世間を賑わすサッカーと都議会。
非国民となじられる覚悟で告白するのだけど、私のサッカー嫌いは年期が入っている。そしてその理由は、今回の都議会の野次事件と関連があると言えなくも無い・・・のです。じゃじゃーん!
サッカー自体が憎い訳でもなく、フットボーラー達が憎いわけでもないのですが、高校時代にですね、「女子陸上部にどんどん球ぶつけろ!でグラウンドから追い出せ!」という監督の指令によって、サッカー部員達が、ボールをぶつけて来たり、ホースで水をかけたり、品のない野次を飛ばしたり・・・などの嫌がらせをしてきたのよね。
うちの先生は負け犬の遠吠えといって「弱い奴ほど遠くで鳴くんだ、ほっとけ!」くらいの感じだったのだけど、私は実は、諸々の行為に大激怒。
サッカー部の監督は、たしか国際試合なんかでも出来るような、級の高い審判員だったけど
「人から手本にされるべき人のやることが、女を暴力で貶めて追い出すことか!」
というのと、
「一人じゃ何も出来ないくせに集団になると傍若無人になりやがる!」
という、私の二大地雷のスイッチがオン!されまして、一人で喚き散らしながら、トンボを振り回して暴れ、サッカー部室のドアを蹴り回してやりましたわ。怒りの表明です。ふはははは!
・・・とまあ、このような暴力的かつ破壊的なパフォーマンスの数々を猛省しまして、このごろの粛々とした生活があるわけなんですが・・・・。
以来サッカーに対して「集団で下品になる人の集まり」という印象が付いてしまい、興味が失せました。スポーツマンシップってなんだっけ?・・・って。そういのを悪しき村人根性っていうんだよ。
ファンが騒いで渋谷の駅前を混雑させたりするのも、多分、彼らは一人じゃ、そういうこと出来ないんですよ。私にしてみると、そこがとっても気持ち悪い。「一人で背負う覚悟あるんならやれよ!」ということです。でも、ブラジルでのゴミ拾いなんかで少し評価あがりました。
議会での野次なんかも、自分の発言に責任持てるなら、いいんだと思うんですよね。どんな人間も自由に発言する権利を持ってるんだから。集団になって下品なことを言って、いざとなるとシラを切るってなら、言うなよ、ダサ過ぎるよ。
まあ、人それぞれ意見は違うと思うんだけど、私はそんなふうに感じています。
「赤信号みんなで渡れば怖くない」なのは大嫌いですね。
「赤信号ひとりで渡れば危なくない」です。
昨日、用事の前にあるお寺に寄ってみました。閻魔様とその仲間(?)を祀っているお寺です。撮影禁止なので写真はウェブから拝借。
閻魔様はインドで言うところの、ヤマダルマラージャですよね。
このお寺では、人間が肉体を捨てた後(=死後)、どのように次の処遇が決まって来るか、ということを教えています。冥界で、ヤマはじめ、他の裁判官達の処を順にめぐって過去の行いを見直していきます。
閻魔様は、ときに人間達を教育するために地獄に落として苦しめなければならず、この行いそのものも又罪となり、一日三回、口をこじ開けられて灼熱の銅を流し込まれるんだって。腸が焼け爛れて苦しいらしい。可哀相。
「閻魔大王の願いは全ての人々が現世において悪事を成さず良い行いだけを行う事です。全ての人々が悪事を行わなければ閻魔大王も亡者を地獄に落とさずにすみます。閻魔大王も日に三度の苦しみを味わう事はありません。是が閻魔大王の願いです。」
そりゃそうだ。だから私たちも
我れ昔、造る所の諸々の悪業は、皆はてしなき貪瞋癡(とんじんち)に由る。
身口意(しんくい)に従って生ずるところのもの、すべて我れ今みな懺悔し奉る。
といって、懺悔するんだって。
貪とは貪る心、必要以上に欲することです。
瞋とは怒りの心、癡とは無知、アヴィッデャーのこと。
身口意というのは行いのことですけど、身=体を伴った行いと、口=言葉を発することもまた行為です。それだけではなく、意=心の中で思うことも行為。
しばらくの間、本堂に座って、閻魔様とお話していました。
「ヤマダルママハーラージ、ナチケータ(※についてはまた今度ブログでお話しましょう)来ましたか?やっぱり凄い子でした?ところで私、ちゃんとやれてますかね? いっぱい悪い事してきたけど、でも頑張ります。遠く無い未来に、あなたの所に行きますが、その時まで、沢山、良い行いをさせて下さい。」
と、メルヘン。ちょっと泣けました。
ちなみに漫画の「ドロロンえん魔君」は閻魔大王の甥っ子の設定だって!私はアニメの終わりの歌が好きでした。
人の理想とされるべき議員さんとスポーツマン、大悪人で手いっぱいの閻魔様に楽させてあげて下さい。
非国民となじられる覚悟で告白するのだけど、私のサッカー嫌いは年期が入っている。そしてその理由は、今回の都議会の野次事件と関連があると言えなくも無い・・・のです。じゃじゃーん!
