2013年11月15日金曜日

時間と空間を越えて


Om Namah Sivaya,
dear students,

お元気でお過ごしですか?
インドに到着してから二週間が発ちました。

スワミジのもとでお手伝いするのも今年で4年目。私もスワミジもゴパールジボーイズも、皆元気です。

ここヴァルカラにくるのも三年目。もはや「ただいまー!」という感じで、日本とインドで二つの人生を生きているような不思議な気持ち。三年間はあっというまに過ぎるね。

それから、私は四年前よりも、もっとずっと強くなった。半年のブランクがあるからギャップが分かりやすいのでしょう。


意味深い出会いと別れの日々の中で、本当に稀有な時を過ごさせていただいてます。



ここ一ヶ月くらい、私は、生きることと、それから生きることが終わること、つまり我々の持つ「時間」について考えてる。

いろいろな出来事が重なったのせいではあるが、出国直前に、若いM君の末期ガンが発覚したと聞かされたのが大きかった。


いつもは眼光鋭く神経質そうに見える彼だが、5年位前にリシケシのアシュラムに会いにいった時、笑顔がヘニャヘニャで、笑っているのに泣きそうな感じに見えて、なぜかとても可愛く、とても愛おしく思ったのが印象的だったんだ。

そして内心、私は照れた。気安い仲ではないので、もちろん、そんなことは本人には言えないし、伝えてはいないけど、小さな弟みたいな感じ。本当に可愛かったんだよな。


さらに一昨日、追い討ちをかけるように、東京で活躍されていたムトウユージ先生の訃報を知りました。何回かクラスに出させていただいて、電車の中で少しお話したことがある程度だけど、身体能力の高さに奢り高ぶらず、とても謙虚で優しい、真摯な方でした。やはりガンだったそうです。


ガンてどうしてなっちゃうんだろう。こんな若い体に、どういう理屈でそれが起こり得るんだろう。


昨日11月13日は、今シーズン三回目のプージャ(儀式)だったので、私はスワミジに二人へのご祈祷をお願いしました。ユージ先生の安らかな旅立ちをお祈りし、気づいたら猛烈にM君のガンが消えますように、と心の中で繰り返してた。


ターミナルキャンサーが消える?


現代人にとって、そんな奇跡は現実的ではない。それは私にとっても同じこと。M君の近い将来の「死」を見据えていたのは私だけではないだろう。

なのに、前頭葉に力を込めて、強く強く強く、「生きて」と念じてしまう私がいて、びっくりした。

強く強く強く、神様を信じてた。


考えたところで、何か納得のいく答えが浮かぶわけではないので、これといった結論はないのだけれど、全ては私のエゴなのでしょう・・・。




出会ったら必ず別れがある。この世に現れている全ての名前と形と役割は、消え行く宿命だ。スワミジと過ごせる時間にも、ゴパールジと一緒に居られる時間にも、リミットがある。


それでも私は、生き生きと生きる。悲しいことがあったとしても、悔しいことがあったとしても、幸せに生きる。だって、人生において、それ以上に大事なことは無いように思える。


ユージ先生、ありがとうございました。みんながあなたを好きでした。安らかに源への旅路を辿られますように。心よりご冥福をお祈りいたします。


 त्र्यम्बकं यजामहे 
सुगन्धिं पुष्टिवर्धनम्
उर्वारुकमिव बन्धनान् 
मृत्योर्मुक्षीय मामृतात् ॥



届け、祈りよ。

2013年10月31日木曜日

雨にも負けず、風にも負けず。

あああ~!

本当に更新が遅れて、遅れて、遅れまくってかたじない。

今年は地味な趣味であるブログ書きもままならないほど、忙しかった。

・・・とはいえ、我ながらやりとげた感はありますね。計算してみたら、6月からの5ヶ月間で、延べ140時間もヴェーダーンタの講義をしていました。喋って喋って喋りとおした夏でした。

私にとって、これはものすごーいトレーニングになっているのですよね。

地方は特に突貫って感じのスケジュールのクラスもあって、1日6時間も話を聞き続けることはキツイ。それなのに、ついてきてくださった皆さんの根性に感動しました。

ほんとうにありがとう。数年後にはこれを英語で出来るようにします。



それにしても、脳ミソがどれだけ燃料を食うかってこともよーく分かった。

他のどんな運動や仕事と比べても、一番エネルギーを使うのは講義なんですよー。

期間中そばにいらした方は、私の食べる量と回数にびっくりしたでしょうね。

私は普段は朝は食べないので、その感じで朝食で気を抜いていたら、午前中のうちにガス欠でクラリ・・・という場面もありましたね。




とにもかくにも、生徒である皆さんあってのティーチャーですから、皆さんには本当に感謝です。特に地方の方には私の交通費を負担していただきまして、ありがとうございました。


しかしインドにいるよりも忙しい感があったのですが、彼の地でブツクサ言っていた私には良い心の訓練となりました。

あちらに着いたらのんびりとした気分で、この夏の出来事をブログに綴ることができましょう。


さて、この夏の集大成といえばタイのリトリート。諸事情により開催が危ぶまれた今回ですが、女神が微笑んで、今年も大成功となりました。

このリトリートの醍醐味の一つはですね、ひろみ先生作詞っていうかパロディーによる日本語のバジャンがあること。今年は新曲が二曲も出ましたからねえ。

そのひとつがアンパンマンの替え歌だったのだけど、我々が声高らかに「アンパンマン」ならぬ「アンジャネーヤ」を歌い上げているころ、作者のやなせたかしさんがお亡くなりになっていました。

帰国してニュースで知ってびっくり。やなせさんのインタビューの映像が流れてきたので、納豆の糸もそのままに、お箸を放り出してメモを取りました。


ざっとこんな感じ。


座右の銘はアンパンマン。

アンパンマンは自己犠牲で人を助けるの。

俺もそういう風い生きてきたつもり。

人を喜ばせるのが好き。

世の中ってのは、もともとまともじゃないんだよ。

その中でどうやって生きるかってことだ。

人を喜ばせることがそれなの。

アンパンマンはね、世界のヒーローの中で一番弱いんだよ。

雨にぬれるだけで駄目になっちゃうんだから。

でも勇気を振りしぼって人を助けるんだ。





そりゃそうだよねぇ、パンだから水はちょっとねえ・・・。

そして、見てちょんまげ、このボロボロのマント。

アンパンマン、ありがとう。

かっこいいね。

雨にも負けず、風にも負けず、私はアンパンマンになりたい。

私の脳ミソもいっそのことアンコだったら良かったのにね。


さあて、行って来るよ。

インドで会おうね!


Om tat sat

Sitama



2013年10月5日土曜日

あたしのあした


プールのほとりで、これを書いています。他の宿泊客がチェックアウトし、もうすぐ日本から、リトリートに参加さる方々が続々やって来る。

束の間の静寂です。

ここはタイはチェンマイ郊外のハンドン。私はHIV母子感染の孤児の為の施設、であるバーンロムサイ所有のゲストハウスにいます。

ここのプールは気持ちいいんだよー。誰もいないプールであまちゃんのように自由に泳ぐ。よろこび。

半年かけて消えていったクラビーでの日焼けのあとがまたクッキリと浮く上がってきた。

昔は、太陽の下が嫌いだった。日焼けも嫌い。海も嫌い。泳ぎも嫌い。大勢での賑やかな時間も苦手…これは今もか…。とにかくこだわりが強すぎて、いろんな好きと嫌いが私の生活をがんじがらめにしていました。ま、夜ライブハウスやクラブ演奏するミュージシャンとしてのイメージっていうの?文学してたしなあ。


こだわりを取っ払ったら、なんだか歓ばしくなった。魔法が解けたように全てがなんだか、すごい綺麗になった。自分と少し近づけた気がする。

歓ばしいなあ。

昨日ヒロミ先生が

やっぱ究極の自己満足だよ!エガちゃんが言ってた。エガちゃん最高!


