2015年7月6日月曜日

必要な無駄


日本に帰って3か月が経つ今頃になって、まともに起き上がってバリバリ脳味噌を使える状況になった。一昨日、一日じゅう床に這いつくばって、起き上がれないような状況になんかカチンときちゃってね。もうバサーッといったりましたわ。

まあ、目に見えない世界にもいろいろなことがあるわけで、侮れませんな。

というわけで、インフルエンザイ以来すっかり頓挫していた翻訳業務に再び着手。


ふと机の上のアイテムを見ると、ピンク色だらけで笑ってしまった。

林家パー子か私は!


でも、部屋が本当に真っ白で何もないので、気に入った色味のものを見えるところに置いておくと元気を貰えるかも知れないね。ここのところピンクが好きなのです。


もう15年くらい前のことだけど、友永先生がクラスの中のお話で、こんなことを言っていました。

「みなさん、好きなものに囲まれて過ごす時間は素晴らしいものですよ。そのために何が本当に好きで、何が好きじゃないか、わかっておかないとね。」

またお正月明けの別の日はこんなことを仰っていました。


「みなさんはお正月休みはどう過ごされましたか?私は着物を着て、喫茶店にいってお茶を頂きながら、好きな本を読んだり、お手紙を書きました。」


生徒さんは「え〜?先生、ヴァイラーギャって言っててたじゃ〜ん?」と言うかもしれない。

でもねえ、友永先生の仰っていたことって「頭の中の整理整頓」なんだよね。それから「物や行為のひとつひとつに慈しみを持つ」ということ。


なんてイキイキとした、処世を生きる智慧でしょう。

あの時、先生が着物姿で優雅に紅茶を飲んでいる姿を想像して、とてもみずみずしい気持ちになったのを今更ながら思い出しました。

全ての物や人や行為に慈しみを持てたらそれが一番いいんだけどさ、まずは、それが出来そうな「好きなもの」を選んで、そこから練習始めよう、って。

(私は貧乏性・・・っていうか貧乏だから、ついつい「コスパ」とか「無難」とかに振り回されるんだけど)「必要無駄」の有用性というのもあるのかも知れません。




子供の頃に好きだったものを、思い出した。

親に必死に頭を下げてお願いするくらい欲しかったもの。

①ピアノ
②アーサー・ランサム「ツバメ号とアマゾン号」シリーズ全巻
③犬

音楽と文学と動物。

この三つが私の好きなもので、今も変わらずに好きであることを思い出しました。

それから番外編で、演劇というのがあって、これは小学校卒業と同時に中断してしまったので、もしも平穏な老後を送ることがあれば、市民劇団かなにかに入ってやりたいな。


全ては使い手、使い方次第。

好きな物の力を借りて、太陽が見えない毎日も、乗り切ろう。

スカートはいて、朝ご飯を外に食べにいき、ゲバラの青春記のページをめくったりした、そんな梅雨の日でした。

ばいちゃ!