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2011年12月6日火曜日
ある日の対話
12月6日はGita Jayantiと言って、Bhagavad Gitaの誕生日でした。それとエーカダシが重なって・・・というか、この時期のエーカダシ=Gita Jayantiになるのか、わからないのだけど、好日でした。
す「Sitaはいつ、自分のセンター作るんだ?」
し「さあ、いつでしょう。」
す「センター作って今後の人生、知識の伝承に本腰入れなさい。日々のクラスをして、講義と、チャンティングを教えて、充分なキャパシティーがあるんだから、やらないと駄目だよ。」
し「でも場所がないかな・・・」
す「そんなのはSitaの弟子が協力してくれるからいいんだよ。」
し「そうですかねぇ。」
す「僕が日本に行こうと思ったけど、僕の出来ることはSitaがやれるから、行かなくて良いかなーって。」
し(っていうか、そういう問題じゃなくって。みんなが会いたがってるの!)
という会話がなされた昼さがり、いつも私に厳しいスワミジですが、とても優しく神妙に話してました。
私はある部分で人嫌いの変人なので、これまで
「自分の教室を作りなよ。Sitaならきっといっぱい人が来るよ!」
とか人に薦められても
「げーっ!人がいっぱい来ちゃうなんて、そんなの絶対に嫌だ!」
と思っていたのだけど、今年あたりから少し気持ちが変わり始めたんだよね。というか、自分の義務を、受け入れる覚悟が少し出来てきたのかな。スワミジに教えてもらった、執着に起因しない愛情の、その広さを、みんなにも分けてあげたいなぁ・・・、どうやったら伝わるかなぁ・・・って思い始めたのかも。そうなると、自分がそういう人になるしか方法はないのかも知れない。
そういうわけで、もしかしたら将来、そんなことがあるかも知れません。その時はきっと、みなさんのお知恵とお力が必要です。どうぞ気が向いたら私を助けて下さい。
この秋、スワミジの来日は実現しなかったけど、そこに集った人々の中から、私以外で8人もの方が、ここアンボリに来て下さる予定です。その他にも数人の日本の方がいらっしゃいます。恐るべしスワミジの吸引力。ダイソンの掃除機。
こうしていつまでも、スワミジに叱られながら、甘えてぶらさがって居たいけれど、いつかは独り立ちしないといけないんでしょう。私は、とても、とても幸せな人生でした。まだ死なないんだけどさ。グルたちの恩恵を受けて、これからも、ずっと、ずっと幸せでしょう。
今年もまた、小さな瓶の中の、小さな蓮の花が咲きました。一年の大半を泥の中で過ごすことも、甕が小さいのも「関係ありませーん」という顔して、綺麗に咲いてます。
そういう風に、私もなりたいです。