と言ってたけど、自己を満足させられなくて、どうやって他人を満足させられるかってことよね。自己が満足そのものであることを知ってる人は、自分の幸せが涸れない泉であると知っている人は、自己犠牲なんて言葉使わないんだよ。だって涸れないんだもん。

プールで鰻のように泳いでいたら昨年よりも疲れを取るのと気持ちの切り替えが上手になってるのが解る。この体の感じ。気持ちいい体の感じ。よろこびも悲しみも痛みも怒りも、全部ひっくるめて生きてる感じ。これが綺麗なんだよ、きっと。

孤児院では村人との交流卓球大会が開かれており賑やかです。さあ、今年のリトリートも頑張るぞ!


2013年9月29日日曜日

I love me !

これは何かと聞くならば、まあ岩石好きの私のことですからお察しの方もいらっしゃると思いますけど、水晶を清流にさらしているところ。きれいでしょ?疲れると鉱物、植物、動物との触れあいを欲してしまう私。



ところで、超、超、超久しぶりに書いております。いつも楽しみして下さっている皆様、すみません。そういう本人も、書くのが好きなのでちょっと寂しかったのです。

いやはや、今年は飛び回りましたね。しかしWiFi ルーターなどを所持して移動中までお仕事やらブログやらをするのは野暮ってもんだで、すっかりご無沙汰してしまいました。

目まぐるしく駆け巡った夏に沢山の方と出会い、あるいは再会し、沢山の方と密度の濃い時間を共に過ごし、本当に本当に沢山、勉強をさせていただきました。ヴェーダーンタのことも、毎日毎日、喋って喋って喋りまくった。


この夏設定したクラスのひとつひとつが、静かに幕を降ろしていきました。秋の風に思わず襟を掻きあわせる帰り道、坂の上に立った私はスカイツリーを発見。こんなに遠く(多分30km近く)離れているのに、見えるんだ、大きいなあ・・・というより、もうすぐこの家ともサヨナラって時に、初めてこの景色に気付いた自分に少しだけ、悲しくなりました。


余裕の無さ。


それで、昔のことを思い出した。


22歳の時、当時のボーイフレンドの卒業式におめかしして出かけて行った私。
友人や彼と談笑している時に誰かが言った。

「あれー、ドラ(私の呼び名)左右の靴が違うよ。」

ん?

あーっ!!

猛烈に悲しくなり誰も居ない学食に飛び込んで号泣。そこらに置いてあった一升瓶をラッパ飲み。

「あ、こらこら、女の子がそんな飲み方したら・・・!」

オロオロする通りがかりの人。

恥ずかしかったとか、そういうことでは無かったんだ。靴なんて左右違おうが頭に履こうが、どうでも良いことなので。

その頃、私はとっても疲れていたのですね。仕事のことで。左右違う靴を履いて出ても気付かないくらい余裕を失っている自分にショックだったのです。


泣いて泣いて泣いて、飲んで飲んで飲んで、私は胸に誓った。


「こんな風に自分を悲しませてはいけない。」


千歳飴色の襟もとに藍色のコサージュ。酒瓶を逆さに掲げ泣いていた、可哀相な人。



だから、今の私も頑張りますけど、ちょっとありえないようなオーバーワークもしますけど、でも自分を大事にすることは本当はちょっと得意なんだ。

マッサージや治療にいくと、いつも褒められる。

今年発見してしまった、京都のゴッドハンドも言っていた。

「本当にいい体してますねー!良い筋肉、良い内臓!こういう人はヨガの先生でもあんまり居ないんですよ。自分を楽しませることが上手なんですね。どんなに過労働でもご飯を楽しい気持ちで食べられてたら、それでいいんです。」

そうなんです。事務も、メールの返信も押せ押せだけど、いいのよ。ふはははは。自分を喜ばせる力が最終的には大切なんだと思う。いざという時に強い人でいるために。左右揃いの靴で、すぐに駆け出せる人でいるために。

そういう訳で私はパケットし放題でも、Pocket Wi Fi でもありませーん。悪しからず。お許しをば。

スカイツリーのことはドンマイ!これからは毎晩見たらいいじゃない。


また書くよ。






2013年8月9日金曜日

8月9日に寄せて





この写真、なんだかわかりますか?

いまから68年前の8月9日、長崎市松山町に投下された原子爆弾の、その爆心地です。爆撃後、瓦礫が撤去されてから、誰かが杭を立てたのでしょうね。これは祈念館に展示してあった写真を写真にとったものです。


私は大阪・神戸のプログラムの後に、長崎を訪れていました。目的は、遠藤周作文学館と、原子爆弾の被害者の方への追悼です。



遠藤先生は、私の通っていた学部で行われる文芸学会に、ゲストスピーカーとしていらっしゃいました。当時、私はバカ生徒だったので、いつもなら欠席するところだけど、その回は親友の小説作品が大賞を取ったので出席したのです。

そもそも、私の遠藤周作へののめり込みは、大庭教授というオジさんが、授業の課題に「おバカさん」を選んだんだことに始まりました。遠藤作品は幅広いので子供の頃から読んでいましたが、「おバカさん」の深さにすっかり虜になってしまった。これについて喋り始めると日が暮れるので、またにしましょう。

文学館の建つのは「沈黙」の舞台になった外海の崖の上。



 あの学会の時の先生のお話を、まだ鮮明に覚えています。思えばあの時、既に「深い河」の構想と苦闘されていたのでしょう。お体も宜しくなかったのかも知れません。そんなことを感じさせない語り口で、女子学生達を楽しませて下さった。

遠藤作品の中の、ある普遍性に私は惹かれているのです。その普遍性を私は今、追求し、伝える仕事をしているのです。





翌日は、もう一つの目的地である松山町。

平和公園では3日後に控える追悼式典にむけて会場や展示コーナーが作られ、リハーサルが行われていました。9日にむけて全国から沢山の人々が見学にきており、福島の被爆地から訪れているグループもありました。



平和の泉のまえの碑は、爆撃の体験を綴った女の子の手記。

更に、原爆資料館から、平和祈念館へ。資料館は実に現実的なニュートラルな目線でこの原爆投下を後世につたえる優秀な施設だと思いました。もっと感情的になってもいいとこだと思うけど、感情論に溺れず、実にロジカルです。だからこそ、どうして原爆がいけないか、誰にでも解ると思うよ。それくらい単純なこと。


長崎に落とされた爆弾は、プルトニウム239を原料にしたもので、広島のウラン235よりも強い破壊力を発揮するものだったそうです。爆心地の温度は3000から4000度。熱線、爆風、放射線。


もともと長崎市の中心地に落とす予定だったそうですが、当日、雲に遮られ目標地点を認識できなかったため、たまたま雲が晴れた一点の松山町に落とされたとのこと。施設の職員の方が、近づいて来て教えてくれました。


落とされた爆弾の名前はFATMAN。学生の時にコピーしてたイギリスのバンドの曲名ではないか。もしかして、あれは「太った人」の歌では無かったのかも!ファットマンの模型を見ましたが、確かにビア樽のように太っちょでした。


そして現代の原爆はスリム化。そのくせに威力は広島・長崎どころではない強大さなのです。それが、無邪気な子供たちの頭上にいつでも降り注げる状態にあるということが、どういうことなのか、考えると恐ろしすぎる。



