2011年3月31日木曜日

シータの涙





 うちのお父さん(=スワミジ)がついに帰ってきました。で、私は安心して熱を出してしまった。ついでに吐き気もします。おえー。


 スワミジの留守の間、シーターマタは頑張りました。というか、頑張らざるを得ない問題が続々と発生しまして。「え~レクチャーとヨガを教えてるだけじゃいけないの~、聞いてないよ~」と言いたいところだったけど、クラスルームだけがティーチングの場でないことも、生徒さんだけが私の生徒じゃないってこともよーく判っておりましたので・・・。


 しかし、ただでさえトラブル続きで大変だというのに、ゴアでヨーガのコースをしている別のグループが、ホテルのトラブルで行き場を失って、ここに来たのよね。この「外国人なんて見たことも無い」というアンボリ村に半裸状態でやってきて、タバコは吸うわ、ドラッグも怪しいわで、悪い人達でないのは承知なんだけど・・・んもー、私が頭かかえるのも判るでしょ?(あ、でもこんなこと、公共の場で書いていいのかしら?)

 彼女らの先生が彼女たちに何にも言えないのは、ティーチャートレーニングとは名ばかりの、商業的なモチベーションが根底にあるからでしょう。先生ってのは、そういうもんじゃないでしょう!あーた、先生を育成しようとしてるんじゃないんですか?ほんと男ってのは、へなちょこだな!(Sita心の声。エクスキューズミー男性諸君。)それから、そっちのあーた!いつもオレンジの上下を着てるので、スワミかと思ってたら、なんと違ったりして、ハッタリかい、おい!なんのための扮装?意味がわからん!(Sita心の声。こんなこと書いてていいのかしら。いいのです。ああ、クリティカルな私・・・いえ、オープンマインドってやつです。あー、すっきりした。)


 そんなとこにスワミジが帰ってきたでしょ。一秒でも早く会いたくて駅まで迎えにいっちゃいましたよ。Sitamaマントラ(唱えるとSitaが現れて仕事をしてくれるという便利で強力なマントラ)を一日108回くらい唱えてくれるスワミジだけど、どんなにスワミジが真摯で謙虚で清浄で、愛に溢れた先生であるか、この10日の間にたっぷり判らせて頂きました。そんなスワミジだから、生徒が常に彼を取り囲んでいるので、私はゆっくり話す時間もないんだけど、(ついでに怒られてばかりだけど)、言葉じゃなくて、どんなに大事にしてもらっているかが、どんなに沢山のことを私に教えようとしてくれてるか、まじで身に染みて泣けます。


 2年前くらいには予想もしなかったんだよね。スワミジとこんなに深い縁があるなんて。どういうカルマなんでしょう。いくら馬鹿な私でも、自分の魂がスワミジといることで、どれだけ喜んでるかくらい判るよ。

 
 今日は、ゴパールジと司祭のサジットが帰っちゃう日です。リダは今朝帰っちゃったので、私は三ヶ月半ぶりの一人暮らし。ゴパールジが帰っちゃうのはもう10回目くらいだけど、サジットには暫くまた会えないね。辛い時にもずっと支えてくれました。ありがとう。またね。


 
    サジットとラジャネーシュと私。

2011年3月26日土曜日

兄貴達との書簡集。

 ときどき、日本からメールを貰うでしょ?日本語で。これがねー、なんていうか、ちょっとしたことなんだけど、深いんですよ。日本語に飢えているってだけじゃないみたい。たぶん、日本の人が、良いんですよ、多分ね。うまく言えないけど、その良い感じが、私の中に詰まっている幸せをつつくんだな。ふだん黙って寝てる幸せを起こして「なーんか幸せだなぁ」と言わせてくれる。「良い感じに生きてる人がさり気なく回りにいてくれていいなー、なんか幸せだなー、有り難いなあー」と。


 あの日もなんでもない普通のメールを読みながら「悲惨なこともいっぱいあったけど、私はとっても幸せな人生を送っている気がする。」としみじみ思っていたら津波が来た。だからといって壊れてしまう幸せではないみたいです。幸せとはいったいなんなのか・・・。


 

