2011年9月29日木曜日

御岳山がっつり写真館 第1弾

 今回、スワミジか来られなくなり、その代わりに大きな台風が来ました。私は、前日、ふもとの立川に宿をとって準備をしていたのですが、3時に倉庫から荷物を持ってでて、宿に帰れたのが9時過ぎ。いつもなら30分の道のりなのに!幸いにして大物に関しては、既に運んであったので事なきを得ましたが、それでもバックパック一杯の荷物だったので往生しました。

 もしスワミジが来ていたら・・・空の便は大混乱、飛行機は着陸できず、空港で足止め、東京まで辿り着けたとしても帰宅難民で・・・。ああ、想像するだけで恐ろしいわ。ああいう方はやっぱり守られてるんですね。

9月22日から25日まで御岳山で行われたリトリートを写真でご報告です。

























































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2011年9月26日月曜日

メッセージ from 楠原裕史

以下、プラナヤマサンガ主催の裕史君からのメッセージ、転送します。


ヨギ、ヨギーニの皆さん

毎度ながら直前のお知らせで申し訳ありません。

バジャンのお知らせです。YogaTree さんのご厚意で、広尾のYogaTreeでの開催です。
Sita こと、寺崎由美子のリードによるバジャンです。鳴りもの、楽器をお持ちの方は、どうぞお持ちください。

☆ バジャン with シーター

10月2日(日) 19:30 ~ 21:00 YogaTree (広尾) 
開場19:10より



Sivananda Yoga のシーターこと、寺崎由美子リードによる、インディアン・スタイルのバジャンです。このバジャンの後、シーターは、再びインドへ旅立ちます。次に日本に戻るのはしばらく先の予定。

 響きにつやのある彼女の声は、私たちを深い恍惚へと導いていくことでしょう。お見逃しなく!

伴奏楽器は、カルカッタの名門、Paul & Co. 社のハルモニウムです。甘く深い倍音ですよ。




なお、17時半〜19時まで、私(楠原裕史)のクラス「座るためのアサナ〜瞑想」もやってますので、良かったらぜひ!

住所:東京都渋谷区広尾5-5-1 田中ビル4F
交通:東京メトロ日比谷線 広尾駅2番出口を出て右に曲がります。交差点を渡り右に曲がり、
1階が上島珈琲店のビルの4階がスタジオです。右手に入り口があります。

参加費:ドネーション

予約の必要はありません。

くすはら ひろし

2011年9月9日金曜日

夢のあとさき

何かの番組で、なぜ福岡県出身のミュージシャン(勿論ロックの…)が多いのかという疑問に、とてもカッコいい某さんが「あとさき考えないお国柄なのかも…」と言っていて、それ一見問題アリっぽく聞こえるけど、「あとさきしか考えない人」よりも俄然いいというか、正しいのではないか?

…と、ふと思ってしまったんですな。

現代では基本、人って「あとさき」しか考えてないし、それが普通ってことになっているんだけれども。

中学生、14歳の立志式の時に、地元出身の昔凄い記録を持っていたランナーの先生が講演に来てくれて、話してくれたテーマが一所懸命だったんだよね。一生懸命という言葉は、元は一所懸命だったんだって。あとでもさきでもなくて、今に命をかけろ!ということだったんだけど、大人になってみると、なかなかどうして難しい。

実際にやってみると、ものすごい反社会的なことのように感じられるんだな。

あの時こうすれば良かったって思う事あるでしょ?って聞かれることが時々あるが、どう頭を絞っても「無い」。わいの反社会性も板について来たぞ、ふふふ…じゃ無くて、えっ、この方は、あの時こうしてれば、今はもっと違ってたのに!って思いながら生きてんの?ガーーーン!

それじゃ今が可哀相…ええと、つまり自分が気の毒じゃないか。


そこの若人。夢とは今に生きること。結果に、あとさきに生きたらリアルは消滅する。肩書きも、職業も、功績も全部取っ払った自分にOK出せてるようなら、愛せてるなら、それは叶ってるってことじゃないかな。

… って、何言いたいんだっけか?それVedantaってことです。
福岡のあとさき考えない人になりたいものだわい!カッコいいね。

2011年9月8日木曜日

映画三昧

Om Om、みなさま、こんにちは。

 久しぶりにダニー・ボイル監督の「スラムドッグ・ミリオネア」見ました。


 ダニー・ボイルといえば、「トレインスポッティング」とか「ザ・ビーチ」ですけど、このスラムドッグで色んな賞をガッツリ取りましたよね。ヴァイオレントなシーンもあるのですが、エンターテイメント性もありつつも深みのある映画だったと思います。

 マドライで手伝ってる時に「今日は映画にしまーす」ってことで、生徒と見たんだけど、エンドロールでDVD止めようとしたらインド人達が「待った待った!」って言ったのが印象的だったな。エンドロールのバックのダンスシーンが楽しみなんだって。


