前編では、インターネットは便利だけど、そこは「操作されまくり世界」だから、そこに本当に知るべきことは見つからない、というお話をしたんだけど、自分で書いた記事が検索に引っ掛かるかどうかの実験でもあったんだよね。案の定、引っ掛からなかったし(笑)。みんなも、私の名前と、その会社の名前で試しに検索してみるといいよ。
件の会社を非難する意図は全然なくて、その会社のサービスは色々と便利に利用させて貰っていて、いつも感謝してるんです。ただ、ネットの世界の常識はこういうんだよ、ていうのを、読者のみんなに見せたかったの。それだけ。
○天さんを、引き合いに出しちゃって申し訳なかったんだけど・・・すみません、てへっ。
でもさ、この時代の商売ってそんなもんでしょ?大きな会社はみんなしている当たり前のこと。
残念なのは、むしろ受け手側の意識なんですよね。ネット上で知れることがリアルって思い込むように思考がリプログラミングされているってこと。いやー、どんだけイイ人なんだ。でも、受け手側の思考が脆弱であるのは事実。
この問題は、箱根のからくり箱(すごい伝統工芸でちょっと欲しい)みたいに多層的なので、悩ましいんですよ。
私の職業は、フリーランスのハタヨーガの先生です。自粛期間にオンラインでそれを教えなかったのは、そこに煩悶があったからでした。
コーチが陸上競技の100メートル選手にオンラインでトレーニング
外科医がオンラインで冠動脈のバイパス法を指導
師範がオンラインでフルコンタクト空手の稽古
・・・無いわー。
(参考図書みたいに使うメディアとしては有りだけど、リアルタイムではやっぱ無いと思う。)
ハタヨーガというのはエネルギーワークで、実は以外と危険で、ゆえにかつては秘められしものでした。だから私達は、簡単に「クンダリニーが〜」とか「チャクラが〜」とか「エナジーが〜」みたいな言葉は口にしない。口にしない=否定しているという訳ではない。
21世紀になって、ヨーガが商人に目を付けられ、祭り上げられた。しかし、そんな自主的な修行みたいなこと教えてお金が儲かるわけ無い。ティーチャートレーニングコースをやって纏まったお金を作らない限りスタジオの存続に関わるってことで、夏の雑草のようにヨーガインストラクターなるものが増殖。オンラインで資格取得とかもバンバン出てきた。
(でもねえ、この道で私たちが進むべき道は、有資格者になるとか、インストラクターになるとか、そういう事じゃ無いんですよね〜。「達人」になっていく、そして先輩は後輩を助ける。それが、どこでこんなんなっちゃったか・・・。)
インスタント過ぎる量産方式の結果、肝心のクオリティーは爆発的に下がり、需要を供給が上回ったので、単価が下がった。自分の足を食うタコのようなビジネス。人類は、本当に学ばない。仕掛けた商人達は、美味しいところ食い尽くしたら、次のターゲット見つけてドロン。
そして、その下がったクオリティーが、今のスタンダードとなった。
今回のオンラインブームで、スタンダードのダンピングは更に加速していくだろう。
私が懸念しているのは、このスタンダードの劣化である。私がどうこういって止められることでは無い。それは明日にもネットの世界で、「普通」の「本当」に捏造されていくのだろう。
煩!悶!
私が教え始めたのは表参道のヨガジャヤってとこで、ラスチカスというカフェが入ってた古い建物の中にあった。
初めての自分のクラスに来てくれた男の子が「ちょっと首痛いんすよ、アシュタンガヨガで痛めて」と言う。
アシュタンガって先生見てくれてるじゃん。どこの先生?「ジョン・スコット」
ええーっ!「・・・のビデオ見て毎日やってるっす!画面見ながらジャンプバックだと首が・・・」
あ、ねえ〜、うーん、それは〜、仕方ないね〜。
・・・という会話が記憶にこびり着いているのも、踏み切れない理由の一つだな。あの時の男の子元気かなあ・・・。
クラスに来て下さったことのある方は、私が一切「実演してる私を見ながら一緒にやってね」というスタンスを取っていないことに、お気づきだと思います。師匠にもそのように強く言われている。ハタヨーガは、意識を「外側の対象」ではなく内的なところに留める練習なので。皆さんとお会いする時はいつも、それを極力阻害しないように、頑張ってます。オンラインクラスには、出来ないたった一つの弱点はコレなんですよ。それこそが一番の目的なのに、ジレンマ。その上エレクトロマグネティックウェーブを発するマシーンに集中!みたいな・・・。
とはいえ、私は、オンラインのクラスに反対派という訳ではないんですよね。
煩!悶!
