2012年4月13日金曜日

ごあいさつ、ふたたび。




 昨日、今年も無事に帰って参りました。皆様、お元気でしたか?個々のごあいさつの前に、ひとまずこちらで、帰国のご報告をさせていただきます。近々お会いできるのが本当に楽しみ。

 月並みですが、時の過ぎるのは早いもので、2009年にこのブログを始めて2年と数か月が発ちました。ということは、この仕事を始めてから、もう8年目。長い長い記事になりそうですが、休み休み読んでいただけると幸いです。

 2005年、NYで泣きながらSivananda Yoga Vedanta Center(以下SYVC)の指導者養成コースを受けて帰ってすぐ、東京のYOGAJAYAで教えさせていただくようになりました。その話が決まった時は、当時住んでいた杉並から代官山などという洒落た場所に出るのが恐ろしく、NYに逃げ帰っています。「スワミジー、恐ろしくて教えられませ~ん!」と弱音を吐いたら、「何言ってるの?ユミコはいい先生になるよ!さっさと帰って教えなさい!」とあんまり優しくして貰えなかった。最初のクラスのドキドキは、今でも覚えていますね。声が震えるのは緊張なのか、窓から伝わる空気の冷たさなのか、わからなかった。

 2006年。追ってコースを受けたSivakami久美子さんに「SYVC認可のヨガセンターを作るが手伝って欲しい」との頼まれたのは、小春日和の井の頭公園で、鴨がワーワーいって可愛かった記憶。その時、五位鷺という鳥の名前と、チビクロちゃん(と私が呼ぶ鴨の一種)は潜りの天才だということを彼女に教わりました。

 断ることが苦手な天秤座O型の私。我が性格を悔やんだほど苦しいことばかりだったけど、2007年に、都認可のNPOとして、皆が奉仕をしたり、疲れを癒せたりする小さな小さなセンターが誕生しました。その場所を、愛し、訪れてくれる人が居たということ。ますみちゃん、みゆきちゃん、よしえちゃん等など、当時の生徒さんが、今、立派に、社会のリーダーとして活躍しています。かずよさん、たけしさん、ちずるさん、など当時にちらっと遊びに来てくれた、遠くの方々とも、インドで再び会えたり、あそごは、小さいけど、ほんとに温かいご縁の場所でしたね。

 いろいろな意味で私を育ててくれた東京に恩返しをしよう!と勝手に決めて、休みも取らず、ひたすら同じ場所で、教え続けてきた三年間。2008年に上級の養成コースを取った際に、またも「次はインドと世界に恩返しだ!」と思ってしまったのね。それで2009年、レギュラーの仕事を全部辞めた上でインドに行った訳です。

 SYVCの主催する養成コースらのアシスタントを二つほどして、それから、自分の修行と巡礼を少しして、後はインドのセンターで汗疹だらけになって働いていました。「長い間、日々の暮らしの中で私のクラスを楽しみにして下さっていたすべての生徒さんを、ほったらかしにして申し訳ない、でも皆にはちゃんと精進し続けて欲しい・・・。」実は、そんな気持ちから、このブログを始めたんです。

 しかし帰国後、心の中に澱のように沈んでいたモヤモヤが、ついに爆発。センターで奉仕してくれるのTTC卒業生たちの知識レベルが「?」なことに、フラストレーションがたまっていました。2010年のある日。(本人よ、暴露してごめん。読者よ専門話でごめん。)ある先生が生徒さんに「大丈夫、フィジカルボディは貴方の本当の姿ではない。アストラルボディでもない。コーサルボディよ!」と諭すところに遭遇し、「シータ後ろにグィ~ンと90度のけぞる事件」が起こるのですね。もう、「まことちゃん」(・・・て知ってる?)バリでしたよ。

 私は、本当にガッカリしてしまった。ヨガブームで多くの人が先生を目指してコースを取りに行くようになって、もちろん本人たちの姿勢にも問題があるのだろうが、コースのクオリティーがなんだか、低くなっているような気がする・・・と自分で手伝ってみて思っていたのです。いくら私が東京でせっせと補講しても「ああトコロテン式に押し出されたらぜんぜん追い付かない。」・・・と。


 それで、人見知りの私には「無理!」的存在だったSwami Govindananda先生に、初めて個人的なコンタクトを取るのです。この時SYVCは既に、この最後のインド人スワミを追い出してしまっていたのだけど、私は数年ぶりに弱音と愚痴を吐きます。なぜなら、この人だけが私の知っているSYVCのスワミの中で「真実」を知っている先生のように思えていたから。


「スワミジ、私はほとほと嫌になってしまいました。多くのコースはインスタントで、人ばっかり何百人も集めてるのに、どうしてちゃんとしたことを教えないのですか?私が日本で教えても教えても、どんどん聖典にない間違ったことや勝手な解釈を教える人が送り出されてくる。もう疲れました。」

 
 これが、私とスワミジの下で働かせてもらうことになった直接のキッカケ。だから「貴方はコーサルボディ」発言にすごく感謝してるんだ。

 その時のスワミジからの返事は

「おー、シーター・ヨーギーニー!確かに今のSYVCは間違ったことや独自のアイデアを教えているね。だけど僕らのやっている仕事は、組織の仕事ではなくSwami Sivananda Gurudevの仕事だよ。僕の師匠だったSwami Vishnudevanandaも紛れもなく正しい先生でした。だから心配しないで。あなたのダルマ(正義)に従って正しく生きなさい」と。



 2010年、SYVCのタイTTCでボランティア。そのあとインドで、独立されたSwami Govindananda先生と、ゼロから、アシュラムづくりの活動を始めました。2011年6月。かねてからSYVC本部が兼ねてから欲しがっていた私達の小さな認可センターが、正式にSYVCの名義となり大きな場所でオープンします。私はそこに合わせて帰国したわけですが、ブッキングされていたクラスは一方的にキャンセルされ続け、こちらからの問い合わせには応じて貰えない、という状況で出入り禁止だけ言い渡されます。

