涼しかった昨日、整体院で首をチョチョイっと整えてから、東京文化会館に東京都交響楽団、略して都響のコンサートに行ってきた。
クラスがお休みなのでチケットを取っておいたのです。
「コバケン真夏のシンフォニー」
東京文化会館という古いホールの音は、二階の最前列が・・とか五階の左右が・・音響マニアの皆さんに色々と言われるホールです。
今回は、一階の中央右寄り、7列目。
サウンド的にベストポジションではないかも知れないけど、綜合的に良かったんじゃないかな。一点だけ気になったのが、客席の中央奥の方で「チーン」という高周波が頻繁に鳴る。高音域が何かに共鳴してしまっているらしい。あと目覚ましアラーム鳴ってた人がいた(笑)。
座席の位置がステージと同じか若干低いので、管楽器隊とチェロ軍団の姿が見えなかったけど、
・指揮者の横顏が見える
・低音クラブの私としてはコントラバス隊の目の前というのが良い
・コンサートマスターがよく見える。
という点も含めて良かったです。どの席に座っても、楽しみ方はあるのでしょう。
オーケストラの舞台というのは実に多面的。
交響楽の良いところはですよ、音域、音量の両方における、ダイナミックレンジの圧倒的な広さですね。
本当に全身全霊、響きまくって癒されまくり。
炎のマエストロの異名をとる小林研一郎氏ですが、日本の指揮者として世界での知名度は小沢征爾氏に続いて二番手くらいなのかな。私は幼少期に東京文化会館、昨日同じ会場、サントリーホール、杉並公会堂の四ヶ所で、聴きました。子供の時のことは覚えていないけど、チャイコフスキーとマーラー。
ほら、日本はさ、メジャー主義というか、何か流行すると皆同じものを買うような文化があって(ある年インドから帰ると町中の人の殆どが anelloというブランドのリュック背負ってて、まじで仰天しましたからね)、二番手以降は、その道に無知な一般の人に「2ちゃんねる」みたいな場所でムダに叩かれるようなところがある。
でも、素晴らしい指揮ですよ。私は好きです。
指揮をしながら唸るのが嫌、というけどね、キース・ジャレット好きなんですよ、あたしゃ。
同じように好きです、キース・ジャレットとコバケン。
あとね、コバケンのシンフォニーは、なぜだかわからないのですが、聴いた後にものすごく温かい気持ちになる。これは理屈を超えた何かなんだろうけどさ。
なんか愛がいっぱいだなあ、と。
そりゃもう、炎のマエストロと呼ばれるくらいだから、熱いんですよ・・・激しいし。
今回のコンサートだって、「暑い夏にこそ、暑苦しいコバケン聴こう!」みたいコピーだったからね。
でも、オケとのコミュニケーションが人間的というか、個人的な喜びの表情も隠さないのね。そんな時のコバケンは、孫に相好を崩す好々爺みたい。
なにかが優しい。
いやー、良かったです。
必要だわ、こういう時間・・・としみじみ思った次第。
演目は、
ベートーヴェンのエグモント序曲
ベートーヴェンの5番
ドヴォルザークの8番
ということで、以下は完全なる萌え萌え独り言ですから、スルーして下さい。
5番の第2楽章のあたま、ヴィオラ、チェロ隊、美しかった〜!情緒〜!萌えーっ!。美しくも切ないその音に、コバケンも「孫の前のお爺ちゃん顔」で答えていた。
5番は1楽章の「ジャジャジャジャーン」で有名な「運命」、ジャジャジャジャジャのスタッカートが激しく極まるところ。7名の弦バス隊の弓が、弦にバッチバチ当たる音が(目の前だから)聞こえて萌えーっ!
コンマスが「北の国から」の純くんみたいな人のに、体がついていってしまうタイプ、深く抉るようなノリに萌えーっ!
オケの中で一番に指揮者を凝視しているであろうティンパニーの人の眼光の鋭さ。激しい時に鬼瓦みたいな顔から繰り出される雷鳴に萌えーっ!
