今日は、先日の沖縄でのサットサンガに来てくださったHさんからの質問をピックアップ。
Hさん!町から山まで、暗いなか足を運んで下さってありがとうございました!
お会いしたこともないHさんなる人物にやんばるの奥地でお話を聞いてもらう、なんてことはその瞬間まで想像だにしなかったわけで、人生、髄所にお宝が隠されていますよね~。
ということで、おひさしぶりの「みんなのQ」、いってみよう!
Q.先日のサットサンガの時の話が頭に残っているのですが、ちゃんと思い出せないので、確認させて下さい。一つ目は四つの社会的区分について。それぞれのバランスに応じて社会で果たせる役割があると解釈しましたが、 これは人間の何を表しているのですか?
A.「インドにはカーストとして知られる階級制度がある」というのが世界中の多くの人の認識です。
辞書で引いてもカーストとはヒンドゥー教の特権的な階級制度とか書かれているのですが、そもそも、カーストという言葉はインドにはありません。
その語源はポルトガル語のCastaです。
諸外国人の言うカーストとは本来「ヴァルナ」という社会を構築する四つの役割区分のことで、この四つは時代や国が違っても、つまりどの国のどんな社会にもある普遍的な社会基盤です。
インド亜大陸はその豊富な資源を諸外国に目をつけられて侵略されまくりましたが、侵略者たちの国の常識からみて、ヴァルナの概念は「特権的」あるいは「排他的」階級制度として理解されてしまったのでしょう。
だから「奴隷」などという大きな誤訳が生じているのだと思います。
私は手塚治虫ファンですが、この点において「ブッダ」はどうもしっくり来ないんですよね・・・。
それはさておき、四つのそれぞれを見て行きましょう。
①ブランマナ・・・智識を守り継承する人達(神事を司る人、教職など)
②クシャトリヤ・・・国を守り治める人達(政治、行政、防衛、警察など)
③ヴァイシャ・・・ものをつくり流通させる人達(農業、工業、商業など生産者、商売人)
④シュードラ・・・①~③をサポートする人達(使用人、雇われ人)
どこの社会にもこの四つの柱はあります。
逆に無いと社会が社会として機能しません。
※この人間社会の役割区分を「排他的、特権的な階級制度」と吹聴し、人々の間に分断を作れば、民衆の支配は容易になります。政治的な意図によって歪曲、利用されている感は否めません。実際に多くの人が誤った理解と運用をすることとなりました。
余談ですが、戦後日本では大多数の人がは雇われの勤め人となりました。
日本では親の感覚として、娘の婚約者が自営業よりも良い会社に勤めていることを喜ばれますが、インドでは小さくとも自営の方が勤め人より一目置かれます。
文化の違い、興味深いです。
さて、やんばるでは四日間の講話の内容がゆるりと連続していたため、突然耳慣れない専門用語が出てきたりして、途中ご参加下さった方には分かりにくかったと思います。
ここで補足させて下さい。
あらゆるモノ(目に見えるもの、見えないもの、ぜんぶ)の多様な質を辿っていくと、三つの根本要素に集約されます。
1⃣ サットヴァ ‐ グナ(私達を智識に近づけてくれるクオリティー、ニュアンスを漢字で表すと明、浄、聡といったところでしょうか・・・)
2⃣ ラジャス ‐ グナ(私達に動きを与えてくれるクオリティー、能動性)
3⃣ タマス ‐ グナ(私達を智識から遠ざけるクオリティー、同じく暗、濁、鈍)
ちなみにグナとは質という意味です。
この世界に見られる多様性は、これらの組み合わせの度合いの違いにほかなりません。
テレビに映る無数の色のバラエティーが、シアン、マゼンダ、イエローの多様なコンビネーションであることを想像して貰うとイメージしやすいですね。
人間のパーソナリティーの違いも、元を辿れば、この三つの多様なコンビネーションです。
再び四つの役割に話を戻しましょう。
交通機関やマスメディアの発達してなかった昔、それらの役割は親から学んだ子供達によって代々継承されることが殆どでした。
また、子供が、特定の社会的役割を担っている親の背中を見て、長い年月をかけて特定の知識と技術を身に付け、親の担っていた役割を継承することは自然なことでした。
一つの役割を、代々の同じ家系の人間が担うのが一般的で、カースト=お家柄と強く理解されることになりました。
しかし、メディアも交通も発達した現代では、家系の枠を超えて、個々人のクオリティーに応じて、得意な分野で活躍している人々も増えていますよね。
例えば、私の先祖は米を作っていたけど、父は米を作らず会社員をやっていましたし。
ここで「社会を構築する四つの役割」の担い手に必要とされるクオリティーを、「三つのグナのコンビネーション度合い」を使って表してみましょう。
質の度合いを文字の大きさで表現します。
※サットヴァをS、ラジャスをR、タマスをTと表記。
①ブランマナのクオリティーは SRT
②クシャトリヤのクオリティーは RST
③ヴァイシャのクオリティーは RTS
④シュードラのクオリティーは TRS
自ら考えるという知的要素、自ら動くという能動的な要素の少ない④の人は、自ら起業するよりも与えられたタスクをこなす勤め人として社会に貢献することでしょう。
整頓された高い知性の持ち主は、自ら理解し他者に理解させる①の稼業に向いています。
②はどうでしょうか?活発で理知的な人でなければ、他人の為に尽くし国を司ったり守ったり出来ません。
能動的でありつつも、より現世的な喜びに価値を見出して、それを他者にも届けたい人は③の仕事で能力を発揮するでしょう。
家系の括りだけでどうこう・・・という話ではないのです。
もちろん、遺伝子を継承し、同じものを食べて、同じ環境で暮らす家族のクオリティーは当然似通ってきます。
特定の親の元に生まれること自体、何らかの原因によって押し出された特定の結果、つまり必然ですしね。
看護師さんというお仕事は、どれなんでしょう。
お医者さんのアシスタントということであれば①の、国民の命を守るということであれば②の、それぞれアシスタントとして仕える④なのかな・・・。
今度先生に聞いてみますね。
・・・とまあ、以上が日曜日のお話の概要です。
今現在、私たちは皆社会において、個人として携えているクオリティーと置かれている立場に応じて、それぞれに役割を果たしているわけです。
どこでどんな仕事をしているにしても、他の動物と比べてサットヴァな「人間」という生き物として生まれたからには、このサットヴァなクオリティーを受け容れ、理解し、磨いていくべきです。
①~④のどの仕事に就こうと、私たちは皆、精神的に①の人であれることを目指すんですよ。
今、世の中では「良い仕事=楽な仕事」と認識されているようですが、私たちを成長させる=つまり精神を SRTに磨き上げてくれるという点において、どんな仕事も等しく尊いんです。
そういう意味では、むしろ楽じゃない方が良い仕事ですよ。
心だって磨かなきゃ輝かないんだから。
SRT な精神状態ってどんなかというと、清く、落ち着いていて、だからこそ聡明なんです。
喧々でもなければ悶々でもない。
他者のために動ける人の心です。
いつも、そんないい感じでいられたら良いですよね?
きっと充足感でいっぱいの筈ですよ。
だから目先の見返りにとらわれず、今目の前にある役を一所懸命果たしてみようじゃないの。
いつか立ち止まって見たとききっと見える景色がキレイになってるよ。
というようなお話でした。
うわ、長くなってしまいました。読んでくれてありがとうございます。
質問②については改めてお返事しまーす!
Sitaより