こんにちは。
今日は改まって、お知らせしておきたいことがあります。
早々に私に問い合わせ下さった人もいたので、知っている方もいらっしゃると思うのですが、何事もなかったように皆さんの前に顔を出すことは出来ぬ性分のため、お付き合い下さい。
2019年12月の5日過ぎだったでしょうか。だあれも居ないトリシュールのグルクラムにひっそり暮らしている時でした。
あるニュースが飛び込んできました。
私の先生の先生であるSwami Vishnudevananda先生にセクハラ、モラハラを受けたという元スワミ二(女性)による、インターナショナル・シヴァーナンダ・ヨーガ・ヴェーダーンタ・センター(以下ISYVC)に対する申し立てがSNSで拡散された、というニュースです。
今の言葉でいうと炎上というのでしょうか、世界中のアーシュラムやセンターでは、大変な騒ぎになり、私のもとにも女性たちからの怒りを共有するメッセージが多々届きました。
30年も前の事案であり、加害者とされるスワミヴィシュヌは既に亡くなっていますから、確かめようがないので、これに関して何も言えません。
ことにセクハラについては、具体的な内容については語られておらず、あったかも知れないし、なかったかも知れない。
だから今回の件を断罪する類の発言は、私には出来ません。
とはいえ聞かなかったことにすることも、私には出来ない、と思いこれを書いています。胡麻化しても、いずれどこかで皆さんのお耳に入るわけですから。
このようなニュースを耳にすることは非常に悲しいことです。
いかなる時代の、いかなる場所でも、あってはいけないことです。
また追随するように別の先生のセクハラ関連訴訟の件もオープンになりました。
この騒動で、各国のセンターとアーシュラムは、対応に追われていることと思います。詳しくは組織のウェブサイトのトップページから、リポートを読むことが出来ます。
ここからは私自身の思ったことを書きますね。
一般論として、女性は、このような事案には、反射的に生理的嫌悪を覚えることが多いのではないでしょうか。
殆どの女性は、多かれ少なかれ、性的に怖い目、危ない目にあったことがあるからです。私自身も、大変に嫌な目にあったことがあります。最悪です。怒っています。人の尊厳を根っこから傷つける行為です。
(反対に、女性が当たり前のように男性を傷つけていることだって、きっとあるはずです。)
ですが、私は今回のニュースを感情的には捉えませんでした。
もともと、そこに妄信がなかったというのも一因ですが、先達のスワミジたちの生き様を前にして、私自身がどう生きるかということの方が、私にとっては急務だからです。
(余談ですが、この盲目的な依存傾向は、ヨーガの人の中にもとても多い気がします。対象を多面的に見ることが出来ないというか・・・。)
私は、以前ブログでも触れましたが、ISYVCの組織とはもう10年くらい離れているため、スワミジの名前や写真を排除するしないの議論の外にいますが、私個人にとっても若干悩ましいことではあります。
ちなみに離れている理由は「みんなで渡れば怖くない」よりも「一人で渡れば危なくない」という個人的主観によるものです。
組織には組織のメリットがありますよね。組織だからこそ為し得ることは沢山ある。
しかし、組織というのは同時に難しいもので、権力争いも、強者による弱者からの搾取も、それを見て見ぬふりしなくてはいけない忖度の構図も、どうしてもあるんですよ。会社だって、どんなアーシュラムにだってある。それらは、「みんなで渡れば怖くない」と思えてしまう、私にとっての「危ない」橋なわけです。
今回のニュースで「信じてたのに!裏切られた!」って思った人が沢山いたはずで、「寄らば大樹の陰」的な生き方を選んでる場合、「大樹と信じて寄り掛かったのに倒れたでは、どうしてくれるの!?」って話ですよね。
人間は弱いもの。
己の弱さと闘いながら負けてしまうこともある。
逆に、闘いを放棄して他者に人生丸投げ依存したくなることもある。
でも、
真の意味で己に出来るのは、己を生きることだけ
ではないでしょうか。
以上、今年の初クラスの前に、お知らせしておきたかったことです。
お祈りの時に、スワミジの名前を言うかも知れないし、言わないかも知れない。
その時になってみないとわかりませんし、迷うかも知れない。
そんな私の決断や迷いを、不快に思う人もいるかも知れない。
でも、そこも含めて構わないので、私の生き様を見て下さい、としか言えません。
今年ますます、身を引き締めて生きよと、喝を入れられた気がしています。
うまくまとまらないので、また追って書くことがあるかも知れません。
Om Tat Sat
Sita