マレーシアに帰って来ました。何の為かと言うとですね、東京行の飛行機に乗る為です。クアラルンプールは痒い所に手が届く都市ですね。wi-fi天国、しかも使いやすい。日本は市民の通信に関してはまだまだ追いついていない気がします。
先程マリアンマンとシルディサイババのお寺にご挨拶済ませ、昨日はマレーシア人とインド人のATTC&サーダナインテンシヴメイト都市カラオケ行って来ました。北酒場とボヘミアンラプソディ熱唱。わが人生に悔いなしっ!
ブログの筆頭にも載せましたが、27日の月曜日、10時から90分。芝浦港南区民センターで朝ヨガします。急ですけど(笑)。どなたでも参加出来ますのでお時間のある方は是非。最寄駅は山手線の田町駅です。それから夏は昨年に引き続き大阪行きます宣言しちゃいますよ!
それでは皆さん、東京でお会いしましょう!
Sita
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2011年6月22日水曜日
2011年6月18日土曜日
サラピー読書記
Om Om 皆さまー、お元気ですか?
タイのSitaです。私は元気ですよー。
タイにきてもう20日。どういう因縁か、チェンマイ近く(よくよく計ったら18Kmあった)のサラピーという所に4匹の犬と共に引きこもっている訳ですが、これがまた最高の環境なの。何にもない。ついに明日、私は町に引き取られて行くので寂しいです。引き篭もって何をしているかというとですね、ヨガ教えたりもしますが(教えることからは逃れられない運命らしいです・・・)基本的には私のヴァケーションのつもりです。物書きをしようと思って来たのだけど、結果的に読むばかり。ヒロミダスの書棚から手当たりしだいです。
☆「I come as a brother」バーソロミュー
☆「バカの壁」養老 孟司
☆「Sivananda Yoga」スワミ・ヴェンカテーシャーナンダ
☆「贖罪」湊かなえ
☆「観音力」玄侑 宗久
☆「私は霊力の証を見た」モーリス・H ・テスター
☆「般若心経絵本」諸橋 精光
☆「カイン-自分の弱さに悩む君へ」中島 義道
☆「ホームレス中学生」田村 裕
・・・などなど猛烈な速度で読みまくっています。幸せ。
「バカの壁」など今更読みましたが、向こう側まで突き抜けちゃうくらい頭のいい(?)人達の行き着くところは、なぜか一つだな、ということかな。Vedantaなんですよねー。「バカの壁」は私の立場からすると、最終章に少し意義ありといったところでしたが、言葉の記号性というのは、完全ではないのですから、文化的背景によって使い方、受け取り方が違うことを考慮すると、やっぱり行き着くところは一つなんだと思います。
何十年前かに読んだバーソロミューは、あれ、こんなこと書いてあったっけ、と新鮮で胸を打たれました。
「般若心経絵本」もお勧めですね。Vedantaの言いたいことって結局何なのかわからない、という方、これ読んで下さい。すごく温かい素敵な本。ここまでに仕上げるのに20年かかったそうです。
「観音力」これは面白い。講演の記録ですが、お話がとても面白く、オリジナリティに溢れる言葉を使いながら、結局やっぱりある一つのことを伝えてます。
「ホームレス中学生」。何度読んでも泣ける。美しい素直な心、ここにアリですねー。うう・・・。
そして、やはり何度読んでも泣ける成瀬先生訳の「シヴァーナンダ・ヨ-ガ」。Gurdev Sivanandaが本当に私のすぐ横に、いや、包み込むようにそこに居てくれるような感じがするのですね。先生と一つである気がして、全ての不安や恐れから私を解放してくれる。「ヨーガのことは私の一部分」って思っていたのですが、思い起こせば度々、ヨーガなんか全然関係ないと思われる人とのご縁の中にも、ちょくちょくSivanandaという名前が出てくるんですよ。これはもう、Sivananda先生とは何かしらの縁があるとしか言えません。
各書の中で心に残った文章の一部をずらずらっと書いておきます。
★なぜ生きるのか?という問いに対して、それを知るために生きるのだ、という回答がいちばんすぐれているように僕は思う。「カイン」
★フランクルは一貫して「人生の意味」について論じていた。その結論は」他人が(他との関係が)人生の意味を考える手伝いをする’ということ。例えばガン末期の患者の意味は「その人が運命を知ったうえでとる態度によって、周囲の他人が力づけられる」ということ。「バカの壁(・・・かな?)」※フランクルというのはアウシュビッツから生還した人「夜と霧」の作者です。