展示を見ながら

「こんなに単純な現実を理解出来ないなんて、政治家ってバカなのかな?」

・・・ってボンヤリ思ってしまった。国のリーダーがこんなにバカで大丈夫なのだろうか。流行の「バカッター」の輩と同じレベルでバカだと思うよ。


この写真の少年は電報配達中に被爆しました。資料館に展示されている人の写真の中で、ご存命の谷口さん。





最後に浦上天主堂に足を運んで、お祈りをしてきました。遠藤周作作品にも描かれたキリシタン迫害、その暁にようやく建った教会です。





被爆のマリアは私の撮ったものではありませんが、その眼窩の暗闇を見て思うことは沢山あります。でもいっぱい過ぎて言葉にするのが難しい。




さて、これを書いている今日は2013年8月9日。

長くなりますが、どうして私が長崎に行きたかったか。
2006年当時のメモです。


2006年8月9日 14:30-16:00
Yogajaya(代官山)Sivananda 90分
※12のポーズの内、サルヴァーンガ→ブリッジ、バックベンド→ウシュトラーサナ

 しかし、私って今でも生徒さんがきちんとポーズ出来ていないと内心「違うよ〜」とイラついているような気が・・・。それやめよう。

 サッチダーナンダのセドナのセンターでTTCを受けた佐世保のミミ・ライトさんがいらした。今日8/9は長崎に原爆が落ちた日で、平和の祈りを込めてチャンティングしたら、全身に鳥肌。なんだこのかんじは。ミミさんのバイブレーションとシンクロしたのかしら。


何千クラスも教えて来た中で、「2大ヨーガの神様降りたクラス」の一つ。

あの日、朝起きて、ああ、今日、長崎の日だから、これは生徒に言おう。それで少しでも黙祷しよう、って思っていたの。

今でも忘れられない。あの時、全身が毛が逆立った。ものすごい遠方からクラスを受けに来てくれたミミさんという女性の顔も名前も、しっかり覚えています。ご実家は東京だけど、アメリカ軍人に嫁いだ為に遠方に住んでいたと記憶しています。

ただ・・・今日の今日まで、ミミさんは山口県から来たって思ってたんだよね・・・。

今回の長崎から帰宅して、たまたま当時のノートを開いたら「佐世保」と書いてあった。佐世保は長崎ですが、当時は佐世保=山口県だと思ってたんだよね。バカだった。


とにかく、あのゾゾゾ感は、その日を、人生の中で決して忘れることが出来ない一日にしてしまう位のインパクトでした。頭髪も逆立ったのではないでしょうか?


あれから7年を経て、ようやくこの足で、彼の地を訪れる事が出来た。原爆の被害でお無くなりになった方のご冥福を、永劫にお祈りいたします。そして、同じ悲しみを二度と巻き起こさないように、ずっと。


・・・とここまで書いていて、思い出したんだけど、大庭教授はただのオジさんではなくて「君の名は」で有名な映画監督だった。ネットで検索してみたら、先生の代表作は「長崎の鐘」だそうだ。


結局、私は、いろんな人の姿形をした何かに、導かれてるだけなのかも知れない。


現在、この地球上にスタンバイしている核兵器は17300発。プラス兵器に転用可能な原子力発電施設たち。


存在する限り使われる。


ミミさん、お元気ですか?今はどちらに?またどこかで会えたらいいな。




2013年7月30日火曜日

㊙潜入ルポ

どうも、こんにちは。
iMacのCDスロットルにSDカードを挿入し、困ってしまった Sita です。


夏バテた〜。
いや、夏風邪っていうの?やっちゃったーって感じ。

いずれにせよ猛暑の洗礼なんですかね?土曜日は「マニプラチャクラ来た〜っ!」って感じでもんどり打って、日曜にお腹を壊して吐き気。月曜は大好きな「あまちゃん」も見ずにお昼迄ズドーンと寝ました。「あまちゃん」はお昼にも見れるからね。

執念深い私にしては珍しく、先生のタットヴァボーダの授業を欠席し、自分のクラスもキャンセルにしていただいてお休みした三日間。たまには身体に休みを与えることも大切かも・・・って考えさせられました。


ところで

「オシャレにスタジオでヨガヨガーッ!って感じじゃなくて、地元でジャージ来て普通〜にやりたいのよね、ヨガ」とお考えの(わたくしめの様な)皆様に紹介しなくてはならない場所がある!




そこは、大阪市港区南市岡3−2−5 、柔(やわら)整骨院に併設される柔道&柔術の道場「剛斗館」だ!


ちょっと、待って、ヨガじゃないの?と思いましたね? でも、ほら・・・



あります、ヨガ、やってます。二回目以降は基本1回1000円ですよ。ここはまさに秘密の館。


実は、先日、京都の帰りに大阪に寄ってのお弟子ちゃんパトロール(なんじゃそりゃ)してきたんですね。2012年11月にお父さん(SwG)のもとでTTを受けて下さったリカさんのクラスにお邪魔してきました。

整骨院に入って、そーっと奥へと進んで行くと、なんとそこに青い畳の柔道場が。ほら、道場でしょ?写真はリカ先生。マットも、シャワー室も、更衣室も、ロッカーもあり。




道場というのは「精神統一=瞑想」の場なんだよね。心がとても静かになる。好きです。


もう7年も前のことだけど、実は私も、グレイシー柔術の道場でヨーガ教えていたんだよね。千駄ヶ谷から外苑前に歩いて行く途中にその道場はあった。クラスの後、柔術の稽古に出させて頂いたことも。

あれは受け身の練習なんですかね、床をドバンドバン叩きながら、あっちの方までゴロゴロ転がって行くの。実際の組み手もやらせて貰ったけど、知恵の輪に似てたな。先生の言う通りの順番で、腕とかの形を変えて行くと、羽交い締めが解けてアメイジング!


ヒクソン・グレイシーさんがヨーガをやってるってことで、オファーが来たんだけど、ヨーガはどんなスポーツとも相性が良いと思う。また、治療施設とヨーガの組み合わせも然り。

私自身も身体のメンテナンスには気を使っています。未病(病のポテンシャルなレベル)の時点で手を打つ。あるいは未病すら発生させない為に。たとえ食事に気を使って、毎日アーサナをしていても、気候の変化で体調なんて簡単に揺さぶられるので、不調を来す前の治療家との二人三脚は大事・・・というスタンスです。


毎週水曜 10:30からがリカ先生のSivananda Yogaです。整体でも柔術でもヨーガでも、お近くの方は一度足を運んでみて下さい。院長先生も素敵!何を隠そう柔術の師範もとっても優しい先生ですよ。



それではまたね。








2013年7月26日金曜日

星降る夜に・・・



初めて行く場所なんです。2009年にインドでお会いしたターラーこと、陽子ちゃんが主催して下さった大自然の中でお泊まり会 with Yoga。かわいいチラシだなあ。どうもありがとう!