「追い出した後にやっぱり戻ってきてくれと頼んだら断ってきたようなSwami Govindanandaは、Sivanandaファミリーじゃない。君はその人を手伝ってるから」

・・・という幼稚な理由でした。これでは「追い出したことが間違いだった」と認めているようなものですしね。

 どんな組織でもヤッカミとか、政治的なしがらみはありますが、クラスを楽しみして待って下さっていた生徒の皆さんにまでご迷惑をおかけしたことは、本当に申し訳ありませんでした。遠方から状況して下さった方もいらっしゃったのに。日本的な消極性からこの状況を皆さんに、これらのことお伝えすることを控えさせていただいていましたが、一年近くの時を経て、何もそんなにコソコソする必要もないか、とふと思いついてしまって、ここにオープンにします(笑)。私らしくないし、暗い。

 インドで懐かしい再開を果たした人達に「実はこういう理由で蹴りだされたんだー!」と告げると「みんな知ってるよー!」(私「どうやって?」)「そんなのBBCフラッシュニュースだよ~!」「でも心配しないで。僕らの家はいつでも君の為にオープンだよ!」と言ってくれる。そっか、日本の生徒さんも知ってることだしね。そもそも私なんて、単なる名もない一介のボランティアだったわけで、首にされるとか、辞めるとか、そういう大袈裟な話になる程のことでもないのよね。

 実は私の元にも、幾たびか「東京センターに戻ってきて住んでくれないか?」という打診が何度かありました。声を掛けてくれる皆さんの温かさに感謝しつつ、しかしお断りさせていただきました。

 2009年の時点から「チェータナ先生を手伝うな、Vedanta習いに他のアシュラムに行くな、一生お金の心配はさせないから本部の永久スタッフになれ」などとSwami Mahadevananda先生から制限と打診をされていました。全ては一つというVedantaの教えと矛盾するように思えました。 センターやアシュラムで起こっている数々の教え・・・道義?に反する出来事も見てきたし。


 でもね~、そんな危ない結婚のような話を、この私がホイホイ聞くわけないじゃないですか。肩書や実績なんて所詮「名前と形」にしか過ぎないんだし。「そんなの私の生徒さん、みんな知ってるよ~、Swamij Mahadevも分かってないな~?」と正直思ってた。この矛盾を抱えたまま暴走する組織にどうしてコミットできましょう。だから「所属していない組織からのクビ宣言」は、生徒さんには申し訳なかったけど、私にとっては実はラッキーなことでした。もしかしたら、この記事を記していること自体、保身であるのかも知れないけれど、自分を偽らず、正直に生きていくのが一番。そんな訳で私は、どこにも頼らない、変わらぬ私のまま、Swami Sivananda GurudevとSwami Vishnudevananda Maharajの道具として、この仕事に身を捧げるのみ。


 親愛なるわが師Swami Govindanandaをはじめ、多く師、人生の先輩の口から「十分なキャパシティーがあるのに、何もしないのはダメだよ。本当の意味で自立し、人々をリードし、為になることをしなさい。」と言われ、長年の消極的な考えを捨てました。「自分のヨガセンター?そんなの人が沢山来ちゃったら嫌だからやらないよ!」という変な考え。私は子供のころから、お芝居でいうと脇役の小動物みたいな、責任のない立場が好きなのです・・・が、皆さんの言うとおり、いつまでも子供では(いたいけど)いられません。


 私が場所になる覚悟をしました。「Sivananda Yoga Vidya Kendram」という場を作ります。物理的な場所もありません。何もありません。つまり、私しかいません、うははは(笑)。名前はSwami Govindanandajiと話て決めました。Sivananda先生のYogaの知識の中心、あるいは心臓、という意味です。「いいんじゃない?でも英語読みでKendraにするのはやめてよ、ちゃんどKendramね!」というスワミジらしい細かいアドヴァイスを貰いつつ。


 今は、先生たちを指導することが多く、時には厳しく接しなくてはいけない場合もあるかも知れない。しかし、私自身、師匠に叱られながら、これからも変わらず努力研鑽してまいります。そして明るく、明るく。今後とも、どうぞ、よろしくお願いします。


故・沖正弘先生の著書の中にこんな記述があります。

「物事の真実を把握して、人に正しさを教えることのできる人のことを霊格者といいます。」

・・・そういう人ってどんな人かというと、

「感謝心、懺悔心、下座心、奉仕心を持ち、愛の心で愛の生活ができる人のことです。」

・・・では愛の心って何?

「愛とはいちばん正しく物事を把握し、いちばん正しく物事を実行することですが、この基本が感謝、懺悔、下座、奉仕の心なのです。このためには体を柔らげること、心は安らげること、生活は楽しむことが必要です。ヨガの肉体的訓練はすべて体を柔らげるものであり、この原則が笑いです。そして、体全体を笑わせるものが呼吸法なのです。
 心を安らげるためには喜びを感じる必要があり、喜びを感じるには感謝心がなければならないのですが、おかげを感じないと感謝心はでてきません。」


 人を指導する人間、つまり先生とは「真実を知る人、つまり正しさを実行し、教えることのできる愛の人」ということですよね。私たち日本人はこんなにラッキー。こんなことを日本語で教えてくれる尊い先人がいるのですから。精進します。

 写真は洞窟に入っちゃったスワミジの鞄持ちをしつつニヤニヤする私。ありがたいことです。これからも一緒に楽しいことを沢山しよう。



ご挨拶にかえて。

Sita 寺崎 由美子