先日、親友の誕生日でした。22年間忘れたことのない日。この人なしでは私の別の人だったと思います。だいぶ離れて暮らしているので、もう何年も会えていないけど。
彼女が、現代舞踏家の田中泯さんの農場(山梨)でお手伝いをしている時に、ふと訪ねて行ってついでにお手伝いをしていた事があります。キャンプ白州というアートイベントの時期でした。で、私は、得意のレタリングでその時の公演の立看板作りをしたのね。
「私は 土から 生まれた」
真っ黒な地に、白抜きのゴシック体で、男友達に漢字を二つ落として「私はからまれた!」とからかわれつつ・・・(小学生かっ!)。
その10年後に貰った、私のインドの名前は、実は「土から生まれた」という意味なんですよ。こわっ。
ラーマヤーナという叙事詩の中で、国を追われたラーマと伴に王国を離れたシーター妃を気の毒がる人に「私は土から生まれた!シーターです!」というのです。自然の源、全てが還る場所という意味になります。泥臭くて地味なこの名が、どんな華美なものよりも自分には合ってるから、よく付けたもんだと感心。
暑いなーとか、寒いなーとか、雨だなー、野菜値上がりしたなー、とか、いろいろ文句が出がちな日常なんだけど、考えてみたら、そのすべては太陽の為せるわざ。御飯が食べられるのも、自然の恩恵だもんな。うっかり忘れてました。暑いのも寒いのもありがたいってもんです。自然に文句言うようになってはお終いだな・・・と。
「私は土から生まれた」
あの時描いた看板を、ふと思い出した、夏の終わりの一日でした。
写真は、Kumari先生に撮られた夏の後姿ざんす。