わたくしですねえ、実は海よりは山と渓谷派、野宿も大好きなんですが、基本おひとり様なので、さすがに女一人でキャンプには行けないんですよね。一人用のテントを持っていましたが、そんなのに一人で入っていたら危ないから手放しちゃった。テントごと襲撃されたら逃げ道無いしね。

それで、もう10年近くテントに泊まっていないかも。

今回の冒険の砦はテント泊ではありませんが、小屋の大部屋で雑魚寝合宿なんだと思います。学生時代っぽくて楽しみだなあ。「窓際のトットちゃん」で「野宿をしたい!」という子供達の為に、講堂にテントを張って生徒と一晩すごす校長先生のエピソードを思い出します。

寝具はありますが、気になる方は寝袋とか、地肌に身につけるようのシーツをお持ち頂くと良いかも知れませんね。

私は鉄道が好きなので本当は列車でゆっくり・・・というのが良いのだけど、前後のスケジュールの関係で飛行機で参ります。東京からの方は、名鉄観光などの一泊付きのパッケージなどが航空券のみよりお安いですよ。まず犀川のほとりをなんかを散歩して、翌晩は山の中。

会場はこちら、大杉冒険の砦。いいとこだねえ。夜はアコースティックのミニコンサートがありそうだよ。

泣けるほど降りそそぐような星が見たいです。強く強く、そう思います。

お申込はお電話で!


2013年7月23日火曜日

僕の好きな先生ふたたび

またもや更新が滞ってしまいました。

7月13日の東京を皮切りに、京都、大阪から、一日ばかり東京にいて茨城の実家に帰ったりしていて、今日やっとこさ落ち着いて家に居られる日です。あれからもう10日たつのか・・・。

あれをやって、これをやって・・・と沢山すべきことはあったものの、「あまちゃん」見ていざ始めるぞ!って時になってグッタリ。午前中いっぱい、ずーっとグッタリ。グッタリ、グッタリ、グッタリ星人。


各地の活動のご報告を、と思ってたのですが、単に私が今思い出してて、今書きたい事を書くことにしました。





私が中学生の時の話。


一年の時に東京に隣接する千葉県のある街から茨城県に転校した私。今思えば大差ないのだけど、うわ!田舎!千葉に帰りたい!と肩を落としておりました。何がショックだったって「ヤンキー」を初めて見たことですね。「ヤンキー」とは極楽鳥みたいな頭をして、ズボンが太く、変なバイクに乗っており、渡り廊下でラジカセ響かせロックンロールを踊っている人達。

まあそういう方々が沢山いる学校で、廊下をバイクが走っていたり、そこここに消火器がまき散らされたり。「これはださくないか?絶対いやだー!」と当時の私は思っていました(今は「あれはあれで、ありだったな」って思うけど・・・)。

私は、千葉での成績はまあまあ良い方だったのだけど、転校生には転校生の知恵袋ってやつがあるんです。転校生は哀しい。このような環境で勉強なんか出来たら目立つってことで、成績は中の下くらいに落としました。

転校したての時に、数学の先生に「寺崎さんは転校早々に数学でクラスで一番です、偉い!」みたいな事を発表されて、空気読まない大人だな!いじめられたらどうしてくれるのだ!ってことで、二年の時には100点満点で40点くらいになった。


ところで、この学校には、ヤンキー達に負けない凄い先生がいました。その名はニノミヤ(先生)。厳つい身体に、凄い柄の太いネクタイ、足元に雪駄を突っかけて、竹刀を持って、いつも走ってヤンキーを追いかけている。愛車は白くて大きなトヨタクラウン。いや、どうみても見た目がヤ○ザ。

あ、ちなみにパンチパーマです。

この人が、二年の時の数学の担当になったの。手の指の付け根の関節がつぶれてて「学生時代黒板にこうして拳をガツンガツンぶつけて潰したらこうなった(ニヤリ)」って見せてくれたりして、怖いのなんのって。


その先生の授業がね、今も忘れられません。

先生が「それでは、ここをこーして、こーすると、この定義はどうなる?」みたいなことを喋りながら板書するでしょ?「こっちから指名もしないし、分かったら俺の許可を得ずにどんどん答えを発言しろ」って先生は言った。

先生とはスクリーンの向こうで何か教えてる人で、生徒はそれを見ている観客という受け身の立場だと思ってたんだよね。


でもニノミヤ(先生)はそのスクリーンをぶっ壊せ!と教えた。我々がシーンとしてると怒る。それでもシーンとしてしまう。だって私たちは公共の場で自由に発言するって経験が一切ないんだもの。どんな式典の演説だって偉い大人はみんな原稿読んでるしさ。


しかしですよ、たった一人、ガンガン発言しまくる空気読まない男子が居たのね。クルス君である。クルス君はまあまあハンサムでもあった。

「私もだいぶ変ってるよなあ」と思うのはですよ、実は私は、可愛いぬいぐるみの贈り物とともに、彼から淡い恋の告白を受けていたのですな。それで「てめー、中学生の分際で告白なんて軟派な!」とでも思ったのでしょう。プレゼントを突き返し、クルス君の数学の授業での積極発言を徹底的に封じ、復讐してやる!と息巻いた。


だいたい復讐って何に対して・・・って完全に謎だし、彼にしてみればトバッチリですよ。今思えば、本当に申し訳なかったの一言に尽きるのだけど、とにかくクルス(君)封じに命を燃やす日々が始まったのでした。

先生の口から疑問形の言葉が発せられると、脳みそ高速回転でクルス(君)より早く回答する。数学のクラスは私とクルス君の一騎打ちで白熱しました。シーンとしているよりはだいぶいい感じ。ニノミヤ(先生)もご機嫌。そうこうしているウチに、私の数学の点数が自ずと上昇してしまったのです。


そんな中、所用で職員室に行くと、遠くの方からニノミヤ(先生)に「寺崎、それ終わったらこっちに来なさい」と呼ばれた。怒られるの?って思って震え上がったよ。だって見た目がヤ○ザ屋さんですから。それで席まで行くと「数学、よく頑張ってるな」って褒められた。あたしは、クルス(君)を潰したいだけです!とは言わず、「ハイ」とだけ言ってお辞儀して逃げるように帰った。ホッとしたと同時に、初めて垣間みたニノミヤ(先生)の穏やかな佇まいに少し驚きました。


素晴らしい先生だったな、って思う。高校生くらいの時点で、もう思ってた。


ニノミヤ(先生)から教わった事はものすごく大きい。


積極的に考える力を与えてくれた。積極的に考える楽しさを教えてくれた。


最近、日本人の生徒さん達の受動的な学習姿勢に危機感を感じている私。

先日の勉強会で「学びの定着しない理由はなんだろうね」って話になって。「うのみ」=「知的無関心」、つまりなんでも与えられるままの知的受動性について考えたのですが、コーチングの専門家の幸子さんが「スクールマインド(だったっけ?)はやめろってよくコーチングの先生に言われるんだ」って教えてくれて、ニノミヤ(先生)のことを思い出した。


今の私には、多分、ニノミヤ(先生)の血が少し入っているんだろうね。愛情深い先生でした。ありがとうございました。それからクルス君も・・・。好きって言ってくれてありがとう。なのにゴメンね。どう考えても私の頭がおかしかったわ(今もだけど・・・)。

あの頃、嫌いだった筈の数学がとても楽しかった。あの数学の授業は本当に面白かった。

お二人が今、お元気で、そしてお幸せであることを祈っています。

そして、私からも生徒さんたちへ。

Break through to the other side. Think by yourself.