★自分の人生をすばらしいものにするために必要な承認は、ひとつだけです。それは、今あるがままの自分を受け入れるということです。勇気をもって自分を見つめて行くことによって、それができるようになります。自分は今のままの自分で全く問題ないのだ、ということを学びます。「命」というものが、今の自分、あるがままの自分を通して表現されている、そのあり方に人は心から感動し、その不可思議さに驚きます。
これは、自分の周りの人に、自分を好きかどうかと聞くことでは生まれません。自分について知るべきこと、その全てをしって、それを心の底から受け入れることによって生まれます。このことを実行するかどうかが、その人の人生の分岐点です。世界中から愛されても、自分で自分を愛さなければ、他人の愛に気づきもしないでしょう。その反対もまた、成り立ちません。自分で自分を愛していたら、他人の拒否などには気づきもしません。自分の心の中で自分を受け入れてください。そうすれば、世界をすべて完全に受け入れることができるようになります。「I come as a brother」
★傷つかないことは、傷つけることよりも、もっと難しい。適合しなさい、順応しなさい、適応しなさい。無礼なことに耐えなさい。侮辱的なことに耐えなさい。「シヴァーナンダヨーガ」
Om Om
See you soon!
タイのSitaです。私は元気ですよー。
タイにきてもう20日。どういう因縁か、チェンマイ近く(よくよく計ったら18Kmあった)のサラピーという所に4匹の犬と共に引きこもっている訳ですが、これがまた最高の環境なの。何にもない。ついに明日、私は町に引き取られて行くので寂しいです。引き篭もって何をしているかというとですね、ヨガ教えたりもしますが(教えることからは逃れられない運命らしいです・・・)基本的には私のヴァケーションのつもりです。物書きをしようと思って来たのだけど、結果的に読むばかり。ヒロミダスの書棚から手当たりしだいです。
☆「I come as a brother」バーソロミュー
☆「バカの壁」養老 孟司
☆「Sivananda Yoga」スワミ・ヴェンカテーシャーナンダ
☆「贖罪」湊かなえ
☆「観音力」玄侑 宗久
☆「私は霊力の証を見た」モーリス・H ・テスター
☆「般若心経絵本」諸橋 精光
☆「カイン-自分の弱さに悩む君へ」中島 義道
☆「ホームレス中学生」田村 裕
・・・などなど猛烈な速度で読みまくっています。幸せ。
「バカの壁」など今更読みましたが、向こう側まで突き抜けちゃうくらい頭のいい(?)人達の行き着くところは、なぜか一つだな、ということかな。Vedantaなんですよねー。「バカの壁」は私の立場からすると、最終章に少し意義ありといったところでしたが、言葉の記号性というのは、完全ではないのですから、文化的背景によって使い方、受け取り方が違うことを考慮すると、やっぱり行き着くところは一つなんだと思います。
何十年前かに読んだバーソロミューは、あれ、こんなこと書いてあったっけ、と新鮮で胸を打たれました。
「般若心経絵本」もお勧めですね。Vedantaの言いたいことって結局何なのかわからない、という方、これ読んで下さい。すごく温かい素敵な本。ここまでに仕上げるのに20年かかったそうです。
「観音力」これは面白い。講演の記録ですが、お話がとても面白く、オリジナリティに溢れる言葉を使いながら、結局やっぱりある一つのことを伝えてます。
「ホームレス中学生」。何度読んでも泣ける。美しい素直な心、ここにアリですねー。うう・・・。
そして、やはり何度読んでも泣ける成瀬先生訳の「シヴァーナンダ・ヨ-ガ」。Gurdev Sivanandaが本当に私のすぐ横に、いや、包み込むようにそこに居てくれるような感じがするのですね。先生と一つである気がして、全ての不安や恐れから私を解放してくれる。「ヨーガのことは私の一部分」って思っていたのですが、思い起こせば度々、ヨーガなんか全然関係ないと思われる人とのご縁の中にも、ちょくちょくSivanandaという名前が出てくるんですよ。これはもう、Sivananda先生とは何かしらの縁があるとしか言えません。
各書の中で心に残った文章の一部をずらずらっと書いておきます。
★なぜ生きるのか?という問いに対して、それを知るために生きるのだ、という回答がいちばんすぐれているように僕は思う。「カイン」