サッカー自体が憎い訳でもなく、フットボーラー達が憎いわけでもないのですが、高校時代にですね、「女子陸上部にどんどん球ぶつけろ!でグラウンドから追い出せ!」という監督の指令によって、サッカー部員達が、ボールをぶつけて来たり、ホースで水をかけたり、品のない野次を飛ばしたり・・・などの嫌がらせをしてきたのよね。
うちの先生は負け犬の遠吠えといって「弱い奴ほど遠くで鳴くんだ、ほっとけ!」くらいの感じだったのだけど、私は実は、諸々の行為に大激怒。
サッカー部の監督は、たしか国際試合なんかでも出来るような、級の高い審判員だったけど
「人から手本にされるべき人のやることが、女を暴力で貶めて追い出すことか!」
というのと、
「一人じゃ何も出来ないくせに集団になると傍若無人になりやがる!」
という、私の二大地雷のスイッチがオン!されまして、一人で喚き散らしながら、トンボを振り回して暴れ、サッカー部室のドアを蹴り回してやりましたわ。怒りの表明です。ふはははは!
・・・とまあ、このような暴力的かつ破壊的なパフォーマンスの数々を猛省しまして、このごろの粛々とした生活があるわけなんですが・・・・。
以来サッカーに対して「集団で下品になる人の集まり」という印象が付いてしまい、興味が失せました。スポーツマンシップってなんだっけ?・・・って。そういのを悪しき村人根性っていうんだよ。
ファンが騒いで渋谷の駅前を混雑させたりするのも、多分、彼らは一人じゃ、そういうこと出来ないんですよ。私にしてみると、そこがとっても気持ち悪い。「一人で背負う覚悟あるんならやれよ!」ということです。でも、ブラジルでのゴミ拾いなんかで少し評価あがりました。
議会での野次なんかも、自分の発言に責任持てるなら、いいんだと思うんですよね。どんな人間も自由に発言する権利を持ってるんだから。集団になって下品なことを言って、いざとなるとシラを切るってなら、言うなよ、ダサ過ぎるよ。
まあ、人それぞれ意見は違うと思うんだけど、私はそんなふうに感じています。
「赤信号みんなで渡れば怖くない」なのは大嫌いですね。
「赤信号ひとりで渡れば危なくない」です。
昨日、用事の前にあるお寺に寄ってみました。閻魔様とその仲間(?)を祀っているお寺です。撮影禁止なので写真はウェブから拝借。
閻魔様はインドで言うところの、ヤマダルマラージャですよね。
このお寺では、人間が肉体を捨てた後(=死後)、どのように次の処遇が決まって来るか、ということを教えています。冥界で、ヤマはじめ、他の裁判官達の処を順にめぐって過去の行いを見直していきます。
閻魔様は、ときに人間達を教育するために地獄に落として苦しめなければならず、この行いそのものも又罪となり、一日三回、口をこじ開けられて灼熱の銅を流し込まれるんだって。腸が焼け爛れて苦しいらしい。可哀相。
「閻魔大王の願いは全ての人々が現世において悪事を成さず良い行いだけを行う事です。全ての人々が悪事を行わなければ閻魔大王も亡者を地獄に落とさずにすみます。閻魔大王も日に三度の苦しみを味わう事はありません。是が閻魔大王の願いです。」
そりゃそうだ。だから私たちも
我れ昔、造る所の諸々の悪業は、皆はてしなき貪瞋癡(とんじんち)に由る。
身口意(しんくい)に従って生ずるところのもの、すべて我れ今みな懺悔し奉る。
といって、懺悔するんだって。
貪とは貪る心、必要以上に欲することです。
瞋とは怒りの心、癡とは無知、アヴィッデャーのこと。
身口意というのは行いのことですけど、身=体を伴った行いと、口=言葉を発することもまた行為です。それだけではなく、意=心の中で思うことも行為。
しばらくの間、本堂に座って、閻魔様とお話していました。
「ヤマダルママハーラージ、ナチケータ(※についてはまた今度ブログでお話しましょう)来ましたか?やっぱり凄い子でした?ところで私、ちゃんとやれてますかね? いっぱい悪い事してきたけど、でも頑張ります。遠く無い未来に、あなたの所に行きますが、その時まで、沢山、良い行いをさせて下さい。」
と、メルヘン。ちょっと泣けました。
ちなみに漫画の「ドロロンえん魔君」は閻魔大王の甥っ子の設定だって!私はアニメの終わりの歌が好きでした。
人の理想とされるべき議員さんとスポーツマン、大悪人で手いっぱいの閻魔様に楽させてあげて下さい。