私だって、お家で悶々と過ごしているみんなに、健康生活を啓蒙したいし、明るい気持ちになって欲しいなって、すっごく思うもん。
しかし、表面的なところをもって「ヨーガ」とする新スタンダード作りに、私が加担しては、どうにもいけないような気がしてならない。それが自分が務めなきゃいけない役どころではないかと。
それに、私は「そのお姿を拝見するだけで恩寵」な先生方とは違くて、ただの普通の人なので、画面の向こうの皆さんに伝えるための道具は言葉だけだから・・・。
というわけで、オンライン方面は他の先生たちにお願いするとして、今後なにかオンラインでハタヨーガを発信する機会があったとしたら、それは、イベント的に「たまには一緒に!ヨーガ実践者の為のガイド(音声)」とかになると思います。
それと「毎日の健康ストレッチ」みたいな名目で、一般の方、今までお会いしたことの無い方達に向けた発信は、これは是非やっていきたいと思ってます。
どっちがオンで、どっちがオフなんだかわからないけど、オンとオフで会おうね!
追記:
この問題は、音楽なんかも同様だと思う。オンラインライブとかに慣れすぎて、そういうもんだって言う風に、聴き手の耳のスタンダードが劣化してしまうと、音質の悪いYoutubeのアップロードでいいやーみたいなことになってくるのでしょう。コンサートのチケットが売れにくくなっていく。本当のライブサウンドとは、全くの別物です。
あと、本物のメディテーターが瞑想している写真なんてのはネット上にない。ダライ・ラマ猊下が岩場に座って瞑想してる写真とか、見た事ないっしょ。瞑想してる写真のあるところに瞑想は存在しない。そのへんのシンプルなパラドックスを理解して頂きたい。
件の会社を非難する意図は全然なくて、その会社のサービスは色々と便利に利用させて貰っていて、いつも感謝してるんです。ただ、ネットの世界の常識はこういうんだよ、ていうのを、読者のみんなに見せたかったの。それだけ。
○天さんを、引き合いに出しちゃって申し訳なかったんだけど・・・すみません、てへっ。
でもさ、この時代の商売ってそんなもんでしょ?大きな会社はみんなしている当たり前のこと。
残念なのは、むしろ受け手側の意識なんですよね。ネット上で知れることがリアルって思い込むように思考がリプログラミングされているってこと。いやー、どんだけイイ人なんだ。でも、受け手側の思考が脆弱であるのは事実。
この問題は、箱根のからくり箱(すごい伝統工芸でちょっと欲しい)みたいに多層的なので、悩ましいんですよ。
私の職業は、フリーランスのハタヨーガの先生です。自粛期間にオンラインでそれを教えなかったのは、そこに煩悶があったからでした。
コーチが陸上競技の100メートル選手にオンラインでトレーニング
外科医がオンラインで冠動脈のバイパス法を指導
師範がオンラインでフルコンタクト空手の稽古
・・・無いわー。
(参考図書みたいに使うメディアとしては有りだけど、リアルタイムではやっぱ無いと思う。)
ハタヨーガというのはエネルギーワークで、実は以外と危険で、ゆえにかつては秘められしものでした。だから私達は、簡単に「クンダリニーが〜」とか「チャクラが〜」とか「エナジーが〜」みたいな言葉は口にしない。口にしない=否定しているという訳ではない。
21世紀になって、ヨーガが商人に目を付けられ、祭り上げられた。しかし、そんな自主的な修行みたいなこと教えてお金が儲かるわけ無い。ティーチャートレーニングコースをやって纏まったお金を作らない限りスタジオの存続に関わるってことで、夏の雑草のようにヨーガインストラクターなるものが増殖。オンラインで資格取得とかもバンバン出てきた。
(でもねえ、この道で私たちが進むべき道は、有資格者になるとか、インストラクターになるとか、そういう事じゃ無いんですよね〜。「達人」になっていく、そして先輩は後輩を助ける。それが、どこでこんなんなっちゃったか・・・。)
インスタント過ぎる量産方式の結果、肝心のクオリティーは爆発的に下がり、需要を供給が上回ったので、単価が下がった。自分の足を食うタコのようなビジネス。人類は、本当に学ばない。仕掛けた商人達は、美味しいところ食い尽くしたら、次のターゲット見つけてドロン。
そして、その下がったクオリティーが、今のスタンダードとなった。
今回のオンラインブームで、スタンダードのダンピングは更に加速していくだろう。
私が懸念しているのは、このスタンダードの劣化である。私がどうこういって止められることでは無い。それは明日にもネットの世界で、「普通」の「本当」に捏造されていくのだろう。
煩!悶!