★フランクルは一貫して「人生の意味」について論じていた。その結論は」他人が(他との関係が)人生の意味を考える手伝いをする’ということ。例えばガン末期の患者の意味は「その人が運命を知ったうえでとる態度によって、周囲の他人が力づけられる」ということ。「バカの壁(・・・かな?)」※フランクルというのはアウシュビッツから生還した人「夜と霧」の作者です。
★自分の人生をすばらしいものにするために必要な承認は、ひとつだけです。それは、今あるがままの自分を受け入れるということです。勇気をもって自分を見つめて行くことによって、それができるようになります。自分は今のままの自分で全く問題ないのだ、ということを学びます。「命」というものが、今の自分、あるがままの自分を通して表現されている、そのあり方に人は心から感動し、その不可思議さに驚きます。
これは、自分の周りの人に、自分を好きかどうかと聞くことでは生まれません。自分について知るべきこと、その全てをしって、それを心の底から受け入れることによって生まれます。このことを実行するかどうかが、その人の人生の分岐点です。世界中から愛されても、自分で自分を愛さなければ、他人の愛に気づきもしないでしょう。その反対もまた、成り立ちません。自分で自分を愛していたら、他人の拒否などには気づきもしません。自分の心の中で自分を受け入れてください。そうすれば、世界をすべて完全に受け入れることができるようになります。「I come as a brother」
★傷つかないことは、傷つけることよりも、もっと難しい。適合しなさい、順応しなさい、適応しなさい。無礼なことに耐えなさい。侮辱的なことに耐えなさい。「シヴァーナンダヨーガ」
Om Om
See you soon!
2011年6月8日水曜日
Malaysiaの三人
グルバイとの楽しいひと時。
かっこいい感じで決めてみたよ。
私のおでこが光っている写真。
写真撮って遊んでますが、しこたま食べた後でこんなに反って吐きそう・・・でしたー。
カルメンはずっと練習サボってたっていってもこんなにフレキシブル。
クアラルンプールの都市づくり・・・ビルの概観がとても美しいのが特徴かな。
またね。
かっこいい感じで決めてみたよ。
私のおでこが光っている写真。
写真撮って遊んでますが、しこたま食べた後でこんなに反って吐きそう・・・でしたー。
カルメンはずっと練習サボってたっていってもこんなにフレキシブル。
クアラルンプールの都市づくり・・・ビルの概観がとても美しいのが特徴かな。
またね。
2011年6月6日月曜日
Om Namah Sivaya
Om Om !
皆様、ご無沙汰しております。私はタイまで帰って来ています。チェンマイの近く(・・・といっても16km離れてる・・・)の一軒屋のハウスシッターをしている朋友ヒロミダス先生のお宅に居候ですが、周りになにもありません。でも素敵なプールがおうちにあります。町まで自転車で1時間半。タイの田舎で八代亜紀を聞きながらセルフマッサージをしている妙な日々・・・。八代亜紀、いい!
週末はマリアとベリンダという、何年か前にアシュラムで一緒に働いていたラテンのお姉様方のお家を見に行くという事で、自転車こいで行ってきましたけど、往路は炎天下、復路は土砂降りで疲れ果て、今日、また熱出しちゃってます。でもこの平均年齢がめっぽう高いガールズ会も楽しかったですよ。私とヒロミは兎も角、それぞれ子供たちを立派に成人させた姉さん達は、とても可愛く、そのまま映画になりそうだったな。
インドからマレーシアを経由してここに居るわけですが、実はマレーシアが楽しかった。三年前にアドバンスティーチャートレーニングを一緒に受けたグルバイ達とつるんでヨガしたり、公園で座り込んでお喋りしたり、まあ他愛のない一週間だったのだけど、なんだかんだ言って、頻繁に会ってますね、彼らとは。私の人生の中でいつの間にか大事な人たちになっています。ヨガのこと、組織のこと、師匠のこと、なんの捉われもないから、お互い何でも話し合えるのね。
とりわけ、インド人のカルキ君とは不思議な関係です。普段は私は、シータマタとか呼ばれてるくらいなので、お姉さんというか、おかんキャラなんだけど、カルキ君といると、完全に私のほうが子供役です。私のほうが15歳ほど年上のはずなんだけどね。こういうのは何なんだと・・・多生の縁てやつなのかな?