 映画といえば、最近見た中で一番面白かったのが「Ravan」。

ネタばれ防止の為に、多くは書きませんけど、Ramayanaをモチーフにした現代劇で大作で問題作ってとこか。ヒロインのアイシュワーリヤ・ライが綺麗。音楽はスラムドッグも担当してるA・R・Rahmanですし、監督はだれだっけ、やっぱり凄いヒットメーカーです。

 この映画はですね、ボリウッド(ヒンディ)ですけど、実はコリウット(タミル)ムービーのリメイクなの。そこが面白いんですよ。監督も音楽監督も同じ。主演女優も同じ。しかも、タミルでヒロインを誘拐する犯人を演じていた男優が、本作ではヒロインの夫を演じている。しかも誘拐犯役は、ヒロインの実生活の夫が演じます。ハリウッドなんて遥か下々って感じの素晴らしいエンターテイメントです。インド映画は凄い。 

タミル版はこちら。



 Ravanaというのは、Ramayanaで、Ramaの妻Sitaを誘拐する悪魔の名前ですけど、ヒンディ訛りになると最後の母音が落ちます。だからラーヴァン。タミルだとラーヴァナンって言います。

 なにか、先生らしいことを書かねば。

 サットサンガのことを、サッサン、とかサットサングと言ってる方がいるけど、ヒンディーや英語スピーカーが、子音と母音をハッキリ発音しない、とか出来ないところを、そういうのが正しいのかな?って真似しちゃった例だと思います。もともと日本人には、サンスクリットは、英語よりも発音しやすいはず、と思ってるんだけど、違うかな。まあ、でも戦後は西洋に憧れて発展しましたからね、私達。真似したくなります。西洋人。


Ramayanaご存知の方は二重に楽しいと思いますよ。それ以上に、善と悪という二極性の存在について考えさせられる作品です。最後の最後まで、ドキドキが止まりません!
チェキラッ!

<プラーナヤーマ・サンガ 特別企画 >

裕史君主催のスペシャルイベントの詳細でーす!



『3.11後の世界に、ヨギはどう生きるのか』~被災地からの報告をヒントに~
日時:9月11日(日)14:30 ~ 20:00ころ
場所:芝浦港南区民センター 和室
JR田町駅 東口徒歩10分 

プログラム(予定)
14時~ 会場オープン
14時半~ 被災地での支援活動に関連するビデオや現地の最近の状況のスライド上映など
16時~ (仮)宮古で被災されたヨギのお話  
小幡さん(IARP 根府川道場 在住のヨギ)
17時~ 「私が元気になるボランティア」被災地ボランティアで実感したこと 
鳥居美紀(活動するヨギ)
     15分のワンポイント・ヨガ! 被災地で役に立つ(かもしれない)腰痛緩和のアーサナ 
Hiroshi (本サンガ世話人)
18時~ 被災地でリハビリ&ケアを行う支援グループ FaceToFace の活動報告 
橋本大吾(FTF 副代表、理学療法士)    
ヨガはまだ何かできるのだろうか?
(というポイントから語ってもらえれば、と主催者としては考えてます)
19時~ 祈りの儀式 マヒシャースラ ストートラム詠唱&アーラティ 
寺崎由美子 a.k.a. Sita(ShivanandaYoga アーチャリヤ)    
19時半~ 短い瞑想 & シェアリング  

その他、飛び入りの方のトークも歓迎します。


とのことでーす。

2011年9月5日月曜日

「一所懸命」

雨。

東京都庁で雨宿りしつつ、iPhoneで遊んでます。このwifiは庁舎内を網羅なのか、それともそこにあるコーヒー屋から飛んでいるのか?

昨日はKalyaniお姉さんの結婚パーティーに呼んで頂きました。新婦の人柄のあたたかさが滲み出るあったかい会で、本当に良かった。幸せでした。

新郎新婦は小笠原で式を挙げて来る予定だったのですが、折からの台風の影響で島へ渡れず、急遽Google検索で最初にヒットした牧師さんに電話したらokって事で、二人はパーティー会場のレストランの、タージマハルの絵画の前で、結婚しました。

この牧師さんのお話が凄く良かったの。
「普段このような場では、型どおりに説法(すなわち法話)をするのだけれど、今日はそれやめましょう。」と言って、神父さんご自身から二人へのメッセージを話してくれました。

写真家の故・星野道夫さんの言葉の引用から始まって、どういう時にあなたは新郎を好きになったか?と新婦に問う神父(!)。

「その人の本気で何かをする姿に触れた時に、その時にハッとさせられるのではないでしょうか。」




本気の姿に、その人の真実が見える。真実に触れる時に、我々の魂が震えるのだ…ってことですね。星野道夫好きの熱い神父さんの言葉に、同じく星野道夫好きの私はテーブル叩いて叫びましたとも!

そ、その通りだーっ!