私が教え始めたのは表参道のヨガジャヤってとこで、ラスチカスというカフェが入ってた古い建物の中にあった。
初めての自分のクラスに来てくれた男の子が「ちょっと首痛いんすよ、アシュタンガヨガで痛めて」と言う。
アシュタンガって先生見てくれてるじゃん。どこの先生?「ジョン・スコット」
ええーっ!「・・・のビデオ見て毎日やってるっす!画面見ながらジャンプバックだと首が・・・」
あ、ねえ〜、うーん、それは〜、仕方ないね〜。
・・・という会話が記憶にこびり着いているのも、踏み切れない理由の一つだな。あの時の男の子元気かなあ・・・。
ジョンスコット、かっこよかったよね。
クラスに来て下さったことのある方は、私が一切「実演してる私を見ながら一緒にやってね」というスタンスを取っていないことに、お気づきだと思います。師匠にもそのように強く言われている。ハタヨーガは、意識を「外側の対象」ではなく内的なところに留める練習なので。皆さんとお会いする時はいつも、それを極力阻害しないように、頑張ってます。オンラインクラスには、出来ないたった一つの弱点はコレなんですよ。それこそが一番の目的なのに、ジレンマ。その上エレクトロマグネティックウェーブを発するマシーンに集中!みたいな・・・。
とはいえ、私は、オンラインのクラスに反対派という訳ではないんですよね。
煩!悶!
私だって、お家で悶々と過ごしているみんなに、健康生活を啓蒙したいし、明るい気持ちになって欲しいなって、すっごく思うもん。
しかし、表面的なところをもって「ヨーガ」とする新スタンダード作りに、私が加担しては、どうにもいけないような気がしてならない。それが自分が務めなきゃいけない役どころではないかと。
それに、私は「そのお姿を拝見するだけで恩寵」な先生方とは違くて、ただの普通の人なので、画面の向こうの皆さんに伝えるための道具は言葉だけだから・・・。
というわけで、オンライン方面は他の先生たちにお願いするとして、今後なにかオンラインでハタヨーガを発信する機会があったとしたら、それは、イベント的に「たまには一緒に!ヨーガ実践者の為のガイド(音声)」とかになると思います。
それと「毎日の健康ストレッチ」みたいな名目で、一般の方、今までお会いしたことの無い方達に向けた発信は、これは是非やっていきたいと思ってます。
どっちがオンで、どっちがオフなんだかわからないけど、オンとオフで会おうね!
追記:
この問題は、音楽なんかも同様だと思う。オンラインライブとかに慣れすぎて、そういうもんだって言う風に、聴き手の耳のスタンダードが劣化してしまうと、音質の悪いYoutubeのアップロードでいいやーみたいなことになってくるのでしょう。コンサートのチケットが売れにくくなっていく。本当のライブサウンドとは、全くの別物です。
あと、本物のメディテーターが瞑想している写真なんてのはネット上にない。ダライ・ラマ猊下が岩場に座って瞑想してる写真とか、見た事ないっしょ。瞑想してる写真のあるところに瞑想は存在しない。そのへんのシンプルなパラドックスを理解して頂きたい。