ともかく、彼はマレーシアのフィットネスクラブのヨガ部門と契約して働いてるのです・・・・がこのクラスのクオリティーが高いのなんの。そして中国人の生徒さん達のレベルも。昔ヨガジャヤでやっていたクランティ先生のパワーフローというクラスを思い出しましたね。来ている生徒の大半は先生という激しいクラスでしたが・・・懐かしい。
マレーシアというのはマレームスリムを大事にする、という趣旨(?)の国なので、他宗教の影響を受けるのを極端に嫌います。戒律も法律もとても厳しい。そんな中でこんな凄いクラスをやってる我が友がやっぱり大好きだーと思ったシータランでした。お互いに常に高めあえる、気の置けない仲間は良い。
いつまでも、若々しい新鮮な、純粋な気持ちでヨガに向き合えるのは、他ならぬ、彼らヨガ友のおかげなのかも知れません。それだけで、私はとても幸せものだなって思うのでした。おっと、時間だ、それではまたね。
Sita
皆様、ご無沙汰しております。私はタイまで帰って来ています。チェンマイの近く(・・・といっても16km離れてる・・・)の一軒屋のハウスシッターをしている朋友ヒロミダス先生のお宅に居候ですが、周りになにもありません。でも素敵なプールがおうちにあります。町まで自転車で1時間半。タイの田舎で八代亜紀を聞きながらセルフマッサージをしている妙な日々・・・。八代亜紀、いい!
週末はマリアとベリンダという、何年か前にアシュラムで一緒に働いていたラテンのお姉様方のお家を見に行くという事で、自転車こいで行ってきましたけど、往路は炎天下、復路は土砂降りで疲れ果て、今日、また熱出しちゃってます。でもこの平均年齢がめっぽう高いガールズ会も楽しかったですよ。私とヒロミは兎も角、それぞれ子供たちを立派に成人させた姉さん達は、とても可愛く、そのまま映画になりそうだったな。
インドからマレーシアを経由してここに居るわけですが、実はマレーシアが楽しかった。三年前にアドバンスティーチャートレーニングを一緒に受けたグルバイ達とつるんでヨガしたり、公園で座り込んでお喋りしたり、まあ他愛のない一週間だったのだけど、なんだかんだ言って、頻繁に会ってますね、彼らとは。私の人生の中でいつの間にか大事な人たちになっています。ヨガのこと、組織のこと、師匠のこと、なんの捉われもないから、お互い何でも話し合えるのね。
とりわけ、インド人のカルキ君とは不思議な関係です。普段は私は、シータマタとか呼ばれてるくらいなので、お姉さんというか、おかんキャラなんだけど、カルキ君といると、完全に私のほうが子供役です。私のほうが15歳ほど年上のはずなんだけどね。こういうのは何なんだと・・・多生の縁てやつなのかな?
ともかく、彼はマレーシアのフィットネスクラブのヨガ部門と契約して働いてるのです・・・・がこのクラスのクオリティーが高いのなんの。そして中国人の生徒さん達のレベルも。昔ヨガジャヤでやっていたクランティ先生のパワーフローというクラスを思い出しましたね。来ている生徒の大半は先生という激しいクラスでしたが・・・懐かしい。
マレーシアというのはマレームスリムを大事にする、という趣旨(?)の国なので、他宗教の影響を受けるのを極端に嫌います。戒律も法律もとても厳しい。そんな中でこんな凄いクラスをやってる我が友がやっぱり大好きだーと思ったシータランでした。お互いに常に高めあえる、気の置けない仲間は良い。
いつまでも、若々しい新鮮な、純粋な気持ちでヨガに向き合えるのは、他ならぬ、彼らヨガ友のおかげなのかも知れません。それだけで、私はとても幸せものだなって思うのでした。おっと、時間だ、それではまたね。
Sita