みなさま、新年あけましておめでとうございます。
昨年も、みなさんには本当にお世話になりました。
遠く離れて会えないみなさんにも、私の勇気をしっかりと支えて頂いてました。
本当に本当にありがとうございます。
2018年も、みなさんにとって、幸多き、学び多き一年になりますように。
私も頑張ろう。
新年の御祝に、何を書こうかな、って思っていたんだけど、昨年からペンディングにしていたことを書こうかな。
ってことで「巷に溢れるヴェーダーンタを探せ!」
昨年も、渡航前に慌てて一人カラオケに通いまくっていたんだけど、
椎名林檎の「ありあまる富」という曲の歌詞の一部をシェアしましょう。
以下引用。
彼らは奪えないし、壊すこともない。
世界は、ただ妬むばかり。
もしも、彼らが君の何かを盗んだとして、
それはくだらない物だよ。
返して貰うまでもない筈。
何故なら、価値は生命に従って付いている。
彼らが手にしている富は買えるんだ。
僕らは数えないし、失くすこともない。
世界は、まだ不幸だってさ。
もしも、君が彼らの言葉に嘆いたとして
それはつまらないことだよ。
なみだ流すまでもない筈。
何故ならいつも、言葉は嘘を孕んでる。」
私たちの真価は何ですか?
私たちの正体は何ですか?
私たちの本質は何ですか?
放っておいてもいずれ死ぬ者同士が殺し合いをしたり、
仮想の価値を上書きしただけの紙っぺらを奪い合ったり、
追いかけても追いかけても逃げていく、
蜃気楼のようなものに縋って縋って纏わり付いて、
それだけで人生を終えるなんて、時間の無駄っていうか、徒労。
存るものにちゃんを気付いて、「存在」を生きられたら、それを幸せというのかな。
昔、知り合いのおばちゃんが私に教えてくれました。
「愛とは、理解と信頼です。」
若かった私は、すごくアホで、蜃気楼を追いかけることが愛だと思ってたからさ。
今にして思う。
この世界を生きるということは、人生を生きるということは、
理解すること、そして安心、すなわち信頼なんだよね。
生命は愛だなあと。
その安心は、何かに依存している価値ではなくて、自らによって明らかな安心、理解の現れだと思います。
巷にいう自己実現という言葉は、その「理解」のことであるべきでしょう。
自分が届いていない何かになることでは無くて、
自分の真価に還ること。
私もね、こうやって、あれこれ書いていますけど、やっぱり言葉には限界があるんですよ。
だって言葉は知性によって操られる道具だからね。
知性の向こうのことは表せないからね。
「言葉はいつも嘘を孕んでる」とは、よく言ったもんだね。
それでも、こうして綴る言葉のひとひらが、知性の向こうに続く、ヘンゼルとグレーテルのパン屑みたいなものになったら、いいなと、思っています。
私は言葉が好きだからさ。
だって、言葉はいつも、儚く、脆く、そして美しいから。
今年もワクワクする一年になるんじゃないかな。
みんなと一緒に、何かをしよう!
その時はどうぞ、私を助けて下さい。
本年もどうぞよろしくお願いいたします!