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2011年5月16日月曜日
a little hope
大切なのは、ほんの小さな希望です。
こんばんは、「a little hope」です。
・・・というのは私が参加した中で唯一Rockではないバンド
「a little hope」のMCの枕詞。
女性と組むと「いろいろと面倒が多い」(エクスキューズミー女性諸君)という理由で、女性と一緒にバンドをすることは皆無に近かった私が、安心して一緒に仕事をできた唯一の女性ヴォーカルの言葉です。冷静さと情熱、真剣さと快楽主義の同居、重さに速度の加わったある種のパワーの度合い感など、お互い似通っていた気が・・・。まあグルーヴィーな人です。思えば彼女は私と生まれた年も、血液型も、星座も、住んでる町も一緒でしたね。偶然だけど。肌色は彼女が地黒で、私が地白(?)だったため「オセロ」と呼ばれてました。あー、元気にしてるかなあ。
思えば、あの言葉は、彼女の信念のエッセンスだったんですよね。また彼女が、苦しいときに自身を救う時の呪文というのか。
「実際、人を救うのって、劇的な幸運とか、大きな保障とかじゃなくて、ほんの小さな、一見見落すような小さい希望なんと思うんだよね。」
Agree with youだよ。どうして気が合ったのかも、分かるような気がします。
それを体現できる人生を歩みたいよね。宿る希望の灯し火に気付ける人でありたいよ。荒れ地に咲く小さな花の一輪のように。それがちっぽけな私が社会に対して出来る唯一のことだろうし。
なんでこんなこと急に思い出したかというと、亡くなられた作家、団鬼六さんの(団鬼六を引き合いに出すヨガTも本邦初では?いいんです、いいんです、はい。)辞世の句というか、亡くなる少し前の文章を拝見したからですね。長くなるので、興味のある方は下記に転載させていただきます。
生徒のみなさん、元気かな・・・。本当に長い間ご無沙汰していますけど、どうぞ皆さんが小さな希望とともにありますように、心から祈ってます。
以下、以下原文のまま引用。
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老婆が泥だらけになった孫のランドセルを手にしながら、孫の姿を懸命に探していたり、震災で親をなくした子供たちが里子に出されるなどという報道を聞くと、まさに戦後さながらの殺伐とした状況に戦慄さを覚えるのである。自ずと遠い昔、私が中学生であった当時の戦後に自然と思いは馳せる。
当時は日本政府なんてものはあってなきにしの如くで、アメリカ人の管理下に置かれた不甲斐ない状態で、当時の飢え、貧困をはじめ、不衛生、犯罪、人の安否、求職などの不満を一体どこにぶつければいいのかもわからなかった。
家も、食べ物も、親戚も、金もない、という人間がいたるところに溢れていた。あるのは命だけだった。
原爆を落とされ、戦争に負け、日本人としてのプライドをズタズタにされた。それでも日本人は経済大国と言われるまで成長し、医療、科学、経済等全てにおいてトップを争う位置にのし上がってきた。
現在被災地には各地からのボランティア、義援金、救援物資が届き、次第に復興の兆しが見え始めている。
体育館の端で、毛布に包まりながら、私は元気です、心配しないで、と家族を思いやる姿、家が流され、思い出諸共流されても、命が助かったんだから、自分たちよりももっと大変な人たちがいる、と数々の辛さをこらえ、自分よりも他人を気遣う心に日本人の謙虚さと美徳を感じずにはいられない。日本人は希望を失わない。決してへこたれない立派な国民だと思う。
戦後を見ている世代は必ず日本が復興することを信じて疑わない。その姿を目の当たりに見てきたのだから。それでもこれだけ迅速に立ち直ろうとする姿は想像できなかったのではなかろうか。世界各国からの支援や、米国自衛隊が「友達」の腕章をつけて救援活動を行っている姿など戦後では想像もできない心温まる話であった。
命しかない。けれど、命がある。これが希望である。この震災で多く尊い命を失ったがここにある命はそして経験は脈々と受け継がれ大河となるだろう。希望を絶やしてはいけない。
世間では各方面で自粛ムードが漂うが、私は元気な者は元気に過ごすことが今出来ることなのではないかと思う。野球、サッカー、大いにいいではないか。さくら祭りいいではないか。
こんなときだからこそ、楽しさがなければいけない。楽しさは生きる喜びであり、希望に繋がる、と快楽主義者の私は思うのである。生きていることを実感し、共に同じひとときを分かち合うことが出来る喜びを味わおうではないかと思う。下を向いているばかりでは何も始まらない。
東北にもこれから桜が咲くだろう。どんなに寒い冬でも必ず春が来るように、必ず桜は咲くように、どんなに辛い時でも、必ず日は昇る。津波や、放射能に侵された地にもやがて鳥が種を運び、花を咲かすだろう。
今東京は桜が満開である。桜は日本の心である。桜を愛でることは日本人を愛でることだと今年は一層強く感じるのである。(4月10日記)