ですぜ。










2013年7月7日日曜日

東京日記

某月某日
少し太ろうと思って、効果を得た。いつものパターンだとこのまま調子に乗って余分にチャビーチャビーになるので、ここでストップのこと。

・・・・といいつつ、ミスドの水色の星形ドーナツを食べてしまう。まいど判を押したように腹が減るので本当に困る。

ななこさんの下さった周作クラブ会報を読んで長崎の遠藤周作文学館に行きたくなった。いつ、どうやったら行けるだろう、と考えている。すごく行きたいな。



某月某日
シェアハウスでの暮らしにも少し慣れて来た。日本でシェアハウスに住むには、おそらく、互いの距離感を絶妙に保ちつつ、互いを思いやる気持ちも持ち合わせるという高度なテクニックを要する。しかしこれが出来る日本人、レベル高い。

午前中はたいてい家にいるので、いろんな事件に出くわす。先日のNさん奈落に落下事件もそうだし、昨日は別のシェアメイトの勤め先の社長が尋ねて来た。ずっと出勤していないとのことで様子を見に来た。本人の部屋をノックしたら果たして部屋にいたので、社長来た旨伝えると、玄関に出て行った。夢に向かってキツい仕事をしている彼女。心が折れる事もあるだろう。多分、ここにいる人々は、それぞれに、ある痛みを分かっている気がする。いざというときに何らかの助けになれるよう、我々は、今は遠くから見守るのみ。

シェアメイトというのは不思議な存在だ。友達、とはちょっと違う。袖ふり合うも多生の縁、という奴だろう。女ばかりの暮らしは思っていたよりも悪く無い。一緒にテレビをみてあーだこーだ言うのも楽し。

最近は、シェアメイト達にアーサナを教えさせてもらっている。面白い展開。


某月某日
毎日毎日よく歩く。駅までの30分の道。毎日ヨガして、ビーチまで歩いたクラビーでの暮らしを忘れない様そうしている。筋肉が衰えないので足はますます太くなるが、お尻の筋肉が落ちない。これが気に入っている。一日最低5kmは歩きたい。

こうして歩いてクラスにいって色々と話すわけだが、人に理解してもらえるように言葉を練って練って話すので、喋っている自分が一番「おおおー!なるほどー!」と歓んでいる気がする。部屋で一人で作業しているときと、自分の声になった言葉を耳にするのは違った面白さ。これで、私はもっともっと理解する。いつでも新しい発見がある。


某月某日
あかねちんのステージを見に銀座に行って来た。今日は丸ノ内線を使うのでいつもよりもずっと長く歩く。距離が長い分、商店街に誘惑多し。Fit Flopの卸業者がテンポラリーに店を開いており、うっかり買ってしまった。Fit Flopの靴は高い。高くて日本では買えないからマレーシアのデパートのバーゲンを巡って7000円で手に入れて歓んでいたのに、なんと同じものが4200円。まあいいか。サンダルだが長距離歩行に非常に適している。お薦め。

外に出ると、資本主義の罠に引っかかる・・・が、今のうちに必要なものを買っておこう。消費税が上がったら消耗品以外には何も買わん。

あかねちんのステージ、前半、泣く。歌も踊りもピカイチで胸に響くパフォーマンス。この人の痛みが全部優しさに変っている姿が透けて見える。こんな優しい人、誰かが絶対守らなくちゃいかん。

友達を連れて来て欲しそうだったけど、人と一緒に観劇というのが苦手なので一人で来てしまった。ごめんね、あかねちん。


某月某日
ジョシュから久しぶりのメール。西村虚空という尺八の巨匠の音源を探しているとのこと。そういえば以前京都のフルートフェスティバルがどうとか言ってたが、あれは尺八のことだったのか。納得。相変わらず面白い人だ。

私が今の仕事をしようと思いついた、あの夏のサウスダコタで私はジョシュに出会った。あまりに心がキレイで強い人だったので、私はジョシュを大好きだった。でもその夏、私は自分のことを大好きではなかったから、NYで一緒に住もう、という彼の申し出を断ってしまった。どうにもまぶし過ぎた。

「こんなにいい人間が世の中にいる訳がない!それにこんなにいい人間が私のようなロクでなしと釣り合う訳がない!」

と思っていたので。

私もジョシュも、それぞれの修行の道をとことん突き進み、今も突き進んでいる。彼がアジア人の奥さんを貰った事も、それを知らせてくれた事も、実はとても嬉しかった。あの時彼と付き合っていたら、若い私たちのことだ、きっと今頃は別れ別れになっていたんじゃないかな。

彼は私にとって鏡のような人だ。この世のどこかで生きている。たとえ生きていなくてもそれでも変わらん。あの勇敢さと、あの誠実さと、あの慈悲深さと、あの楽天的な性質は、普遍であり、この世の真実だ。そして、ありがたいことに、私は決して彼を失わない。

何年もその姿も見ていないし、声も聞いていない。一緒にご飯も食べなければ、お喋りもしない。極めて観念的に思えるジョシュの存在だが、観念ではなくてリアルなのだ。そのリアル達が、孤独な私を支えているのだと思う。


西村虚空という人のことを初めて知った。その60年代の宅録音源は、瞑想の為の演奏だという。早速注文してみた。


某月某日
登場人物が全員ダークに変貌して読むに耐えない・・・とファンの間で酷評されていた「ダーク」を読んでみたが、これってそんなにノワールか?

そもそも、絶対悪とか、絶対善とかないんだと思うんだけど。どんな人間でも縁に触れて罪を犯す可能性があるんだと思う。

私の中にだってあるよ、そんなダークサイドは。そんなのちゃんと見据えてれば分かるわけで、だから私たちは油断してたらいけないし、自分の考えの手綱をしっかり握っておく必要があるんだ。善100%、悪100%で産まれてくるなんて稀でしょう。多くはミックスですよ。

その「縁に触れて・・」という点について、ことさら良く描けている作品と言えるのでは?まあ、身も蓋もない話といえばそうなんだけど。









2013年7月5日金曜日

『Yoga 〜 暮らしと知識のリトリート』 タイリトリートのお知らせ



色々とすったもんだがありまして、すっかり告知が出おくれてしまいました、楽園タイでのリトリート。昨年は、大盛況でキャンセル待ちになるくらいだったのですが、果たして人が集まるのか、毎度の事ながら不安な私です。でも、頑張ります。

これだけの長期間で、このミッチリした内容でのリトリートは、たぶん本当に、今年が最後になるんじゃないかな・・・。でもこのチャリティー企画は出来うる限り、ずっと続けていきますよ。来年には、素敵な計画も練っています。

親愛なるグルデーヴ、スワミシヴァーナンダ先生が「1ルピー持っていたら、6パイサを困っている人の為に使いなさい」と仰っていたから、私もことあるごとにそのように心がけているのですが、ビジネスの世界が複雑かつ功名になった時代に、果たしてこのお金がちゃんと困った人のところに届くのか、という新しい不安もある。

しかし、タイのチェンマイにあるHIV感染孤児の為の施設「バーンロムサイ」を実際にみて、その代表の方、スタッフの方に実際に会ってみて、ああ、ここなら大丈夫だ、って確信を持てました。確信できるって実はレアというかそうそう無いんですよ。だからとっても嬉しかった。

「先生、インド行くのにマンションはどうするんですか?」って以前聞かれたんですね。おそらく「今をときめくヨガの先生はオシャレなマンション住まい」と思われていたのでしょうが、私、マンションなんて住んだ事無いです〜(笑)。「おじゃまんが山田君(=いしいひさいちの漫画)」の山田荘ばりのボロアパートばかり。風呂無し時代も長いですよー。(イメージ崩してごめん、ふははは!)

たかが「お金」に「安心感」振り回されたくないし、お金が生きる基準になったら嫌だから、昔からそういう風に暮らしてるってことなんですが、そんな私でも「6パイサ」をやりたい。

それで、ようやく見つけたの。バーンロムサイのマンスリー賛助会員にさせていただいてます。でも、たったの一口=1000円です。少なくとも、これを一生続けられるくらいの生活水準をキープしていこう、って励みにもなるしね。

ちなみに1ルピーは100パイサです。

いかん、話がそれた!