【ユミコジから兄貴へ】

 おおーむ、兄貴、無事で何より。今年あたり地震来るって皆予測してたけど、細かい場所を特定するには日本は小さすぎたよね。衝撃でした。スワミジと一緒にずっとテレビ見てた。実家は何とか大丈夫だったよ。でも未経験の大きな揺れだったって。

 問題は原発だよね。○○も、××ちゃんも国外退避・・・って、わかる気がする(笑)。でも兄貴もいよいよ危ないと直感したら迷わず逃げてね。健康な体あっての人助けだから。アンボリはいつでも兄貴の受け入れ体制万全だよ。

 でもさ、これって世界が核を諦めるときが来たってことだよね。警告というかね。原爆もそうだったけど、日本は常に平和の発信源だね。すごい事だと思います。大変な時期だけど、日本がそれに耐えられるからこそ与えられた受難だと思う。改めて日本人を誇りに思うよ。アシュラムで外国の人と接していると特に(身にしみます)。

Om Namo Narayanaya



【兄貴からユミコジへ】

 ナマステ!先週ぐらいまで仕事が無くなって、どこかに逃亡しようかとも思っていたんだけど、被災者の声や支援している人たちを見ていると、そんな思いをもった自分が恥ずかしい。あまり日本が好きじゃなかったけどみんなを見ていると日本人は素晴らしいとつくづく痛感させられてるよ。初めて日本に生まれて良かったって思った。日本も廃れたものじゃないなって思う今日この頃だよ。

 まだまだ不便なことはあるけどインドにくらべりゃ全然便利な社会だよね。トイレも(お尻を)水で洗ったり、キャンドルで(夜を)過ごしたり、何気にいい感じのこともあるよ。

 なにも出来ないけど、今は日本がひとつになって頑張らなきゃいけないと思うから、できるだけ自分なりに頑張ろうと思って。最後の最後にはアンボリ村にでも行ってビューティーパーラーでも開こうかな。

今は祈るしか出来ないから祈ってます。
Om Namo Narayanaya
Om Shantih Shantih Shantih


【ユミコジ心の声】
兄貴、なんか大人になったねー。うるうる。でももとから兄貴はこういう人だったんだよね。勝手に掲載して御免。私の高校のときの先輩もこんなこと書いてくれたよ。

「こんなときこそ落ち着いて普段どおりの仕事をしなくちゃと思うよね。」

 これはなかなか渋い発言ですよ。さすが先輩だなー。先輩は何か渋かった、昔から渋かった。落ち着いて普段どおりの仕事をする。とても当たり前だけど、なかなかどうして難しく、しかし超重要なことでしょう。地味なんだけどね、それぞれの持ち場を、それぞれがこなすことで世界ははじめてまわる。そして今日も私は思った。私はやっぱり幸せだなーって。




  著者近影(左)「二人のSita」

2011年3月24日木曜日

追記

「かかと削り」
 唐突にはじめちゃいましたけど、インドにおいて、女子としてこれは必須でしょう。男子の皆さんも、かかとが硬くなったあかつきにパカッと割れると大変痛いので、日々のお手入れが大切です。


「ティートゥリー精油」
 オーストリラリアとかに沢山生えている、ソフトな針葉樹みたいな木の精油。昨年腕に、コイン大のカサカサの湿疹が出たんですな。乾燥かハタケ(懐かしくない?)かと思って一生懸命保湿に努めたのだけど、直るどころか、転々と増殖しまして、何週間たっても消えてくれない。これはもしや・・・・銭タムシ(真菌)では?ということで焦りましたよ。保湿クリームやめて、ティートゥリーオイル塗ったら三日で直った。こやつのすごいところはですね、細菌、真菌、ウイルスのすべてに抵抗できる力を持っているということですね。私は行動が粗雑なのでインドでもよく流血します。そんな時にはこれを塗っちゃうよ。あと喉の奥に感染を感じたら、オイルを一滴垂らした水でウガイしてます。ただし飲まないように。








