行 2

 緑濃い山あいの住田から、横田に向かう道中に息を飲む私たち。大船渡の港町です。解体屋さんがあちこちで重機を操り、大きな警察車両は、捜索隊が今なお作業をしている姿。二度目の方によれば、これで、だいぶ片付いたのだそうです。

 私たちが向かうのは仮設住宅。つまり、この大船渡の町のようなところで、家や家族を失ってしまった方達の暮らす場所なのです。皆、どういう感情を持てばいいのか、完全にわからなくなっている。恐れ、悲しみ、同情?「仮設」は、私達にとって、全くの新しい境地でありました。ただするべきことをする、それだけなのだと、思います。