コロナで生活が変わってから、なんだかまたブログをあまり書かなくなった。
話したいことは沢山あるんだけど、なんでだろ。
実際、頭の中では、ぐるぐると、そりゃいろんな言葉の世界が繰り広げられるてるんだけど、一人の時間が沢山あるから、文字になる前に自己完結してしまっているのかも知れない。
今日はスッキリしてしまう前に奮って書こうと決めた。
さて、コロナで一人でも楽しく生きているけど、やはり心のどこかで自粛ムード(?)っていうのかな、社会全体を覆っている「楽しそうにしているのが 憚られる」という風潮にのまれている感じがある。
震災後とかもちょっとあったし、昭和天皇の崩御のときはまさにそうでした。
第二次世界大戦中の日本も、こんな感じだったのだだろうか?
まあ、そんなこんなで、いつの間にか無味乾燥な心になっていたらしい・・・ということに気づいたのは、せっかく会費を払っているんだからアマゾンプライムで映画でも見るかってことで、最近見たからでございます。
「おおっ!私の情緒、乾燥してたかっ!」・・・・て。
自分では、毎日やりたい勉強もして、アーサナもして、気に入りのインコのYoutubeも観て完璧だと思っていたんだけどね。
情緒ね~。抜かってたわ。
ということで、私の好きだった映画を紹介しようと思います。
「ブランカとギター弾き」。
何の前情報も無しに選んだ作品なんですが、これが良かった。
舞台はフィリピンのスラム。親無し家無しの少女ブランカと、盲目のホームレスギタリストのお話です。
「子供」という生き物の、真っすぐで切ない心の中を見事に描いています。人に伝える表現力や、生きるため知恵が発展途上である子供故に、様々な場所で損を被っている主人公を見ていてハラハラしました。
「将来の為にこの選択は間違いじゃないの?」と言われそうなラストシーンは、子供にとって一番に必要なのは、経済的安定なんかではなく愛情である、という重要な事実を思い出させてくれます。
映画を見終わるまで全然気づかなかったけど、監督はなんと日本人の長谷井宏紀さんという方でした。
物語はフィクションですが、主人公以外の主要キャストは、本当にストリートで暮らす人達で、路上でスカウトしたそうです。
この映画がどうやって出来たかは、コチラの記事で読むことが出来ます。
久しぶりにシンプルで良い映画に出会ったな。
見終えた後に、あ、私の心、けっこう乾いていた、と気づける映画。
良かったらみんなも観てみて。
ブランカが物質的な安全確保よりも愛情を求めたように、映画を始めとする芸術表現は「不要」では無いんじゃないかな。
「愛」とか「本質」の、追求表現なんだと思う。
これを不要と定義するならば、人類は人類でなくなる。
「家畜には芸術や娯楽は必要ない、だまって管理されていなさい」という理由で不要不急のカテゴライズしているのならば、それはお偉方さん、大きな間違いだよ。逆に気の毒な人達だ。
不要不急ではないモノの頂点、愛。
自分と非自分の違いが無いこと。
「愛」という言葉の追求については、またちゃんとしないといけないんですけどね。
次回は、また別の映画の感想文書きますねー。