↑これこれ、このようにS字フックは役にちます。普段はたたんでスタンバイしているマッチャルダーニ=蚊帳を、ワンタッチでポイッ。素敵でしょ。↓








 アシュラムで生活するということは、(映画かなんかの影響でか)なんだかとっても素敵なことみたいに聞こえるけれど、実際問題(特にアシュラム側の人間になるのは)生易しいものではないんだなーと思う今日この頃。お得意の「気の持ち様」ってやつで、に楽しく暮らしているけれど、本当は、実は大変ですよ。世界中から、「アシュラムに行けば、私を悩ます問題から逃れられる。アシュラムにいけば、アシュラムの人が何とかしてくれる。」という見事な誤解をした人が沢山やってくるしね。またアシュラムのスタッフになれば、社会生活の苦しみからエスケープできる、と思ってる人も沢山。でも、だからからこそ修行としては、最高ではあるかも。

 場所じゃないでしょう。場所があるのだとしたら、「自分」が場所だよね。


またね。


Sita

2011年3月22日火曜日

私がインドに持ってくるもの。

・・・について、突然語ってみたくなったので、そういうことで宜しくお願いします。ジップロックとかはもはや一般常識でしょうから、私が個人的に気に入って携帯しているものを書き出すね。


「無印良品の洗える携帯スリッパ」
 インドでは日本と同じで家の中では靴を脱ぎます。脱がねばならない。しかし、家の外でも裸足に限りなく近いのよね。私の足によって床が汚れるので、足を洗った後はいつもスリッパ履いてます。そのスリッパもすぐ汚くなるので、洗えるってとこ、ポイント高いのよね。


「電気ポット」
 基本的に、私はインドで放浪はしてません。アシュラムに住んでる。ということで朝晩、熱いお茶などすすりたいのですな。以前はコイル型のヒーター(コップに突っ込むやつ)を使っていたけど、これがクジ引きみたいなもので、運が悪いと一回で壊れちゃう。日本製のものを使ってみても同じでした。なので、今回から400mlの小型ケトルを持ってきたよ。


「小ボトル」
 これはですねー、鰻の蒲焼のタレとか、信玄餅についてる黒蜜とか、あるいはカブト虫にあげる樹液とかを入れる小ボトルですね。いわゆるお弁当の友です。移動のときに、残り少なくなったシャンプーやらオイルなどをこれに入れ替えて動くと、荷物も小さくなるし、便利。インドの容器って基本的にしまりが悪いしね。


「S字フック」
 これは必須でしょう。何でも引っ掛けられるよ。ついにこちらも暖かくなり蚊が増えてきたので昨日、蚊帳を買って、壁に釘を穿って釣ったのだけど、S字をですねー、効果的に利用して、システマティックな蚊帳になりましたよー。


「エコバッグ的な小バッグ」
 S字とコンビですねこれは。箪笥がなくてもS字に小バッグ達を引っ掛けて、箪笥代わりに使います。


「紐」
 これは持ってくるというよりは、ついつい収集してしまう。で、蚊帳をつるときなんかに役立つのよね。私の洗濯紐は、登山用の細引き(5メートル位)だけど切って使い捨てちゃうのには勿体無いから、どうでもいい紐コレクションが役立ちまーす。


「ウェスト用のゴム」
 ズボンの紐をゴムに代えます。するっと脱ぎ着が出来て便利。ゴムに取って代わられた紐が、私の紐コレクションになるというわけ。


「寝袋(羽毛)」
 こいつとは、ここのとこいつでも一緒ですよ。昔はブランケットを携帯してたけど、二年前から軽量化の為に奮発してダウンにしました。日本にいても大役立ちだよ。



 ざっと、こんな感じかな。あ、最近は家族の写真とかいつも持ってる。こうして元気でいられるのは、家族の存在があってのことだしね。また思いついたら書こうかと思います。スワミジは私を置いて南に行ってしまったので、シータマタジになってます。クラスとサットサンガと、レクチャーの日々ですが、自分の英語がほんとに情けない。でも、まあいいや。私の知ったことではない。うははははは。


