2012年11月29日木曜日

ダライラマに会ってきた。

インドより愛をこめて。

 みなさん、お元気ですか。ちょっと信じがたいかも知れないけれど、例によって座って水を飲む暇もないような奉仕の日々を送っております。早速過労で弱ってきました(笑)。これで死ねたら本望ですが。

 現在は16人の生徒さんたちの頑張る姿を応援中。うち日本人は4人です。われらがアヌープも頑張っていますよ。アヌープの頑張る姿に、シータマかあちゃんは泣けちゃいます。

 ここに来ててからはや一ヶ月。皆さんから、「(私の出国と入れ違いに来日された)ヒズホリネス・ダライラマ14世の講演に行ってきて感動したよ」とのメールをもらって、「くそ~っ!みんないいなあ!」とか思っていたら、なんとこの小さなヴァルカラの町にダライラマが来るということに!

 うちのお父さん=Swami Govindananda ji も「シータマが日本で会いにいけなかったら、ダライラマの方から来てくれた、はっはっは」 と言っておられました。

・・・で行ってきましたよ、11月24日。お話しを聞いて泣いてしまいました。

 とにかくこの素晴らしき機会をみんなとシェアしなくては、と思い、必死に頭の中の黒板に書いておいた(セキュリティー上の問題でペンとか録音機を持って入れないのです・・・・)ものを日本語に訳しました。 このブログでご報告したいことは他にも沢山あったのだけど、とりあえず、インドからの一発目はダライラマ法王のお話です。私の頭の中の黒板は、なかなか使えるやつでしたよ。来月半ばになったら少し時間ができるので、着々とブログをアップしていきますね。ウェブサイトのほうも。おまたせして大変申し訳ありませんでした! 

では、以下、ダライラマ法王のお話です。






 この度は、このシヴァギリアシュラム巡礼80周年の式典にお招きいただきありがとうございます。この幸いな機会に拙い英語ですが少しお話をさせていただこうと思います。

 20世紀はテクノロジーの進化の時代でしたね。技術の進化は確かに、私たちの暮らしを便利にしましたが、同時に多くのものを駄目にしたとも思います。科学の進化によって自然は破壊され、人々の心は荒み、多くの暴力が生み出されました。テクノロジーの最新鋭である原子力の発明によって、私はそれらの土地の、まさに爆弾が落とされた地点を訪れたことがあるのですが、広島と長崎に原爆が投下され、これによって20万もの尊き命が奪われました。(※後遺症の方を含めるともっとですよね・・・by Sita)

 今、新しい世紀を迎えた私たちは、この21世紀において、いえ、この世紀の初期の段階において、一刻も早く、これらの退廃を払拭せねばなりません。よき人間性をこの世界に育み、復活させなくてはなりません。

 この世の中は、悲しいことですが、争いに満ちています。争いの源である怒りや憎しみというのは何でしょう。そう、すべては人々の感情なのです。科学や技術の進化は、これに対してなんの解決策にもなりません。この薬を飲んだら怒りが治まるとか、悲しくなくなるとか、そういうのはないでしょう?テクノロジーの進化のみでは世界に平和をもたらすことはできないのです。

 平和って何ですか?平和とは慈悲の海のことですよ。平和とは思いやりに満ちた世界のことです。 真の平和は、我々個人の内なる平和からしかもたらされないのです。内なる平和とは、自分以外の誰かの幸福を願えるということです。これを真のマチュリティー、精神的成熟というのです。でも、そうでしょう?もし相手や、その家族のことを思ったら、爆弾なんて、落とせないでしょう?その人のことを思ったら殺せないし、殴れないし、だましたりできないでしょう?もし、すべての人に、この精神的成熟があれば、戦争なんで起こりえないんです。思いやりというのは、たった一人では得ることはできません。あなたと、別の誰かの間で、あるいは、この国と、どこか別の国との間で、育むものなのです。

 このシヴァギリアシュラムの創始者であった シュリー ・ナーラーヤナ・グルは、ここケーララの人々に「本当は宗教はひとつだ、カーストだってひとつだ」ということを教え説きました。このバーラタ・・・インドという国は、世界において例をみない国なんですよ。この地球上には沢山の宗教があるでしょう?今、このステージの上にだって、クリスチャン、ムスリム、ヒンディー、ブッディストと沢山の違った宗教の人間が集っています。ジャイナ教、拝火教、ペルシャ教、ユダヤ教、etc. etc。インドはこれらの多くの異なる宗教が共存している唯一の国家といえると思います。

 私は、ムンバイにたった100人足らずの拝火教のコミュニティーが、恐怖を抱くことなく存在していることを知っていますし、ラジャスターンのある村では・・・村というのは数千人くらいの人口の村ですが、そのムスリムの村にたった三家族だけのヒンドゥー教徒が、恐れることなく安全に暮らしています。これはすごいことだと思いませんか?もちろん例外もあるのですが、基本的にバーラタというのは、こういった類まれなる特性を持った国なんですよ。争いの原因である怒りや憎しみも源はなんだかご存知ですか?それは「恐れ」に他なりません。

 三千年の間変わらずにある「アヒムサー・非暴力」というコンセプトがいまだ受け継がれているのです。 しかし残念なことに、この千年くらいの間に、それもだいぶ退廃してしまいました。今こそ、私たちはこのアヒムサーの基本に立ち返るときです。そして新しい世代にその美徳を伝えていかなければなりません。


 私は、リシケシやハリドワールで、沢山の聖者~その多くはヒンディーの聖者ですが~にお会いする機会が多くあります。その度に私はしつこく言うのですよ。山にこもってお祈りだけをしている時代ではもうないよ。インドに脈々と続く、ヴェーダの尊い教えを、その神聖を、今こそ立ち上がって人々に伝えに行かねば、って。教育によって、 人々の心に思いやりを、本当の神聖を育てていかなくてはいけないんです。思いやりこそが真の霊的成長であり、神聖そのものなのです。どうぞここにいる皆さんもそのことを胸において、地域に思いやりの芽を育てていってください。

最後に、ここケーララについて感想をひとこと。

暑い!そして湿気が多い!(一同爆笑)

ありがとうございました。



・・・・・・・以上、ダライラマ法王のお話でした。


またね!みんな風邪引かないでね!