ドヴォルザークの最終楽章で、ホルンのボリュームが突然最大になるところ、楽器を高々と掲げ、天を引き裂くような音で吠える。勇壮なサウンドに萌えーっ!しかも数回しか出てこないよ。カトちゃんの「ちょっとだけよ〜」だよ。作曲家っていのは良くわかってるわね。
いやー、萌えた萌えた。
閑話休題。
指揮だけをとってみても、鼓笛隊や、「8時だよ全員集合」のポップス歌手のバックバンドの指揮とは違い、オーケストラの指揮って抽象的で分かりにくい。
音そのものにしても、ポップやロックの情緒表現は分かり易いよね。たとえば悲しい音、フラストレーションの音、うきうきする音。その中の一色のみ。あるいは一色から一色への移行。
実験音楽も面白いが、無作為とか抽象という概念に執着し過ぎて、かえって作為的に聞こえたりもする。
そこいくと、ありとあらゆる情緒が、互いに矛盾を孕みながら、ぎっしりとつまっているのが交響曲の魅力でしょうね。さまざまなコントラディクションを一緒くたに包括している。まるで世界のように自然。
そう、シンフォニーは世界だ。
そして、少なくとも子供時代から十代まではこんな気持ちで生きてたな。
悲しさと嬉しさ、怒りと許し、さまざまな矛盾を同時に包括しながら。
いつしか大人になって、その時々の感情を、「怒ってる」「悲しい」「嬉しい」・・・一つのカテゴリーに閉じ込めてしまうようになったのは、一体いつからだろう。
小賢しくなったもんだ。
「地獄に落ちろ!」で読者にはお馴染みの伊藤康麿先生は、ゼミでこのように仰っていた。
「すべての芸術は音楽に憧れる」
それは、その抽象性、包括性によるところなのでしょう。
音楽は言葉を持たない。
意味も持たない。
ただただ果てしない空間の存在を、知らしめるだけ。
音楽は、言葉を超えた向こうにあるもの。
前衛的な現代詩人であった先生は、お若い頃に、切々と音楽に嫉妬したのでしょうね。
そうそう!
小さいお子さんがいらっしゃる方、子供達が交響楽に触れる機会を作ってあげるのはどう?
たとえば今週末の都響だったら、上野の東京文化会館で、夏休み子ども音楽会がある。
小・中学性は1000円。親は座席によって1000〜3000円。
この企画のすごいところはですね、コンサート当日限りだけど、コンサートの半券を、動物園などの無料1dayパスと引き換えて貰えるところですよ!
夏休みの絵日記ネタ満載の一日になるしね。
お子さん喜ぶと思います。
というわけで、皆さんも良い週末をお過ごしください!
クラスがお休みなのでチケットを取っておいたのです。
「コバケン真夏のシンフォニー」
コバケン
東京文化会館という古いホールの音は、二階の最前列が・・とか五階の左右が・・音響マニアの皆さんに色々と言われるホールです。
今回は、一階の中央右寄り、7列目。
サウンド的にベストポジションではないかも知れないけど、綜合的に良かったんじゃないかな。一点だけ気になったのが、客席の中央奥の方で「チーン」という高周波が頻繁に鳴る。高音域が何かに共鳴してしまっているらしい。あと目覚ましアラーム鳴ってた人がいた(笑)。
座席の位置がステージと同じか若干低いので、管楽器隊とチェロ軍団の姿が見えなかったけど、
・指揮者の横顏が見える
・低音クラブの私としてはコントラバス隊の目の前というのが良い
・コンサートマスターがよく見える。
という点も含めて良かったです。どの席に座っても、楽しみ方はあるのでしょう。
オーケストラの舞台というのは実に多面的。
交響楽の良いところはですよ、音域、音量の両方における、ダイナミックレンジの圧倒的な広さですね。
本当に全身全霊、響きまくって癒されまくり。
炎のマエストロの異名をとる小林研一郎氏ですが、日本の指揮者として世界での知名度は小沢征爾氏に続いて二番手くらいなのかな。私は幼少期に東京文化会館、昨日同じ会場、サントリーホール、杉並公会堂の四ヶ所で、聴きました。子供の時のことは覚えていないけど、チャイコフスキーとマーラー。
ほら、日本はさ、メジャー主義というか、何か流行すると皆同じものを買うような文化があって(ある年インドから帰ると町中の人の殆どが anelloというブランドのリュック背負ってて、まじで仰天しましたからね)、二番手以降は、その道に無知な一般の人に「2ちゃんねる」みたいな場所でムダに叩かれるようなところがある。