お茶の時間だ、行かなきゃ!ではまたね。

2011年3月20日日曜日

母に願いを。

 昨夜は満月でしたね。なので、私達は母なる女神に捧げる儀式を行いました。仲良しである司祭のサジットはマドライに居たときに最初に出来たお友達ですが、私は彼の儀式が大好きです。どう好きかというと、とてもキレイなの。キレイというか、清い。今までに見てきた数あるプージャの中でも飛びぬけて清浄です。それが彼の儀式の個性でしょう。日頃彼がどれだけ浄化に努めているのか、手に取るように分かる。ありがたいことに、今、彼がここに居てくれて、スワミジの無茶振りによって、毎朝、毎朝、ガネーシャのホーマ(護摩焚き)やってます。ガネーシャは障害を取り除く神様です。ということで、私は今年に入ってから、もう軽く20回くらいプージャをやってることになり、ありがたき異例。スワミジは何も言わないけれど、多分、今回の津波に始まる一連の不安に対しての決断だったんだと思います。





 こないだ、スワミジが言っていたのだけど、火に触って火傷した人が火に向かって怒ることは無い。確かに、私達は誰かにぶたれたら、その人に反発心を抱くし、時には殴り返そうとするけれど、地震を起こした地殻に恨みを抱いて、報復を企てる人がいたら、その人が何らかの不具合を抱いているってこと、みな分かるよね。人は知っているんです。私達が大自然の営みを手中に収めることは出来ないってことを。なぜなら、私達は母なる自然の懐に抱かれている子供だから。


 では、私達になすすべは無いのか?いったい何が出来るのか?祈ることしか出来ない。でも、祈ることが出来る。これは大きなことだと思います。

 お母さん、私達の過ちをどうぞ許してください。
 お母さん、私達を守り、育んでください。
 どうぞ、あなたの子、この「世界」を癒してください。
 

 そういえばいつだって、叱るのも母、慰めるのも母でした。

 私達の祈りが、メッセンジャーであるサジットの儀式に乗せて、世界に届きますように。でも、届くも届かないも、本当は無いんだよね。だって祈りは調和そのものだから。私もあなたも、どこもかしこも、本当は離れてなんか居ないんだから。祈りとはすなわち全体。そして私達は祈り。



 さらに、昨日は私の苦手なホーリーでした。用心してどこにも行かず、じっとしていたのに、灯台下暗し。キッチンブラザーズと子供達にしてやられました。顔はドロドロ真っ赤っか。頭からバケツいっぱいのターメリック水をぶっかけられ。でも、ホーリーって、ただの馬鹿騒ぎと思っていたら、バーラクリシュナの祭事らしいですね。色粉や水をかけあうのにも意味があるのだそうです。そういうことなら、仕方ない。許す。じょうろで洗ったらだいぶキレイになったしね。

 また、人間である以上、いつか必ず、お別れしなくてはいけない私達だから。






 
でも、きょうだい・・・


来年みてろよ!(おとなげ無い?)


またお便りします。


しーた

2011年3月15日火曜日

Amboli より愛をこめて。

 皆さん、特に日本の皆さんはいかがお過ごしでしょうか?いろいろと不自由なことが次々とあるとお察ししますが、どうぞ、心の冷静を保たれますように、お祈り申し上げます。


 アンボリは今日も天気ですが、さっき、突然の突風が吹いて、また去っていきました。このような時に慣れないことが起こると、ドキッとしてしまう自分がいます。


 このあたりでは計画停電のみならず、突発的な長期の停電も恒例のことで、(ポンプで汲み上げていますから)水が出なくなることにも慣れ、ご飯のための食材も週に一度だけ立つ10Km先の道端市場に買いに行かねばならない。そういったことにはすっかり慣じんでしまいました。毎日二回のご飯が食べられて、寝る前に水を浴びられることは、ここでは、とってもありがたいことなんですよね。。。。類は友を呼ぶのか、私にはあまりお金持ちの友人がいないので、家に泊まりに行くというと、床にゴザ敷いて、ネズミに齧られないように全身をシーツにくるみ(狭いから女同士なのに)密着して眠る、ということもまま有り、トイレは裏の丘です!というのにも慣れました。でも最初のときはショックで、ガッツリテンション下がりましたけどね。やり場の無い不機嫌みたいな気持ちがしばらく、心の底にくすぶりました。


