4か月前にこのブログで、オンラインのアーサナクラスをしない理由について書いたら、密かに読者の皆さんがザワついていたらしい・・・という予想なんだけどきっと当たってると思う。
アンチってわけではなくて、要は、
「オンラインのヨーガは、(ハタヨーガ本来の目的である)エネルギーワークとしては機能不十分なので、(立場上)それをヨーガと呼んでしまうわけにいかないので、やらない。」
って意味のことを書いたんですよ。
立場上ってのは、皆さんの理解を少なくとも混乱させない、ということです。
矛盾する情報を極力伝えるべきでない立場。
私が変なカタカナ語を使ってしまったのが良くなかったのかな、エネルギーワーク、とか。
それで悶々としてしまった方々から、プラーナについて教えて下さいって聞かれるようになった・・・
・・・のですが、皆さんが私から聞き出したいことって、いかんせん言葉で説明して理解に繋がる内容ではなかったもんで、まあ私としても何もせずに今日まできたわけです。
今の時代、「教わる」っていうとマニュアルブック的な情報を知ることであって、日常生活もライフハックみたいなネット記事とかウィキペディアとか頼みだったりする。
ん?
でも、これって今に始まったことではないか。
昔から、日本人はマニュアルが好きだった。
私が中学生の頃に読んだティーン雑誌「Lemon」によれば、デート中に食べるケーキはミルフィーユが良いらしい。ショートケーキだと途中に転倒したりしてグッチャグチャになるからね。
同じ理由でスパゲッティよりドリアね。
ハンカチは予備で二枚持って行きましょうって。ジュースこぼしたりした時にサッと出せるから。(懐かしすぎて笑える!)
あ、話が逸れました。
「教わる=簡単な方程式で結べる情報を得ること」ってみんな思ってるって話だった。
まあ、そんな風に得た情報はね、むしろ本当の学習の妨げにしかならない場合が多いよね。
その情報が先入観になるから、本当の知識が入ってこない。
う~ん・・・まあ、容易に解りえないことも、言葉に置き換えてしまったら、安心出来るんだろうな。多分、そういうことなんだと思う。
でも、そんな世の中で私が感じるのは、経験的な知識の”圧倒的な”不足です。
スパゲッティのソースをはね散らかすことで仲良くなれるチャンスを逃しているのよね。
それじゃ人生の半分損ですよ・・・ってなわけで、まあ私はずーっと口をつぐんでいたんですよ。
そしたら先日、四万十のリトリートの時に、カゴちゃんがテケテケっとやって来てこう言った。
「今朝ワッシーとも話してたんだけど、シータマが前にブログで書いてはったこと。あん時はなんのことやら分からなかったけど分かった!オンラインと対面で、ホンマに違う!プラーナってこれかって。」
そうです!
そういうことです!
ということで、これからも、もっともっと自分で感じていって下さい。
猫もやっぱりオンラインより対面がいい!
これって、多分、音楽とかにも同じこと言える筈だよ。