2009年12月18日金曜日

みんなのQ&しーたのA

クリスマスですね。クリスマスメールが続々と届きます。写真は阿波踊りが大好き、カルカッタ出身のシャンカラさんから、プレゼント写メールです。キレイですね、ありがとう。さて今回はプライベートなシーンでの質疑応答なので、かなり個人的で率直なアンサーですが、インタビュー記事と思って軽く流してください。

Q. 以前シータさんが「ATTCに行くなら、TTCから三年後に行ってごらん」と言っていましたが、どのような意味あってのことでしょうか?また、ATTCによる自身へのメリットとは何だと思われましたか?



A. TTCで教わるのは教え方というよりも実は「今後しばらくの練習の仕方」なんですよ。その心構えで3年練習したらその頃には次の課題に耐え得る心身の準備が出来てるってことです。3年てのは単なる経験則で、人間の場合、物事が身につくのに3年かかるな~って気が、私はしてるんですね。地球上で我々には、時間や肉体などの物理制限がかかってるし、或いは植え付けた酒種が醸されるまでの3年間・・・。
 実際に私の友人のMは(すでに良い先生だったはずですが)TTCの翌年に行って「しまった~」と思ったそうです。理解の為の土壌がまだだった!って。正直者ですね・・・、要は良く自分を理解されてるんですよね、彼女は・・・。逆に私にとっては「教え続けた3年の経験が全て繋がった」実にオイシイATTCでした。

 資格なんて行けば誰でも取れるんです。だからディプロマは先生の実力を示す物ではない。なので資格がATTCのメリットとは言えません。信念を持って耐え忍ぶ3年間の繰り返しこそが、実は先生達のエクスカリバーだと思う。

 まあ3年とも限らないんでしょうけど、仮に3年同じモチベーションを持ち続けれたらすごいぞ…って基準とも言えます。3年その思いを持ち続けてベタに頑張り続けられるのかと。実際はTTC行って気持ちが盛り上がっている内にATTC行って、肩書き貰ってハイ消えたの世界ですからね。しかし石の上にも三年なんて、日本人はよく言ったものです。


 結局ATTCは次の練習課題の授与であると同時に、TTC後にどう信念を持って、どんな心の経験を経て生きたかを確認する場だとも言える気がします。 冷めない鉄であればATTCなんていつでもいい気がするし、逆に冷める鉄だったら急いでATTC行っても意味ないとも思えるんですよね。これが正直な私の意見ですかね。何かをtakeしにいこうすると、何もtakeできない、そういう場所なような気がしています。結局、何を手放していけるか、ってことなのかな・・・。なんか舌切雀のお話みたいですね。