 被災時にめっぽう強いだろうと思われる私が、今日本にいないのは皮肉なことですが、私は、トイレは野天なんて、お尻を手で洗うなんて、硬い床で寝るなんて、「ありえない!」といういつの間にかの拘りというか、リミテーションを、ひとつ手放すごとに、なにかを許せた気がします。怒りを手放せた気がします。自由になれた気がします。良いときにも悪いときにも、感情や状況のその奥に流れる絶え間ない幸せが、私の存在を支えてることに気づけた気がします。インド人に教わったことは大きすぎる。


 インターネットにも制限があるし、Facebookやメールでの皆さんとのコンタクトが十分でないことに、肩身の狭い思いで気持ちでいっぱいですが、私に繋がるすべての友、すべての人、すべての物へ気持ちが伝わってくれたら幸いです。幼馴染のカマやん、私の代りに、ぜんぜん知らん人に、私の無事を知らせてくれてありがとう。




 スワミジが私のことをシータマタとか、シータマと呼ぶので、すっかりお母さん色が定着してしまった私ですが、こちらのディレクターのヴェーダーンタキャンプも終わり、明日からまた私達のプログラムが始まります。忙しくなります。。。が、TULASIが去り、来週にはスワミジも暫く出かけてしまうので、文字通り、このアシュラムのシータマタになってしまう。なんてこと!寝る間も無くなる!といいつつも、なんとか一人で切り盛りするのでしょう。機嫌よく生きるか否かは、多分自分で選ぶことなんだろうし。

 この三ヶ月間、たくさんのCome and go を定点観測してきましたが、もう少し根詰めて眺めていようと思います。津波以来、鴨長明の方丈記を思い出す日々です。どうぞ皆もCeerfulに暮らしてね。悲観は雰囲気、楽観は意思だって、誰かも言ってたから。これってすごい発見だよね?

またね。


シータマタより

2011年3月13日日曜日

Om Namo Narayanaya

 日本の震災と津波に際し、被害に遭われた皆様のご無事と平穏を強く願うと共に、お亡くなりになられた方のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

 東北、北関東沿岸部の生徒の皆さんはどうされているでしょうか?私の実家は茨城なのですが、この大事なときに、インドの携帯電話とインターネットのコネクションの不具合があり(インドではよくあることなのですが、自分勝手なことに)大変やきもきしてしまいました。

 地震発生から一日半たった昨夕、ようやく、別の回線を得て、家族と話すことが出来ました。わざわざAmboliまで電話をくれたMahalakshmi、スワミジ宛に電話をくれた別のMahalakshmiはじめ、心配してくださった方々に、両親の無事をご報告させてください。そして住所不定の私の安否を気遣ってくれた友人達にも、私が元気であることを。

 ドバイにいらっしゃるスワミジのお兄さんが、いち早く電話で知らせてくれたので、昨日から、スワミジと共に痛ましいニュースを注視していました。いつかは起こる事とわかっていたし、起こってしまった事実を変えることは出来ないって事も、重々理解していつつもりでしたが、胸の痛みを抑えることは出来ませんでした。(私も、当事者の方にしてみれば家族の無事を確認できた吞気な他人の一人なのかも知れないけど)、為すすべもなく亡くなられた方の無念、ご家族や家を失われた方の悲しみは、やはり私自身の痛みにも違いないからです。この痛みと悲しみが、なかなか拭えずにいます。

 
 家族も家もいつかは無くなるもの、普遍のものではないとわかっていても、痛みは痛みとしてそこにある。これもまたリアリティーです。原発の爆発したこともまたリアリティー。

 
 天災を前にして、やるせなさ故に、何かを.....吞気な他人や、政府や.....を責めたくなるけれども、本当に大事なことは、この痛みと現実に、果敢に向き合うことなのかも知れません。そして全体を見ること。どんな苦境にあっても精神的近眼になってしまっては、そこに解決策は無いような気がしています。また私達のような職業の者にとっては、他の痛みに共鳴できるということは、大事なことであるのかも知れません。


 ここ数日、Amboliではウッダヴァギーターの講義が進行中です。ブラフマが息子の質問に答えられず困った場面を、先生がこのように解説していました。「為すすべのない、ヘルプレスの時に出来る唯一のことは祈りだ」と。ブラフマの胸の内の祈りはクリシュナに届いて、クリシュナは白鳥に姿を変えて彼を助けに行きます。ちなみに助けに行くということは、教えに行くってことなんですね。痛みや悲しみの向こうにある普遍の真実を見せる為に。
 