それでは、お知らせです。



『Yoga 〜 知識と暮らしとリトリート』

プチゆる、プチ修行、プチ支援、
いっぱいデトックス&スキルアップ。

映画「プール」の舞台となったhoshihana villageへの宿泊しながら、HAPPYに生きるためのスキル「ヨーガ」を学びます。微笑みの国タイ、チェンマイで、心も身体もまるごとリフレッシュしませんか?(hoshihana villageでの宿泊が、HIV母子感染孤児の為の施設「Ban Rom Sai」への支援となります。)























日程:2013年10月5日(土) 〜 14日(月)
   ※10/5   チェックイン(15時以降)&ウェルカムディナーのみ
   ※10/14 自由行動&チェックアウト(12時まで)のみ

場所:hoshihana villageBan Rom Sai)& SPA Thai Massage School
参加費:99, 000円 (現地迄の交通費は含まれません)
   ※コース代金に含まれるもの:お食事(2菜食/日)、お茶(2回/日)
              デイリーヨーガ&レクチャー、フットリフレクソロジーコース  
     9泊分の宿泊日(相部屋)

お申込&お問合せ:sivanandakendram@gmail.com 迄 eメールにて 
         または下記のフォームよりお願いします。
         http://sivananda-kendram.jimdo.com/お問合わせ/

【デイリースケジュール(暫定)】
 5:00  起床
 5:30  サットサンガ(瞑想とチャンティング)
 7:30  ティータイム
 8:00  ヨーガレッスン
10:00 昼食
11:30 座学
12:30 ティータイム
15:30    マッサージ講習
18:00 夕食
20:00    サットサンガ(瞑想とチャンティング)
22:00 就寝

※プログラム、スケジュールなど、予告無しに変更になることがあります。
※コース中、バーンロムサイの施設&ショップ見学、子供達の交流イベントを予定しています。

!古着プロジェクトについて!

 通常、関税の関係でバーンロムサイへの国際郵便での物品の提供はさせて頂けません。今回は施設の子供達に直接寄付させていただけますので、小さな子供達から、青年になった子供達の分まで、ご不要の古着などがございましたら、是非お持ち下さい。


サットサンガの様子


プールでヨーガもしましたね。


ワンちゃんも。全プログラム皆勤賞のジャイエンです。
得意ポーズはバーラクリシュナーサナ。


子供達と空に飛ばしたランタン。みんなの未来に、祈りを込めて。


 毎日のご飯も楽しみでしたね。



チェンマイで会いましょう!




2013年7月3日水曜日

近況報告

こにゃにゃちは。皆さんお元気ですか。徒然なるままに、今日も問わず語りな

「シーターマー」

です。



◆眼鏡のこと。




Facebookにも書いたんだけど、眼鏡が!眼鏡が・・・すごい!

これ一つでこんなに違うもの?って感じ。パソコン作業後の目の疲れがひどいので、液晶画面からのブルーライトをカットするPC眼鏡というものを買ってみたのですが、効果がありあり。

インターネットのクチコミでは賛否両論わかれるって感じだったので、お店で「効果あるんですかね〜」と聞いてみると、「裸眼でパソコンを見ていて凄く疲労感のある方には、その差が分かりやすいと思います」とのこと。

私には、だい〜ぶ分かりやすかったです。

帰国してからずっと夜寝付けなかったんですが、昨夜、初めて22時にバタンキュー(・・・年がバレる)。もしかして・・・眼鏡のせい?

調べてみたら、ブルーライトとは太陽光線の短波の青色光で、青ってことは、ギリギリ可視光線だけど紫外線に最も近い波長ってことです。紫外線もだけど、ブルーライトはメラトニンの精製を抑制、体内時計を狂わせ睡眠障害になりやすいとのこと。

われながら自分の身体の単純さにビックリ。


★読書のこと

最近、小学生のとき以来遠ざかっていた、ミステリーという分野にちょっと嵌まっている。エンターテイメントとして楽しめるし、パソコンと違って目が疲れないもん。

そのミステリーというかハードボイルドのジャンルに、3Fという言葉があるらしく、私もその一員ですわ。3Fとは、書き手も、読み手も、主人公も Femaleってこと です。

私は、いま桐野夏生の描く女探偵「村野ミロ」なる人物に嵌まっていて、しかし、村野ミロシリーズのラストを飾る「ダーク」が賛否両論なので煩悶中。もっぱら、あれはノワール(人の悪意をテーマにした小説)だとの評判。ミロも他の人物も全員ノワール(黒)く描かれてるとか・・・。

桐野夏生といえば東電OL事件を題材にした小説「グロテスク」ですからね。私はミロのファンで、だいぶ肩入れしているので読むのが怖い〜。でも、きっと読んじゃうんだろうな。



★スワミチェータンジのこと




スワミジが来日されるようになって何年くらいたつのでしょう。穂高の養生園に来られていたので、ご存知の方も沢山いらっしゃると思います。確か、My dear たまき先生の師であるラーマスワルーパナンダジが、お体の不調から来日出来なくなり、その後を継ぐかたちで来日が始まったと記憶していますが、どうだったでしょう。

どちらのスワミジも洪水が深刻なウッタラカーシーに居られるスワミジで、お父さん(ゴヴィンダナンダスワミジ)のお友達です。

私はチェータンジとは比較的近いところにいるわりに面識がなく、電話でお話をしたことがあるだけ。どうやら年齢が近いらしく、なんだか話が盛り上がりました。「僕はゴヴィンダナンダジが大好きだから、いつも僕の日本人の生徒を彼のところに送りたいんだ。日本語の通訳をやってくれ!」と仰ってました。

そしてスワミジはものすごーく声がダンディ。Sivananda YogaのTTCの先輩でもあります。

そのチェータンジが今年も来日されます。それに先駆け、ご本人と、追ってオーガナイザーの方からご連絡があったですな。東京でのサットサンガの会場を探して欲しいとのこと。そんなの合点が承知の助(・・・年がバレる)ですよ。

昨年のラヒリ氏×ムケルジー氏×辻氏の時もそうでしたが、非営利目的のインド人からのオファーは、私は断りません。

ということで、エントリーしておいた会場の抽選に勝ち抜きました。ようやく発表できまーす。

9月17日(火)夜、いつものオープンクラスの区民センターです。スワミジに関してはこちらのサイトを見て下さいね。


では、上の写真がスワミジかというと違うんですな〜。


あれはアヌープです。上記のサイトを確認していたら、なんとアヌープが写っていたので拝借してきました。スワミジの作られた学校で先生をしていました。

アヌープは彼の地に住むまた別のスワミハリオームアーナンダジによってお父さんのところに送り込まれて「ブッダガヤで学校を作っちゃったもう一人のアヌープ」のルームメイトでした。


村で先生をしていたのをやめて、25年間で初めて列車にのって一人でケララに来たのです。世界に出て来たアヌープのアイデンティティは、大地震さながらだったのでしょうね。毎晩私のオフィスに泣きごとを言いに来て・・・っていうか泣いてました。微笑ましくて仕方なかったなあ。


全員アホ面でのワンショット。くだんのアヌープは右。



彼らの参加した一ヶ月は、思い出深いものでした。自分がもうマドモアゼルではなく、マダムなんだってことを深く認識、親の気分を学ばせてもらった。今思い出しても胸にしみます。これはまたゆっくり書きましょう。


肝心のスワミジはというと、こちらです。




9月17日(火)夜。
ガンガーの調べが田町にやってくる。
Don't miss it. 公民館で待ってます。

またね。
Sita

2013年6月29日土曜日

ブッダガヤのシータマ②

4月8日(日)