勿論心の中でですけど。

このところ感じていた違和感の正体が…何だか腑に落ちた。

6割なんだ。

なんざんしょ…。




本気でしか生きられないです。私は6割では無理だ。だいたい4割分をセーブしていて、その4割を使うことはあるのか?無いと思えるが違うだろうか?人生たったの80年、その間に本気貯金引き出すことは、無いと思う。これは折角貰った人生に対する冒涜ではないか!

…って言い過ぎ?

平和ボケしてボーっと生きてる訳ですよ。そこで想定外の病気や不運がやって来たりもする。それを機に、6が10になった人を私はこれまで随分沢山見た。本気発動。なんだかわからんが凄いことだと思う。ひとつところにいのちをかける。本気で生きる人はかっこいいね。


素晴らしい式に居させて貰えて嬉しかったです。
末永くお幸せにね!

写真は後ほどアップしま~す。





2011年9月3日土曜日

つちのこ


 先日、親友の誕生日でした。22年間忘れたことのない日。この人なしでは私の別の人だったと思います。だいぶ離れて暮らしているので、もう何年も会えていないけど。

 彼女が、現代舞踏家の田中泯さんの農場(山梨)でお手伝いをしている時に、ふと訪ねて行ってついでにお手伝いをしていた事があります。キャンプ白州というアートイベントの時期でした。で、私は、得意のレタリングでその時の公演の立看板作りをしたのね。

「私は 土から 生まれた」

 真っ黒な地に、白抜きのゴシック体で、男友達に漢字を二つ落として「私はからまれた!」とからかわれつつ・・・(小学生かっ!)。


 その10年後に貰った、私のインドの名前は、実は「土から生まれた」という意味なんですよ。こわっ。

 ラーマヤーナという叙事詩の中で、国を追われたラーマと伴に王国を離れたシーター妃を気の毒がる人に「私は土から生まれた!シーターです!」というのです。自然の源、全てが還る場所という意味になります。泥臭くて地味なこの名が、どんな華美なものよりも自分には合ってるから、よく付けたもんだと感心。


 暑いなーとか、寒いなーとか、雨だなー、野菜値上がりしたなー、とか、いろいろ文句が出がちな日常なんだけど、考えてみたら、そのすべては太陽の為せるわざ。御飯が食べられるのも、自然の恩恵だもんな。うっかり忘れてました。暑いのも寒いのもありがたいってもんです。自然に文句言うようになってはお終いだな・・・と。


 「私は土から生まれた」


 あの時描いた看板を、ふと思い出した、夏の終わりの一日でした。

 写真は、Kumari先生に撮られた夏の後姿ざんす。


 

2011年9月1日木曜日

お母さんへの讃歌



 先日SPANSAYOGAさんで、久しぶりのキールタンを。声がね、あんまり出ないのね。普段よりも。(それじゃ、普段はどんだけ声デカイんだ、ってことなんだけど、すごくデカイです、多分。)これはちょっと私がサボり気味だなーって証拠ですね。反省。だけど、やっぱり気持ちよかった。

 会場には二人のプレママがいらして、ってことは二人のプレ人間(?)、え、ポテンシャリー人間(??
)・・・ベイビーが居たってことで、なんか、それは凄いなーって思いまして、そうなると、やっぱママはすごいぜ、って思って、なんかDEVIの歌を歌いたかった。仕事、忘れました。女神の名前、つまり母の名前を歌うきに、泣けてきちゃって。ぐっと堪えてましたよ。パワフルですね、Deviのマントラ。


 Sivananda Yogaクラスの前に唱えるマントラでも最後に、ナラーヤニの名前を言います。ナラーヤニというと、これは女神Durgaのことなんですよ。ライオンに乗ってる人です。Laksmiのことかな、とも思われ、そうとも言えるのですが、元をただすと女神というのは、Durugaに集約されるようですね。子に降りかかろうとする魔物を、片っ端からブッちぎる母の姿です。私達がいよいよどうしようもない助けてー、って時に、呼ぶ名前。母強し。


 今度、お友達のひろし君の企画で震災支援について考える会があるのですが、このお母さんを呼ぶ歌(?)を唱えます。アンボリで、サジット司祭と一緒に、良く唱えてました。サジット抜きで、私がリードできるものか、初めてなのでドキドキ。練習しとくので、一緒に唱えに来てね。




【マヒシャースラ・ストートラム】
悪魔マヒシャーアスラを滅ぼしす女神を讃える歌。インドでは、森羅万象の数々が、さまざまな神の姿形として表されていますが、女神(ドゥルガ)とは、子を守り、教え、育む力強い母なるエネルギーのことです。我々の心の中に湧き出てくるネガティビティを破壊し、精神的な成長を守護してくれる存在。ときに何かに行き詰って、救いのないように思われるとき、私たちは、この母の名前を呼ぶのです。新たな希望と力を見出すために。