でも、素晴らしい指揮ですよ。私は好きです。
指揮をしながら唸るのが嫌、というけどね、キース・ジャレット好きなんですよ、あたしゃ。
同じように好きです、キース・ジャレットとコバケン。
あとね、コバケンのシンフォニーは、なぜだかわからないのですが、聴いた後にものすごく温かい気持ちになる。これは理屈を超えた何かなんだろうけどさ。
なんか愛がいっぱいだなあ、と。
そりゃもう、炎のマエストロと呼ばれるくらいだから、熱いんですよ・・・激しいし。
今回のコンサートだって、「暑い夏にこそ、暑苦しいコバケン聴こう!」みたいコピーだったからね。
でも、オケとのコミュニケーションが人間的というか、個人的な喜びの表情も隠さないのね。そんな時のコバケンは、孫に相好を崩す好々爺みたい。
なにかが優しい。
いやー、良かったです。
必要だわ、こういう時間・・・としみじみ思った次第。
演目は、
ベートーヴェンのエグモント序曲
ベートーヴェンの5番
ドヴォルザークの8番
ということで、以下は完全なる萌え萌え独り言ですから、スルーして下さい。
5番の第2楽章のあたま、ヴィオラ、チェロ隊、美しかった〜!情緒〜!萌えーっ!。美しくも切ないその音に、コバケンも「孫の前のお爺ちゃん顔」で答えていた。
5番は1楽章の「ジャジャジャジャーン」で有名な「運命」、ジャジャジャジャジャのスタッカートが激しく極まるところ。7名の弦バス隊の弓が、弦にバッチバチ当たる音が(目の前だから)聞こえて萌えーっ!
コンマスが「北の国から」の純くんみたいな人のに、体がついていってしまうタイプ、深く抉るようなノリに萌えーっ!
オケの中で一番に指揮者を凝視しているであろうティンパニーの人の眼光の鋭さ。激しい時に鬼瓦みたいな顔から繰り出される雷鳴に萌えーっ!
ドヴォルザークの最終楽章で、ホルンのボリュームが突然最大になるところ、楽器を高々と掲げ、天を引き裂くような音で吠える。勇壮なサウンドに萌えーっ!しかも数回しか出てこないよ。カトちゃんの「ちょっとだけよ〜」だよ。作曲家っていのは良くわかってるわね。
いやー、萌えた萌えた。
閑話休題。
指揮だけをとってみても、鼓笛隊や、「8時だよ全員集合」のポップス歌手のバックバンドの指揮とは違い、オーケストラの指揮って抽象的で分かりにくい。
音そのものにしても、ポップやロックの情緒表現は分かり易いよね。たとえば悲しい音、フラストレーションの音、うきうきする音。その中の一色のみ。あるいは一色から一色への移行。
実験音楽も面白いが、無作為とか抽象という概念に執着し過ぎて、かえって作為的に聞こえたりもする。
そこいくと、ありとあらゆる情緒が、互いに矛盾を孕みながら、ぎっしりとつまっているのが交響曲の魅力でしょうね。さまざまなコントラディクションを一緒くたに包括している。まるで世界のように自然。
そう、シンフォニーは世界だ。
そして、少なくとも子供時代から十代まではこんな気持ちで生きてたな。
悲しさと嬉しさ、怒りと許し、さまざまな矛盾を同時に包括しながら。
いつしか大人になって、その時々の感情を、「怒ってる」「悲しい」「嬉しい」・・・一つのカテゴリーに閉じ込めてしまうようになったのは、一体いつからだろう。
小賢しくなったもんだ。
「地獄に落ちろ!」で読者にはお馴染みの伊藤康麿先生は、ゼミでこのように仰っていた。
「すべての芸術は音楽に憧れる」
それは、その抽象性、包括性によるところなのでしょう。
音楽は言葉を持たない。
意味も持たない。
ただただ果てしない空間の存在を、知らしめるだけ。
音楽は、言葉を超えた向こうにあるもの。
前衛的な現代詩人であった先生は、お若い頃に、切々と音楽に嫉妬したのでしょうね。
そうそう!
小さいお子さんがいらっしゃる方、子供達が交響楽に触れる機会を作ってあげるのはどう?
たとえば今週末の都響だったら、上野の東京文化会館で、夏休み子ども音楽会がある。
小・中学性は1000円。親は座席によって1000〜3000円。
この企画のすごいところはですね、コンサート当日限りだけど、コンサートの半券を、動物園などの無料1dayパスと引き換えて貰えるところですよ!
夏休みの絵日記ネタ満載の一日になるしね。
お子さん喜ぶと思います。
というわけで、皆さんも良い週末をお過ごしください!