★福島のロータスヨガスタジオさんに行ってきた。で、帰ってきた。そこにある思いとか、空気感とか、スタジオそのものもそうだけど、素晴らしい空間。唸っちゃうくらい。
★プログラムのことは、また日をあらためて報告させて頂くことにして、今日の心の中の記録として、個人的に思うことをメモしておこうと思って書いてる。
というのは、今日(の福島でのワークショップ)に至るまでの、ここ数日から数年のあれやこれやを思い起こすと、どうも「抗い様のない大きな流れの中にいる」ような感じがしてならないから。
言葉で上手く説明出来ないけれど、今日はそれを強く認識した。その流れが結構なビッグウェイヴであるってことも・・・。
ああ、もうずっと前から、これは決まってた事なんだな・・・と思う。
★波に乗っかっている者としての感想は、今回のえしかのことは、やらせて貰えて、本当にありがたいことでした。
その流れに、けっこう多くの人を巻き込みながら、行くんだなという気がしている。
★で、今回のチャリティムーブメントのプロモーション担当として(根が人見知りの私としては)ちょっとした気苦労もあるのだが、心労ありきのそれらコミュニケーションから、結局はパワーを頂いているということです。このリアリティの厳然たる存在感は圧巻。
でも、チャリティ企画やってるから「協力して下さい!」というよりは「見ていて下さい」という気持ちが強い。そういう意味では一人の闘いなような、気もする。
★この流れの中でなぜ福島だったか、という点でも、ものすごく深いところで、既に伏線があったような気がする。これは巧く説明出来ない。けど、感じる。
★新幹線の中で読もうと選んだ本を(瀬戸内寂聴と、岡本太郎で迷ったが)村上春樹のアンダーグラウンドにしたことも、なんだか意味深だった。村上春樹による地下鉄サリン事件のルポタージュ。
福島の原発事故と、あの忘れもしないサリンの事件は、似ている。これ、気づいている人いるのかな・・・・、事故後と事件後という特殊な状況下において、市民と、司法や警察など国家体制の反応。一方は事故で、一方はテロなんだけれども、日本という文化だか国家だかの、共通の傾向を映し出してる。
この傾向とは、なんというか、不気味というか、腑抜けと言うか、どちらかというと「負」として捉えられる気がする。
原発事故後のいまの日本で、読まれる価値ありの本。
★アンダーグラウンドのせいで、色んな記憶が蘇った。荻窪駅で遭遇した人身事故のこととか。あれは私のヨーガ人生において重要な通貨点だった。短期間だけどPTSDというのもあった。あの体験ですら、私を、今日の私へと運んだ大波の一部であった気がする。
★日本は一億総中流というが、一億総消費者とも言える。ヨーガの人も「どこそこへ行って、なんちゃらのコースを取る」云々ばかり。
TAKEにつぐTAKEのことばかり考えているが、少し学んだ時点で「知識はTAKEできない」ことに気づいた方がいい。「資格やらコースを取る永遠ループ」に嵌まる。それは果てしない遠回り。
ヨーガは消費の対象の次元のものじゃないことに、みんなあんまり気づいてない。
では「ガンガンGIVEで、与えまくる方向性でいこう!」ということに何故なれないのか?ということを考えると、やはり「消費」という策略に知らずに染められているからだと思う。
毎年、半年も日本を留守にすると、日本の加速度的な消費傾向にビックリする。音楽がいつしか、単なる消費の対象に落ちたように、「ヨーガの先生」も多分、消費の対象になった。学校の先生とかは、まだそうでない気がする。消費されるものであるのは怖いと思う。「その次元に行ってはいけない」と肝に銘じておこうと思う。
★スワミジに会いたいな。えしかのプロジェクトが終わったら、メールしようと思う。
★プログラムのことは、また日をあらためて報告させて頂くことにして、今日の心の中の記録として、個人的に思うことをメモしておこうと思って書いてる。
というのは、今日(の福島でのワークショップ)に至るまでの、ここ数日から数年のあれやこれやを思い起こすと、どうも「抗い様のない大きな流れの中にいる」ような感じがしてならないから。
言葉で上手く説明出来ないけれど、今日はそれを強く認識した。その流れが結構なビッグウェイヴであるってことも・・・。
ああ、もうずっと前から、これは決まってた事なんだな・・・と思う。
★波に乗っかっている者としての感想は、今回のえしかのことは、やらせて貰えて、本当にありがたいことでした。
その流れに、けっこう多くの人を巻き込みながら、行くんだなという気がしている。
★で、今回のチャリティムーブメントのプロモーション担当として(根が人見知りの私としては)ちょっとした気苦労もあるのだが、心労ありきのそれらコミュニケーションから、結局はパワーを頂いているということです。このリアリティの厳然たる存在感は圧巻。
でも、チャリティ企画やってるから「協力して下さい!」というよりは「見ていて下さい」という気持ちが強い。そういう意味では一人の闘いなような、気もする。
★この流れの中でなぜ福島だったか、という点でも、ものすごく深いところで、既に伏線があったような気がする。これは巧く説明出来ない。けど、感じる。
★新幹線の中で読もうと選んだ本を(瀬戸内寂聴と、岡本太郎で迷ったが)村上春樹のアンダーグラウンドにしたことも、なんだか意味深だった。村上春樹による地下鉄サリン事件のルポタージュ。
福島の原発事故と、あの忘れもしないサリンの事件は、似ている。これ、気づいている人いるのかな・・・・、事故後と事件後という特殊な状況下において、市民と、司法や警察など国家体制の反応。一方は事故で、一方はテロなんだけれども、日本という文化だか国家だかの、共通の傾向を映し出してる。
この傾向とは、なんというか、不気味というか、腑抜けと言うか、どちらかというと「負」として捉えられる気がする。
原発事故後のいまの日本で、読まれる価値ありの本。
★アンダーグラウンドのせいで、色んな記憶が蘇った。荻窪駅で遭遇した人身事故のこととか。あれは私のヨーガ人生において重要な通貨点だった。短期間だけどPTSDというのもあった。あの体験ですら、私を、今日の私へと運んだ大波の一部であった気がする。
★日本は一億総中流というが、一億総消費者とも言える。ヨーガの人も「どこそこへ行って、なんちゃらのコースを取る」云々ばかり。
TAKEにつぐTAKEのことばかり考えているが、少し学んだ時点で「知識はTAKEできない」ことに気づいた方がいい。「資格やらコースを取る永遠ループ」に嵌まる。それは果てしない遠回り。
ヨーガは消費の対象の次元のものじゃないことに、みんなあんまり気づいてない。
では「ガンガンGIVEで、与えまくる方向性でいこう!」ということに何故なれないのか?ということを考えると、やはり「消費」という策略に知らずに染められているからだと思う。
毎年、半年も日本を留守にすると、日本の加速度的な消費傾向にビックリする。音楽がいつしか、単なる消費の対象に落ちたように、「ヨーガの先生」も多分、消費の対象になった。学校の先生とかは、まだそうでない気がする。消費されるものであるのは怖いと思う。「その次元に行ってはいけない」と肝に銘じておこうと思う。
★スワミジに会いたいな。えしかのプロジェクトが終わったら、メールしようと思う。