走る、走る、列車は走る。ランクとしては上から二番目に良い2ACなので毛布1枚とシーツ2枚、枕1個が付いてるが、とにかく具合が悪いので体力温存の為に寝る、寝る、寝る。揺れる列車の中で、幾らでも眠れる。インド人達は、一食目のお弁当は確実に持参しているが私は何も持っていないので、昼も夜も車内の食事を注文する。インド人は晩ご飯が遅い。9時頃。そして食べたら即寝る。

コーチの入り口のカーテンをペラリとめくって車両スタッフがゴミだのメシだの言いにくるのだが、東部インド人と思われているようで一切の声かけはヒンディ。しかしこの程度の会話なら全部理解出来ている自分が不思議。「ネイ〜」とか答えている。

予定では翌深夜3時に付く筈だが、スタートからして6時間遅れている。一応アヌープには連絡を入れておいた。


4月9日(月)

3時なんてとっくに過ぎている。その後、遅れがどれだけ拡大しているのか分からないが、一応6時間後の午前9時くらいからはスタンバイする。一駅止る度に手元に書いておいた駅順と照らし合わせなくてはならず、気が休まらない。インドの列車には到着アナウンスは無く、いくらヒンディが読めても寝過ごしたりしたら大ごと。しかも、そういう時に限って睡魔が襲ってくるのだ。

結局ガヤ駅に到着した時はに、既に正午をまわっていた。9時間の遅れ。なにはともあれホームでアヌープを発見。AC付き車に乗り込むが、窓全開、エアコンは付ける気配なし。ガヤは騒々しい町だ。車中からゴパールジに到着を知らせる電話をかけるも、騒がしすぎて会話にならぬ。窓の外から熱風がしんどい。

30分ほどして、ようやくブッダガヤに到着した。ガヤからのバスはないのだそうだ。アヌープが取っておいてくれいたゲストハウスの部屋はダライラマの灌頂広場に面している。一瞬、日本人的感性で

「広々して日当りもいいし、大きなベランダもGOOD!」

と思ったが間違えた!インドで日当り良好は超BADなんだよー!

危険な暑さ!


2日ぶりの水浴びをして休んだ後に、アヌープが彼の地元スジャータ村につれていってくれる。スジャータの墓の遺跡や、私のリクエストでマータンギー寺など。アヌープ家でご飯を勧められたが、結構具合が悪いので気合いもお愛想もここが限界。

町に戻って、露店でムサンビ(蜜柑の一種、ビタミンCが豊富)ジュースを飲んで、アルティキ(マッシュポテトにグレイビーをかけたもの)を食べてそれで夕食を済ます。ちなみに、私はインドの露天でバクバク食べているが、それでお腹を壊した事は一度もない。熱が出ていてもそれは同じ。日本人とドイツ人は神経質過ぎる。

熱は38°弱。完全なる風邪の兆候。数日移動が激しすぎて疲弊したのだろう。

スジャータ村。小麦畑に沈む夕陽。



ところで、


皆さんは、インド人の音響が凄まじい大音量だということをご存知だろうか?


私はそんなに沢山の国に行った事がないけど、世界中どこの国だってインドの比ではないことは間違いない。自信を持って言える。

この日、私の部屋の目の前の灌頂広場では労働組合の大会が開かれていた。ものっ凄い爆音スピーカーで労働組合の力強いシュプレヒコールが・・・・。

「カイダーヴァー、カイダーヴァー!」(Never die ! Never die ! 絶対負けないぞー!)

とマイクの人が叫ぶと群衆がそれに応えて復唱する。


そして・・・

皆さんは、日本語は現存する中で唯一の母音主体言語だということをご存知だろうか。日本人の脳は子音よりも母音をピックアップして言葉を認識するのだ。

したがって日本人である私の耳には


ai aa aa, ai aa aa !

と聞こえる。

「ii aa aa, ii aa aa !」

sii taa maa, sii taa maa !」

先週ようやく終わりを告げた五ヶ月間のアシュラム生活で、毎日、毎日、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も聞いた言葉!

 「シーターマー!シーターマー!」

「シーターマー!シーターマー!」

「シーターマー!シーターマー!」

やめてくれーっ!


こちとら熱を出して真夏の最中に毛布かぶって寝てるってのに気が休まらない!組合長、私の名前を呼ぶな!群衆も応じるな!しかも真夜中の12時まで!

頭が痛い時の爆音というのは、実に身体に障ります。

(続く)


やっぱり瞼が目に被さっている・・・。アヌープの作った学校です。






2013年6月25日火曜日

ドリフのような・・・

事件は昨日起こったのでした。


アシュラムで私と寝食をともにした事のある皆さんは知っているでしょう。そう、私は寝付きが悪い。


もともと、音楽をやったり絵を描いたりと、そっちの方が得意で、計算などの左脳系の仕事に弱い私ですが、個人事業主だからやらなくてはいけない。アンボリで「それは私の仕事じゃないですから出来ません。お金にはさわれません!スワミジも私がどんなに計算に弱くて数字を間違えるか知っているでしょう!」と頑なに拒んだら「克服しろ!」とえらい厳しく怒られまして、それを素直に受けて、克服したわけです。

・・・厳密にいうと克服は出来ていない。最大の努力をもってそれに挑んでいる訳で、元々足りないアタマをフル回転ですわ。そうすると交感神経バリバリのオーバーヒート気味になって寝付けなくなっちゃうのね。

そんな訳で、ここ最近、深夜まで目がパキン、パキンに開いちゃって寝れない。

で昨日も最後に見た時計の時刻が3時半くらいだった訳です。そうして朝の7時。

ドンガラガッチャーン!

ともの凄い音がして、飛び起きた。

飛び起きては見たものの、眠りが足りてないし気のせいってことにして目を閉じる。すると今度は遠くからピンポーン!とかすかな呼び鈴の音。後で気付いたんだけど私の部屋=元納戸なのでチャイム聞こえないんですよ。音が遠いから近所の家だろうと思って、再び寝る。

しかしピンポンがあまりにもしつこいので、もしやウチですか〜?と階下に降りてドアを開けると、そこにはパジャマ姿で流血しているシェアメイトが!


二階のベランダから庭に降りる階段を使って、飛ばされた傘を拾いに行く途中、階段が底抜けして一緒に落ちたとのこと。

まじですかー!そんなことってあるの!?

で、慌てて見に行ったら、確かに、五段分くらいスッポリと、下の倉庫に抜け落ちて居ました。驚異のバランスで着地に成功したから軽症で済んでいるけど呆然のシェアメイト。さぞビックリしたでしょうに。




自分を支える床面が一瞬にして無くなるなんて、そんなことは考えもしないからな〜。だけど生きていると思いも寄らぬことが起こるもんだ、とシミジミ思いましたよ。

しかも景気付けにテレビを付けたら朝の連ドラ「あまちゃん」の週タイトルがババーン!「おら、奈落に落ちる」いやはや、笑いごとじゃないんだけど笑いました。笑いの神様が降りているような気が・・・。



この話の後になんでこれ?って思うんだけど、勉強会の皆さんがワークショップを主催して私を招いて下さいました。勉強会の方が優先になりますが、もし参加のご希望があれば私からお繋ぎしますので、声かけて下さいね。



  • Sitaさんにお願いして、ティーチャーとしてハタ・ヨーガを教えるコツの講座を開催していただくことになりました!!