 日々お寺に赴き日本の為に祈って下さる、Vedanta Camp の先生、生徒の皆さん、私の友人である司祭、Yogi、Yoginiに、この場を借りて、心からありがとうございます。



一日も早い復興と、私のふるさと日本の精神的成熟を祈りつつ

Om shanti shanti shantih

Sita

2011年3月1日火曜日

つれづれに思うこと




 Hari om、みなさま。

 ごきげんいかがですか?こちらは例によって、いつもどおりごきげんです。


 スタッフにとって怒涛のごとき一ヶ月のコースが終わり、またスタッフにとってノンビリモードの二週間のコースも中盤。二度目の来訪だったthe happiest person、Swami Tattvarupananda jiが、昨日ケララに帰っていったので、駅までお見送りに行きました。スワミジの(たぶん無免許)運転で(ひえー!)。そりゃもう、クリシュナを御者に得たアルジュナ気分でしたよ。贅沢!


 スワミジの、インド人としては激レアな安全運転の車に揺られながら、いろんなことを思っていました。そういえばタットワルーパジと出会ってから、いつしか6年目、35歳だった私は、40歳になろうとしている。こんなに近しくご縁が続くことになろうとは、あの時は思いもよらなかったのに、縁とは本当に不思議なものです。


 私の親分というか、おそらく師匠ということになるSwami Govindanandajiに会ったのは、それよりも二年近く後で、スワミジとも、以来、ガタゴトと、たくさんの道中を共にしました。Delhi-Haridwar-Rishkeshi-Uttarkashi。Gangotri-Uttarkashi。そしてGoa-Amboli。スワミジの下で暮らすのは、今回のタームを終えると述べ6ヶ月くらいになるのでしょうか。人生の中の6ヶ月というのはほんの一瞬で、一瞬だからこそ、どれだけ貴重な時間なのかが、身にしみる思いでいます。そこにはもちろん私自身の決断もあるのだけれど、そんなのは1%程度もので、この稀なるチャンスに恵まれることを、大いなる意識の恩寵といわずしてなんと言えましょう。果てしない大地の中に輝く、一粒の宝石のようなものです。



 Come&Goの生徒さんや、出会ってはすれ違っていくグルバイ達との時間は、6ヶ月どころかもっと短くて、まさに一期一会の、うっかりすると見失いそうな小さな小さな石のよう。それでも6ヶ月の宝石と同じ輝きを持つ、なんら変わらぬ存在。日本から、そして行ったこともないような世界中の国から、広い地球の一点にポツネンと転がっている私に出会ってくれたことに、心から感謝しています。



 人生において自分にとって必要な人にきちんと気づき、アプローチできて、そしてちゃんと一緒に居れるように、日頃の行いの中で精進して、無数の選択の中で決断していかないといけないね。もう今生に間に合わないというのなら次があるし。そういう点では、私にとってこの人生は大変に上々であったと思う。みなさんが、一緒にいるべき人と、出会えるように、そしてちゃんと一緒にいれるように、願っています。




 先日TTCを終えて、今コースに出ている生徒さんが、「Sitaは毎日忙しくて大変ね。でもこういうボランティアワーク好きでやってるんでしょ?」というのでちょっと答えに困った私。えっ?馬車馬のようなタダ働きを好きな人なんているのだろうか?ちょっと考えたあと、「うーん、ワークが好きっていうか(苦笑)。私はスワミジの教えが好きでここにいるだけ。」と答えました。でもその答えも適切ではなかった気がするんだな。そもそも、カルマヨーガのアティテュードってのは、好きとか嫌いとかを超えた次元にあるようなものだし。でも、彼女にはうまく伝わらなかったように思う。でも、いつかわかってくれたら、私はなんだか嬉しいです。だって、そしたら生きることがとても楽になるからさ。好きも嫌いも、良いも悪いも、全ては、現れては消えてゆく姿。その向こうにある、決して消えない光が私達であることを、いつか。