    何らかのTTCを修了した方、すでにヨーガを伝えている方を対象とした、実践的な内容です。

    日時:2013年7月21日(日)13:30~16:30(17:00完全撤収)

    会場:九段下(ご参加の方に詳細をお伝えします)

    定員:15名
    (人数に限りがあるため、Upasana Sangaの方を優先とし、空きがあった場合にのみ友人知人の参加も可とします。ご相談ください。)

    参加費:6,000円 (当日会場で集めます)

    予定している内容:
    ☆ティーチングのコツ(アーサナ、プラーナーヤマ)
    ☆アジャストメント法(お話と実践練習)
    ☆Q&A など

    主催:Upasana Sanga Krisna Class(サチコ・アユミ・アキコ)


2013年6月21日金曜日

ブッダガヤのシータマ①

そろそろ、書こうではないですか。

私のブッダガヤにまつわる紀行を。

うーん。

書いちゃうのか・・・というのは、なんだかねえ、思い出すのもシンドイ旅だったような気がしないでも無いからだねえ。


ブッダガヤといえば、お釈迦様が悟られたということで超有名な聖地。読者の皆さんには既にお馴染みのアヌープ君の出身地なわけです。

「シ〜タ〜マ〜タジ〜、来て来て、絶対に絶対に来て、来て来て来て!」

というアヌープ君の熱烈なお誘いを受けて、キッチンボーイズの故郷ウッタラカシに行くのは来年に回し、取りましたともブッダガヤ行きのチケット。



4月1日(月)
朝。私は5ヶ月を過ごしたヴァルカラの仮アシュラムを畳んで、最後まで残ってくれたマー君親子、地元でお世話になったカオリちゃんに涙のお別れ。そしてお父さん(スワミG)との涙をそそる別れ。・・・といっても3日後にマンガロールで落ち合う約束なんだけどね、毎年シーズンの終わりにはジワーっと来ちゃうのよね。

ウェイティングリスト6番だった私のチケットも当日朝にコンファームされ、久々に列車の揺れに身をまかせ。この旅のことはまた後日書きましょうね。


とりあえず、ここではざあっとなぞることにしましょ。
「アイマン坊主」という髪型(すなわち坊主)が流行


4月2日(火)
早朝にアンボリ着!懐かしの面々に挨拶をし子供達と遊ぶ。一緒にお寺へご挨拶にいくと、ニキタなんか作法がしっかりしちゃって、お姉さんになった。




4月3日(水)
子供達を公園に連れて行ったり、宿題を代わりにやったり。深夜にマンガロール行きの列車に乗る。

ラジャンおじさんとアイマンにアシュラムからの日の出を見せる事ができた。


4月4日(木)
朝マンガロール着、スワミジと合流、車でシュリンゲーリへ。一日中走って夜はアシュラム建設予定地である農場へ。ゴパールジとラジャンジは外で寝る。私は一応小屋の中にヨガマットを敷いて。熱が有るらしく、深夜に数えきれないくらい、オシッコに起きる。
外の物置き場に寝るといって驚喜のゴパールジ。


4月5日(金)
早朝、スワミジと農園をまかされてるオジさんと、敷地内の森を見て回る。私は具合を悪くしているらしい。年に一回飲むか飲まないかのバファリンを飲んで再び車へ。頭が割れるように痛い。ラジャンジとお別れし、例のいつもの3人組(スワミジ、ゴパールジ、私)でお寺を巡る。午後マンガロールまで戻り、スワミジとお別れ。10日後にシンガポールで落ち合うのにまた寂しくなるアホな私。ムンバイ行きの列車に乗る。

初めて行ったジャイナ教の聖地。とにかく古い!



4月6日(土)
ウドゥピで降りる筈のゴパールジがムンバイまで来ちゃったので、ゴパールハウスに泊めてもらう。半年ぶりのご帰還なので、まず、二人で手分けして大掃除。これ、毎年の恒例行事。この日の夜にコルカタ行きの列車でブッダガヤに向かう筈なのだが、だいぶ早い段階から「すでに6時間遅れの出発」という情報・・・・。

掃除をしてスッキリのゴパールハウスその①


4月7日(日)
未明。ムンバイ駅。ああ、ゴパールジが一緒に来てくれていて本当に助かった。もし一人だったら、熱があるのに大荷物を抱えて駅で一晩眠れずに列車待ちをしているところだった。ああ、神よ、ゴパールジよ!

初めてインドに来たのは、たしか10年くらい前。カルカッタから北東インドを旅したが、電車が遅れまくるなあ、というのがその時の印象。しかし5年前くらいに再び訪れて(今度は西、南方面)から印象が変わった。列車があまり遅れない。列車が遅れない代わりに、大奮発して買った二泊三日の2AC車両に私が遅れて呆然とした。乗れませんでしたよ、勿論。お金もだいぶ損しました。(どういうアホだ、私は・・・)。


だから、このコルカタメイルという列車の出発が6時間遅れたのも、レアケースだろうって思ってたのですよ。

しかし・・・

そうは問屋が卸さないってことを、この時の私はまだ気付いていなかった。

なんとここまでで、乗った列車の数は4本。この一週間の内に何時間寝台の上にいたのか。少なくとも数十時間でしょう。走行距離は・・・あまり考えたく無い。

相変わらず、颯爽と去って行くゴパールジの背中を見つめながら、ブッダガヤへの旅が始まったのです。



サイドロウアー寝台も悪く無い!と思った私の寝床

(続く)








2013年6月20日木曜日

強い光





声優の内海賢二さんのお通夜に参列させていただきました。

内海さんは、ひょんなことでご縁させて頂いた、声優の野村道子さんの旦那様であり、私は幼い頃から、サリーちゃんのパパを見て、則巻千兵衛さんを見て、みつばちマーヤを、ワカメちゃんを、しずかちゃんを見て育ちました。実はラオウ見たさに木曜のピアノ教室をやめた高校生でもありました。


道子さんのもとにどうしても参上したかったのです。生徒の皆様、クラスを後日に振替えて下さり、ありがとうございました。


帰り道、一人歩きながら思う。


大人になった私は、なんだか偉そうに生徒さんに何かを教えたりしているけれど、一人で仕事をしている身で、不条理に一人で対面せねばならないことも多く、ダルマの無い権力主義達との対話を、やはり心のどこかで恐れているのだと思う。しかしその恐怖を誰とも分かち合うことは出来なかったりする。

しかし、そんな私の心を支えて下さったのが、ご縁させて頂いた本物の大人の人達の存在でした。野村道子さんもそう、バーンロムサイの名取美和さんや他のスタッフの方もそう。いつも優しく優しく、どこまでも優しく。

でも私は知ってる。この本物の大人の人達に共通することを。みな「悪いことは悪いよ!それ、間違ってるよ!」と毅然と言える人達なのである。

今日を境に、私は、怖じ気づく度にこう考えるのだと思う。

「道子さんなら、どうする?」

「名取さんなら、どうする?」

「賢二さんなら?」

そうやって勇気を奮い立たせるのだと思う。

そして、これからは、私たちの世代が、これまで支えて下さった先輩達を、支えていくんだ。



たった二度だけ賢二さんにお目にかかったことがあります。大きなお声で、皆を守るみたいな強い光みたいな明るさを振りまいていらっしゃったことを覚えています。ご遺影のままの大きな笑顔で。強く、強く、そしてどこまでも優しく。

もっと、もっと、私もそんな風に生きるんだ。


先月タイでアラレちゃんの帽子を冠っている女の子に会った。タブラ奏者のアリフは、アニメで覚えたという日本語を、雄々しい声優声で披露していたね。世界中の子供に夢を与えて下さった賢二さん。ありがとうございました。



心よりご冥福をお祈りいたします。